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岐阜市の陸自射撃場銃乱射事件のあらましと語られないであろうタブー

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自衛隊で銃乱射事件が起きた。少年は警察に引き取られ「殺人事件」として取り調べられている。一旦家裁に送られるがその間は少年として扱われる。ここで逆送致されると刑事事件となり実名報道が可能になる。動機は「教官に怒られたこと」で殺意は否認している。この事件で「自衛隊が憲法で位置付けられていない弊害」の議論を思い出した。自衛隊は軍隊ではないため軍事法廷がない。つまり政府が管理する自衛隊の行動で人が亡くなることが想定されていない。訓練と災害救助だけをやっている分にはこれでも構わないのだが、台湾有事などで軍事行動が起きた時には問題になるだろう。だが、報道を見る限り現在の日本では今後も「実は小銃は人を殺せる」というあたりまえの事実が議論されることはなさそうだ。関係者は「あってはならないことであり再発防止に努める」と繰り返している。

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まず背景をおさらいしておこう。NHKは銃乱射でなく発砲と書いている。メディアによって乱射、発射、発砲と表現が異なり受ける印象が違う。使われたのは89式小銃だ。1分間に850発の球が発射できる。

今回事件を起こした自衛艦候補生は指導員に怒られたことを恨んで「脚を撃ってやろう」と供述している。後の二人は巻き添えである可能性がある。1名は亡くなり1名は怪我をしている。NHKによると「本命」である52才の教官との間に25才の人がおり「たまたま間にいて邪魔だった」ために撃たれている。起きたことの重大性と同期の間に乖離があることから自分の行動によって何が引き起こされるのかがわかっていなかった可能性が高いように思える。

自衛隊の中にも警務隊があるが自衛隊は事件後すぐに110番通報をした。今後の捜査は県警と自衛隊の警務隊が合同で行う。

陸上幕僚長と防衛大臣は「起きてはならないこと」が起きたと謝罪した上で再発防止策を約束している。同様の事件は39年前にも起きているそうだがこの時には「心身喪失・不起訴」で処理されている。

今回の事件に遭遇した自衛隊員たちはショックで泣き崩れているという。つまり自衛隊内部でもこのような事態は想定されていなかった。

背景情報としては週刊誌が「素行が悪い」と書いているが毎日新聞は「ムードメーカーだった」と書いている。少年として扱われるか名前が出るかはこの後決定される。まずは家庭裁判所に送られる。殺人事件の場合「逆送」と言われて刑事裁判プロセスに載ることが多いそうだ。「重大事件にもかかわらず匿名報道でいいのか」と疑問視する声は既に上がっているが、特定少年には一定の保護があり逆走して刑事裁判プロセスに乗るまで実名は報道されない。

ここまではあらましだった。あってはならない事件という前提のもと再発防止策に関心が集まり少年の早期実名報道を望む声があると言った具合である。「反社会的な動機を持った軽率な少年一人の問題」として処理されようとしているということになる。

この件でおそらく語られないことが一つある。それが構造的な背景だ。

それは「銃火器を扱っている以上こういう犯罪行為が起こる可能性がある」という点だ。日本にはこれを裁くための法制度も専用の裁判システムもない。軍事法廷がないことは憲法改正賛成派の人たちが「憲法を改正しなければならない」と訴える根拠になっている。軍事行動の結果一般市民を撃ってしまった場合に一般法廷で殺人罪で裁かれることになる。これを「素人裁判だ」と嫌う人たちがいるのだ。護憲派の人たちはこのようなことを語りたがらない。そもそも憲法に手を触れさせてはならないと考える人が多い。

しかし改憲派の議論において自衛官のあくまでも「善意の人」として扱われている。「普段から誰かを撃ってやりたい」と考える人や有事で人が足りない中「軽い気持ちで小銃を持ってみました」という人が混じっていて実戦で市民を撃つということは十分に可能性として想定される。

おそらく有事という極限状態を一般法廷は処理できないだろうが防衛力を拡大したい改憲派はこのような事態を想定したがらない。

そもそも護憲派もこの問題については触れたがらないだろうからつまりこの「軍事法廷」の件が今回語られることはないだろう。

日本には「自衛隊が火器を持っている以上は何かをしでかす可能性がある」という立場から改憲を訴える人たちはいない。こうした事態は「あってはならないこと」として処理され「再発防止に努めます」で終わってしまう。あってはならないことなのだから議論の俎上に上げただけで「不謹慎だ」とバッシングされることになるだろう。

このことについて公式の場できちんと触れた政治家に民主党系の仙石由人官房長官がいる。この時には自民党などの野党から猛抗議され発言は撤回された。軍事・防衛に詳しい石破茂さんは「内心すごく尊敬した」と言っている。

政治家ですら語ることは許されないのだから「全ての軍事訓練は殺傷訓練である」と指摘するのは日本ではタブー中のタブーである。このためこれが議論されることはないだろう。

陸上幕僚長や防衛大臣などは「あってはならないこと」と繰り返し、NHKは「普段の訓練ではきちんと安全確認をしていた」とことさらに強調している。

だがおそらくこれが今回の事件が起きた根本的な要因の一つであろう。自衛官の成り手は減っている。日本は第二次世界大戦後戦場になったことがないので軍事行動で人が亡くなる可能性があるという実感を持っている人は少ない。一方でゲームやフィクションで「銃」について知っていて興味がある人はたくさんいる。こうした環境でどのように任期付自衛官を集め続けるかという点が問題になる。

直接的に現場の本音が語られることもないのだろうが、今回事件を目撃した人たちの動揺を見ると大体のことがわかる。泣き崩れる人がいたことから周りの人たちも「小銃で人が死ぬ」とは思っていなかったようである。事件を起こした少年も「まさか死ぬとは思っていなかった」可能性がある。

今回の一件からも自衛隊員とは尊い仕事だが扱っている武器には重大な殺傷能力があると最初に徹底して教えておくことは極めて重要であるということがわかる。このため「きちんとした軍事裁判」が行われ違反した人たちは厳正に処分されると言いたいところだが憲法改正も法整備も行われていない。社会はそのような「汚れた」議論はやりたがらない。にもかかわらず有事の自衛隊に期待される役割は拡大しており防衛費の増強の議論も始まっている。自衛官の処遇や人材育成ではなく装備に関心が高い人が多いようだ。日本の防衛のためのどうやって人を育てるかよりも「誰から武器を買うか」のほうが間に立つ政治家にとっては「旨味」が大きいのだろう。

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