山本太郎参議院議員が安保法制について質問に立った。これに対して池田信夫氏が「山本太郎は左翼が知識層であるというイメージを粉砕した」と指摘した。これが左翼にダメージを与えたのだという。この指摘は当たっているのだろうか。
池田氏が指摘するのように、山本太郎議員が「バカ」なのは確かだろう。左翼勢力に対する破壊につながったのも確かかもしれない。しかし「バカ」というのは実に恐ろしいものである。
山本太郎議員は今回の質問に際して専門家の意見を聞いているようだ。これは「バカ」すなわち知識がないからである。結果的に自衛隊が人道復興支援名目で米軍兵をイラクに輸送したことを安倍首相から聞き出した。このときの法整備では米兵の輸送は主目的ではなく「など」という例外的な扱いだったのだという。
今回の安保法制では「一般に」という答弁が多い。これは例外があることを想起させる。山本太郎議員の質問を照らし合わせると、あらゆる抜け道を使って、アメリカ軍の行動を(それが例え違法ぎりぎりだったとしても)黙認する可能性があることが、直感的に分かる。
さらに「バカ」なので、後先を考えない。これは民主党と違っている。民主党は安保法制に対してバラバラな意見を持っており党内がまとまらない。さらに野田政権下では集団的自衛権行使容認について議論したこともある。だから「対案が出せない」のだが、拳は振り上げて見せる。これがどうしても「お芝居」に見えてしまう。国民の支持が広がらない一因だろう。
山本太郎議員がバラエティ番組なら、民主党の行動は歌舞伎に似ている。残念ながら視聴者が引きつけられるのは伝統的な歌舞伎ではなく伝統芸能が「バカにする」バラエティ番組だ。
インターネット前の時代であればこうした「バカ」は選挙には受からなかっただろう。テレビや新聞の「賢い」人たちがフィルターアウトしてしまうからだ。ところが、インターネット時代では、有権者と「バカな」候補者が直接つながる。そして永田町で「バカの目」で疑問を抱き、専門家と直接つながることもある。それをネット上の「バカ」たちが直接視聴するのである。2013年の東京選挙区にはこの「バカ」な議員に共感した人が65万人もいるのだ。
山本太郎議員の2日間の質問を見ていると、つい「応援したくなる」なってしまう。それだけ複雑で「賢い」議論に疲れ果てているのだろう。議論が硬直化し複雑化しても内部からでは気がつきにくい。そこに「バカ」が置いてあるだけで、システムのほころびが否応なく浮かび上がるのだ。これが「バカ」の破壊力の一番大きなものだろうなと思う。
この破壊力が「良いもの」か「悪いもの」かは分からない。多分、それは結果論でしかないのだろう。