先日、公明党と自民党の「全面戦争」について書いた。都連レベルの揉め事だととらえた上で、公明党と萩生田自民党都連の会長という構図を作り創価学会と萩生田さんを取り持ってくれる人がいないようだという筋書きにした。TBSの「ひるおび」はこの問題に別のアプローチをしていた。そもそも都連レベルの話ではなく自民党と公明党レベルの話なのだという。番組を見ていて驚いた。どう話を聞いても「政党間談合」をやっているようなのだがその談合が「悪いこと」とは見做されていないようなのだ。誰も怒っていない。この番組を見ていて思ったことがある。これは小選挙区制度特有の問題だ。今回は石井幹事長が「信頼関係は地に落ちた」と派手に情報発信してしまったことで小選挙区制度の問題が浮き彫りになることになったのだ。
まず小選挙区制度の問題点について考える。弊害は2つある。
- 捨票・死票が増え民意が反映されなくなる。日本の場合、反映されなくなった「民意」は選挙に興味を持たなくなった。
- 人口ごとに厳密に選挙区を割り振る必要があり、人口構成が変わるたびに選挙区調整が必要になる。
日本の場合1が政権与党に有利だったために小選挙区制の弊害が語られることはなかった。ところが2の弊害が出てきた。地方で選挙区が減るとその度に「選挙区調整」という名前の利害調整が必要になる。これに与党の政治家たちがついてゆけなくなりつつある。
小選挙区制度が成立するためには「候補者選定の透明化」が求められることがわかる。そもそも候補者擁立の時点から選挙は始まっているのである。
「ひるおび」に出演した毎日新聞の佐藤論説委員の解説ををまとめる。内容は前後するが整理すると次のようになる。
大阪で維新が勝った。これまでのように公明党に気を使う必要がなくなったため選挙協力が中止されるだろう。大阪・兵庫は「常勝関西」と呼ばれる公明党が強い地域だが、それでも最近は「維新が候補者を出さない」ことで当選できる状態になっていた。選挙協力がなくなるとこの議席を維新に奪われる可能性が高い。比例でも公明党の議席は減っていることから集票力の衰えは隠せない。
そもそもこの状態が小選挙区制度の弊害だ。「反映されなくなった民意」は政治家を自分たちの代表だと考えられなくなった。特にその動きは多様な価値観を持つ都市部で顕著だった。このため維新の「政治家は何もしていないくせに利権だけを貪っている」という主張が有権者に響くようになった。
さらに佐藤さんの解説は続く。そこで公明党は東京の小選挙区での議席獲得を目指し、公明党が強い東京29区(荒川・足立)と東京28区(練馬東部)を要求した。東京には5つの新しい選挙区ができるが、このうち3つは「自民党」で2つは「公明党」というわけだ。どの区でもいいというわけにはいかず出来るだけ創価学会が強い地域がいい。
ところが自民党側がこれに反発した。自民党は「地方の選挙区は自民党の議席だった」のだからそれがそっくりそのまま自分達のものにならないとおかしいというわけである。もともと29区で緊張状態にあったが28区でついに「亀裂が表沙汰」になったという。
東京29区の現状がよくわからないので調べてみた。この地区は元々北区と同じ選挙区だった。太田昭宏さんという公明党の重鎮の地盤だったが若手に引き渡された。ところが分区になり後継者は「どちらか」を選ばなければいけなくなり北区ではなく足立区を選んだそうだ。足立区区議選挙では公明党は全面勝利し自民党からは落選者が出ている。
テレビ東京のYouTubeでは自民党都連の高島幹事長の地元が足立区だったと説明している。「自民党都連幹部の地元を公明党に明け渡したくなかった」というわけだ。一方で公明党側は「有利な方を選んだ」と考えている。そこで「高島幹事長がゴタゴタいうならもう応援してもらわなくても結構だ」ということになったのだ。これが12区と29区の騒ぎの顛末だ。
15区は柿沢未途氏の地元だ。この人は自民党の公認なしでも勝てる可能性がある。そもそも民主党を皮切りに色々な党を渡り歩いていて今はたまたま自民党にいるというだけの人である。執行部は「柿沢さんを公明党がなんとかしてくれるのなら」とこの面倒だが選挙には強い候補者を押し付けたことになる。公明党はこちらも拒否した。
さらに公明党は千葉で候補者を立てようとしたが千葉5区の補欠選挙に注力したいからという理由で諦めさせられたのだと説明している。事情がよくわからないのでこの主張に正当性があったのかは判断が難しい。「事前談合」が横行していたわけだが恨みも募っていたようだ。
表立って選挙区内で「候補者公募コンペ」をやればおそらくこんなことにはなっていないだろう。だが日本の政治はなんでも「ウラ」で手を回したがる。10増10減で大規模な区割り変更が起きたためにこの「ウラまわし」が間に合わなくなりゴタゴタが表沙汰になったのが今回の騒ぎの原因のようだ。
佐藤さんの話を聞いていると「ああ確かに小選挙区というのはこういう制度なのであろうなあ」とか「党勢を維持するためには仕方ないのだろうなあ」という気がする。佐藤論説委員は話が上手な人なので「ああそうか、わかりやすい構図があるんだなあ」と納得してしまうのである。
だが、やはりこれは「政策コンペ」なき政党間談合に過ぎない。では政策論争なき候補者選定は有権者の害になっているのか。「いやそんなことはない」と言わざるを得ない。失われた30年の中で有権者は政治に期待しなくなっている。
日本の極めて特殊な小選挙区制度は明らかに「投票を通じても政治に参加できない」と考える有権者を増やした。彼らは政治家と距離を置き政治家の説明を聞かず懲罰的な行動に走ることがある。大阪での維新の躍進を見ているとそのことがよくわかる。民主党が一時政権を取った時と同じような状態だ。政治不信がじっくりと進行しているために「今更参加しろと言われても困る」という人が多いのかもしれない。
つまり実質的に困らないのだから別にいいではないかという気もする。
与党体制が盤石であった時代には問題は起きなかった。地方政策に失敗し東京などの一部地域に選挙区が集中し、なおかつ高齢化により公明党の集票力が衰えたことで、問題が表面化したのである。軋んでいるのは与党であって有権者は冷ややかにこの状態を外から眺めているだけである。
つまり今回の問題は「政治家が自浄作用を働かせてこの状態を修正することができるか」にかかっている。自民党と公明党は再協議をやるそうだ。なんらかの妥協案が成立するのかもしれない。
萩生田政調会長は「こんなことはやっていられないから憲法を改正してなんとかすべきだ」といい出した。選挙にあまり強いとは言えない上に都連の責任者として「火元」になっている政調会長が「これは全て選挙制度のせいで憲法がいけないのだ」と主張しているということになる。
かつては政治と金の問題で政権を手放した自民党だが、今回は自らが主導して導入した小選挙区制度に潰されようとしているのかもしれない。議会内部の「目障りな勢力」を一掃したつもりだったのだろうが、外部に冷めた目を持つ有権者を増やしただけだったのだ。