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TPPについて考える前に「世界経済」についておさらいしてみてはいかがですか?

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TPPについて考えるべきポイントはいくつかある。実際には農業も大きなファクターなのだが、今回は除外した。農産物のだぶつきにより価格が低迷し、その後の飢饉で農家が壊滅的な打撃を受けるということがなんどか起こっている。

  • ヨーロッパの戦争と戦間の平和な時期が景気の循環を作っている。それを次第にアメリカ合衆国が引き継いだ。戦争は次第に大きくなり、最終的に世界大戦に拡大した。戦争は破壊をもたらし、その後の需用を喚起する。しかし行き過ぎた需要喚起は在庫のだぶつきを招く。ただし、内戦や恒常的に続く戦争は需要喚起には役立たず、単に経済を悪化させる。
  • 戦後の安定期に蓄積された富が投資先を失い、一つの分野に殺到するとバブルが起きる。これが破裂すると金融システムが不安定化する。しかしその影響は、先進国と新興国で全く異なっている。
  • 経済に自信がある国は自由貿易を指向する。場合によっては周辺国を恫喝したりして、自由貿易に引き入れる事がある。しかし、それはやがて「周辺の」後発諸国から反発を受け、ブロック経済化をもたらす。
  • 理念と現実の間にはタイムラグがある。ときに深刻な状態をもたらす。
  • 100x100アメリカは過去の記憶から自由貿易に自信を持っているようだが、実際には赤字が累積している。逆に日本は過去に製品貿易では黒字を出している。つまり、自由貿易が拡大するとこの不均衡も再拡大する可能性がある。これはアメリカには不利だ。日本人の貯蓄がアメリカに吸い取られるのではないかという懸念もあるが、貯蓄の所有権が変わる訳ではないので、却って貸し手である日本への依存度が高まることが予想される。また過去の実績としては2000年の大規模小売店舗立地法(新大店法)がある。アメリカの圧力によるものとされており、実際に外資系小売りが市場参入したが選り好みが激しく、高い(ときには過剰な)サービスを期待する日本人の消費者は外資系小売りを受け入れなかった。だから、アメリカがどうして自由貿易を推進したがるのか良くわからない。例えば、アメリカは公共事業や政府調達から外国製品を排除しようとしている(バイ・アメリカ法)のような保護主義的な動きもある。つまり、アメリカには保護主義と自由主義の2つの流れが存在する。自由貿易主義が行き詰れば、選挙による政権交代が起こるだろう。

イギリスが自由貿易を指向 – 非公式帝国を作り上げる

フランス革命の後、ナポレオンが出現し、ヨーロッパは全面戦争に入った。戦費出費で疲弊したイギリスのポンドが暴落する。ポンドの暴落を防ぐ為に1816年にイギリスは金本位制に移行した。しばらくイギリスの銀行は混乱するが、ロバート・ピール内閣のもとで銀行法が成立し、イングランド銀行が中央銀行となった結果安定する。
ナポレオン戦争後、ウィーン体制の元でヨーロッパは安定する。長期的に見ると民族主義や自由主義運動を押さえきることはできなかったが、それでもフランス革命以前の安定した状態が戻ってきた。
イギリスはビクトリア女王の時代に入り、イギリスは自由貿易主義を採用した。主要な輸出品目は綿織物や鉄鋼などだった。各地の関税を引き下げて、軍事力を背景に港を確保した。当初、イギリスは中国に対して貿易赤字を抱えていたが、アヘンを売り込む事で貿易不均衡を解消する。その後「麻薬を売り込むな」と主張した清に対して戦争を仕掛け、逆に中国の一部に権益を確保した。1838年にトルコ=イギリス通商条約が結ばれ、既に弱体化していたトルコの市場がイギリスに解放される。このような「自由貿易」の結果イギリスは繁栄し、中間層や富裕層が生まれる。
好景気を背景にして、農業が好調となり工業生産も急増した。また、ヨーロッパ各地では人口が増え始めた。ロイターのこの記事ではこれを第一次グローバリゼーションと呼んでいるようだ。つまり現代のグローバル化は第二次だ。

約50年で経済が過熱し、その後で大不況に

しかし、好調は長くは続かなかった。1848年にヨーロッパ各地で革命が起こる。19世紀の後半になると供給が過剰になり、農産物や工業製品の価格が値崩れして大不況が起こる。不況のあおりで資金需用が低迷し、英国債の利回りが低下する。イギリスからの借り入れに依存するようになっていたオスマントルコはこの時に財政破綻した。余剰資金は海外に流れ出した。例えば、新興国のアルゼンチンは好景気に湧いた。
自由貿易は徐々にブロック経済化に向かい、アジアやアフリカに各国の経済圏が作られるようになった。日本はこのころ開国した。ドイツは統一に向かうが植民地獲得戦争には乗り遅れた。結局、ドイツ、オーストリア・ハンガリー、トルコは第一次世界大戦を起こして、西のイギリス、フランス、東のロシア帝国と対抗することになる。第一次世界大戦は1914年に始まって1919年に終った。

第一次世界大戦・アメリカの好景気・大恐慌

20世紀の初頭にはアメリカで好景気が起きていた。アルゼンチンは引き続き好調で、アメリカ合衆国も順調だった。第一次世界大戦向けの輸出が好調であり、重工業への投資も順調だった。株式市場も過熱した。第一次世界大戦後はヨーロッパの工場が破壊されたせいで、アメリカ合衆国の比較優位は拡大する。
実際には在庫が積み上がっていたにも関わらず、投資は過熱しつづけた。結局、1929年に株価が暴落した。これが大恐慌だ。各国に影響があったが、当時世界第五位の富裕国だったアルゼンチン経済はここで破綻した。モノカルチャと呼ばれる極度の農業依存であり補完産業がなかった。また資金供給を外国に依存していたことも崩壊を招いた原因だった。
金本位制から離脱する国が増え、ブロック経済化が進んだ。戦後補償で追い込まれたドイツは、大恐慌が最後の一押しとなり、憲法が停止されて狂人が国を支配することになった。麻生太郎さんが「真似をしてみては」と言っているのがこの時の状況だ。日本は中国大陸に遅れて進出したが、経済的な包囲網を敷かれて追い込まれた結果、第二次世界大戦に突入した。

第二次世界大戦・戦後体制・アメリカの貿易不均衡

結局、第二次世界大戦で日本は敗戦したが、その後海外からの資金調達を受けて復興して再建を果たした。各国の海外植民地は独立を果たし、ブロック経済は自然消滅した。ドイツと日本は経済が好調になり、投機が殺到する。両国はドルを買い支えて暴落を防ごうとしたが、支えきれなくなる。またアメリカでは1970年に不況が始まり、歳出が増大した。財政支出の増大が予想されることから、アメリカは1971年に金本位体制を停止した。これをニクソンショックと呼ぶ。しかし、その後もアメリカの財政赤字は増え続けた。一方、日本では外資によるバブルは起こらなかったが、国内の資金の行き場が土地などの資産に向い大幅なバブルを引き起こした。1980年代半ばから1991年まで続いた。これが弾けて以降、失われた20年と呼ばれるようになる。

共産圏の自由経済圏復帰と新興国経済

一方、ソ連が1991年に崩壊し、自由主義経済ブロックに復帰した。中国も「改革開放路線」で国内市場を開放したために急激な成長が起きた。まず1980年に特区が作られ、次第に拡大した。インド経済も徐々に市場開放を進めており、最近では「総合小売りが解放される」ことがニュースになったばかりだ。このような経済を「新興国経済」と呼んでいる。ブラジルも資金が少ない新興国だが、1993年に2500%のインフレを記録した後、高度成長に転換した。これらの国をまとめてBRICSと呼んでいる。
これまでの流れを概観すると、日本、アメリカ、ヨーロッパの金融市場不調よりも、新興国由来の金融パニックの方が「時代の区切り線」にはふさわしい。しかし、今のところその兆候はない。


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