麻生さんが「ナチに学んで憲法をこっそり改憲せよ」と主張したというニュースを聞いたときには、たいして驚かなかった。「ああ、またか」と思ったからだ。
この問題で検索したところ、BBCの記事が見つかった。BBCは日本の副首相麻生太郎がナチコメントを撤回と題する記事の冒頭で「月曜日には、副首相の麻生氏は平和憲法を変えるためにはナチのテクニックに学ぶべきだと主張し、木曜日に撤回した」と書いている。確かに間違いではないが、平和憲法とナチを引き合いに出す事で、あるニュアンスを与えている。そのあとご丁寧にも「ナチが憲法を停止したのは非常事態下でのことだ」という解説を加えた。つまり「日本の政治家はヨーロッパの歴史なんか知らないのだろう」というイメージも持たせてある。
ノーマン・デービスの『ヨーロッパ』によると、第一次世界大戦の賠償で疲弊したドイツ経済は大恐慌で完全に混乱状態に陥った。議会は長らく少数分裂状態が続いており、多数派を形成できなかった。そんな中登場したのがヒトラーだ。ヒトラーは国民を「説得」し、複雑さに耐えかねた国民はそれを受け入れる。大統領も最初はヒトラーを利用して混乱状態を切り抜けようとしていた。結果的に、憲法は停止され、ドイツは暴走を始めた。ワイマール憲法自体は改訂されなかったので、第二次世界大戦に負けるまで存続した。
ただし「複雑さに耐えかねた」のはドイツだけではなかった。ロシアでは共産主義が台頭し、イタリアとスペインにはファシスト政党が出現した。自分たちだけが科学的だと信じ、敵を設定して、国内の不純物を除去しようとした。また、どの政権も目的を達成するためには暴力的な手段の行使もいとわなかった。
だから麻生さんの発言に従って、ナチを手本にするなら、憲法改正などというまどろっこしい手段は取らないで、自民党に全権を渡すように大衆を煽動すべきだということになる。
自民党の幹部たちが本音ではどう思っているかは知る由もないのだが、表向きは麻生さんの親切な提案には乗らなかったようだ。ご本人たちは意識していないようだが、自民党政権が「複雑さに耐えかねて」いるという点は似ている。麻生さんの発言を読むと「静かにやりたい」という点が強調されており、静かにならないのは、野党やマスコミが騒ぎすぎるからだということになっている。安倍首相は衆議院・参議院選挙を通じて「国会がねじれているから」(つまり状況が複雑だから) 問題が解決できないと主張し、概ね受け入れられた。
自民党とナチス党や共産党との違いは、自民党が「<理論的>で<科学的>な理論の整備」を行っていないところだ。また、国民が感情的に追い込まれていないという点にも違いがある。さらに情報環境の違いもある。現代の情報環境は雲の巣状になっていて、誰か一人が煽動しても必ずチェック機能が働いてしまう。
麻生さんの発言自体は「無邪気」なものなのだろう。彼が一人で考えた物語だ。中にはかなり危険な思想も含まれるが、それは「暴れた馬を乗りこなす」ような喜びにあふれているのかもしれない。そして思いついた話を誰かに聞かせたくてたまらない。
個人で着想しているぶんには何を考えても構わない。危険な発想も面白いかもしれない。ところがいったんそれを口にすると、それぞれの受け手が、それぞれの状況で勝手に解釈してしまうので、話がややこしくなる。結果として「静かに改憲したい」と考えた麻生さんが騒ぎを作り出す結果になってしまった。
麻生さんは楽しい人だが、時々中途半端な知識をひけらかし回りをあぜんとさせる。彼は財務大臣と金融担当大臣を兼務しているので、大きな国際会議で世間を騒がせるようなことがあれば、たちまち国債などの価格に影響を与えるだろう。大切な会議の場では官僚たちに押さえられて、お話の才能が発揮できないとイライラを募らせていたのかもしれない。エンターティナーとしての才能をいかんなく発揮していただきたいところではあるが、できれば飯塚あたりで小説家になっていただいた方がよいのではないだろうか。
しかし、この議論が無駄だったということにはならない。我々がこの一連の議論から学んだことはいくつもある。国家権力は、国民に制限されることなく自由に国家権力を行使したいと考えるようになるという点。そうした権力の暴走から国民を守るのが憲法だという点。さらに、日本人はそのような憲法を自分たちだけで作れなかったということだ。今回さらに、国会が混乱すると複雑さに耐えかねた国民が「憲法を停止してもよい」と容認することもある(時事ドットコム「民主政体でなぜ独裁?」)という点を学んだ。
その点では自民党というのは「憲法のありがたさ」と「合意形成の大切さ」を教えてくれる立派な教師のようなものだといえなくもない。