政府の新しい資本主義が順調に迷走している。今度は日本が成長しないのは転職を嫌がり職場にしがみつく労働者がいけないなどと言い出した。つまり終身雇用を否定しようとしている。
「これはどうしたものか」と考えてからヤフコメを見たのだが「だったら全ての公務員を有期雇用にしてみては?」という提言があった。「瞬殺だな」と感じた。自分達は定年まで勤め上げた上に天下りをして退職金をゲットしようとしているのに労働者には不安定さを押し付けようとしているのが見え見えだからである。
仮に岸田総理が全ての官僚を有期雇用にしますと宣言すればおそらく人々は「これこそ骨太だ」と総理を褒め称えるだろうが、おそらく政治的にこれは不可能な決断だろう。
産経新聞が「低成長対策の一つは労働市場改革だ」と伝えている。リード文に「改革が進めば日本の常識も大きく変わり国民の暮らしにも影響が出ることになりそうだ」とある。いかにも産経新聞らしいお気楽かつ雑な総括と言えるだろう。
最初にこれを読んだ時「政府がいくら終身雇用を廃止しようとしても他に良い職場がなければ転職をする人などいないだろうな」と感じた。そもそも終身雇用制度は法律で義務付けられているわけではないので政府が取りやめることはできない。あれは単なる「労働慣行」だ。
維新も同じような提案をしていることから「新自由主義的なプランが無党派にアピールするからだ」と考えたのかもしれない。だがベクトルが全く違っている。
- 維新の提案は「日本が成長しないのは生産性の低いおじさんたちが会社にしがみついているからだ」と他人に攻撃を向けている。
- 一方で岸田総理の提案は「日本が成長しないのはあなたたちがしがみついているからですよ」と言っている。
自分達が動きたくないからこそ他人のせいにしようとするのが「正しい大衆的新自由主義」なので原理的に政権政党は模倣ができない。政権はどうしても国民の行動を変える必要がある。実は日本人は他人に変化を強制されるのを最も嫌うのだ。
ただ反発しているだけでは生産性がない。そこであえて「日本を成長に導く産業」とは一体何なんだろうか?と考えた。例えばそれが「ITだった」と仮定してみた。
日本のIT労働者は古くから「IT土方」などと言われてきた。そもそも日本のサービス産業はアメリカなどのIT事業者からは周回遅れになっていて完全な「輸入超過」だ。つまり仮にIT産業への労働移動が進んだとしても(全員がGAFAに就職できれば話は別だが)低成長の産業から低生産性の産業への転換にしかならない。安定した正社員の地位を投げ打って非正規雇用で挑むほどの価値はなさそうだ。
そもそも政府自らのITプロジェクトすら失敗していてデジタル庁にも多くの離職者がいるそうだ。このデジタル庁の惨状を見るとなぜ日本のIT産業の生産性が低いのかがよくわかる。デジタル庁で問題になっているのは「現場」と「マネージメント」の間の絶望的な乖離である。
現場を知っている人たちが「文句を言っているだけではダメだ」として意欲高く霞ヶ関に乗り込んでくるが紙文化と前例踏襲型のマインドセットにどっぷりと支配されたマネージメント組織とぶつかる。
- デジタル庁に乗り込んだコンサルが見た、想像超える紙文化と改革を阻むもの(ビジネスインサイダー)
- 迷走のデジタル庁 事務方トップが交代 民間出身者も相次ぐ退職(毎日新聞)
- 「会議に出たくない」 デジタル庁、民間出身職員が反発(日経新聞)
こうした文化の違いがもたらす弊害はマイナンバーカード問題で顕在化した。「現場は知っていたが大臣にまで報告があがっていなかった」として問題になっている。現場は状況がわかっているが問題を起こすと出世できなくなると考えるミドルマネジメント層で目詰まりが起こり全体として問題が解決できない状態になっている。
同じような問題は究極のサービス産業である自衛隊でも顕在化している。自衛隊に対する政治側からの期待は高まっている。だが政府は待遇改善には無関心である。これが自衛隊の「ブラック化」を産み採用が難しくなっている。今回の射場銃乱射事件を見ているとそのことがよくわかるのだが政府はおそらく「あってはならない」を繰り返すばかりで憲法改正を含む本質的な転換はやらないはずである。
同じような構造は教師の間にもみられる。教育に対する政治の要望は高まるが待遇は改善されない。子供たちはその様子を間近でみており「先生になどなるべきではない」と考えるようになる。
「政府が終身雇用が日本の低成長の原因だ」という時に念頭にある「日本」とは末端の労働者である。だがそれを話し合う人たちはがっちりと新卒で官僚になり年次で出世し退官後はいくつかの「植民地」を渡り歩き退職金を獲得する。さらにそれを指揮するのは終身雇用どころか生まれた時から地位が半自動的に保障された世襲の政治貴族だ。
つまり彼らが考えているのは「統治対象としての日本」なのである。
不幸中の幸というべきか日本人はこの辺りの事情がよくわかっている。さらに冒頭で述べたように政府は人々の働き方を強制的に変えることもできない。つまり政府がいくら声高に「終身雇用はいけない」などと叫んでみても労働者が動かないのだから「結局何も変わりませんでした」ということになるだろう。
ただ、この議論はわかりにくい。よく考えてみればそんな面倒なことを考える必要も実はないのだということに気がついた。
「そんなにスゴイ制度ならまずお前たち(官僚)がやってみろよ」
で済む話なのだ。
彼らがやらないということはそれほどスゴい制度ではないということである。相手はおそらく下を向くか顔色を変えるだろう。「ほらね」で済んでしまう。
岸田総理が仮に「誰もが驚くような骨太の」方針を示すのであれば「では国が率先して終身雇用を辞めます」と高らかに宣言すればいい。だが、おそらくそれは政治的には不可能な決断である。おそらくは「出どころ不明の文章」が盛んにリークされ、政治家や官邸に味方する官僚たちのスキャンダルが盛んに週刊誌に売られることになるだけだ。
この抵抗こそがまさに「終身雇用へのしがみつき」である。彼らはそれがいかに魅力的な制度なのかは知っている。だが同時に全員がその恩恵にあずかれないということもわかっているということになる。
政府は新自由主義的なプランを取り込むことで維新の支持者たちを取り込もうとしているのかもしれない。だがその試みはかえって「悪いのは俺たちだけなのか?」という反発を生み「だったらまずあなたたちが変わってみては」という敵意に変換されるだろう。