G7広島サミットが終わった。岸田総理は広島で非核化に大きな一歩を踏み出したということにしたいようだった。マスコミもそれにおつきあいし予定調和的な閉幕を迎えるはずだった。ところが予想もしない出来事が起きた。記者の一人が「逃げるんですか?」の叫び岸田総理がそれに「応戦」したのだ。この「逃げるのか」と聞いた記者のTwitterも特定されている。最後の一言できれいに終わるはずだったショーがぶちこわしになったと感じた人もいるかもしれない。果たしてそうなのか。
G7広島サミットが終わった。表向きのテーマは被爆地選出の岸田総理が自らの名前を「非核化に踏み出した偉大な総理大臣」として歴史に刻むことだった。だが実際のテーマは中露抜きで世界は結束してゆこうというアピールだった。このため一足早く出された首脳宣言は入り混じった構成になっている。ウクライナ、非核化、開かれたインド太平洋という順番になっている。
もともとダブルメッセージになっていて、岸田総理が打ち出したかったメッセージがゼレンスキー大統領訪日を仕掛けた人たちによって上書きされるのを避けたかったのだろうとする説明が多い。
非核化は「全世界の非核化」とも受け取れるが「ロシアの核兵器使用は認めない」とも受け取れる構成になっている。
日本では「全世界の非核化」と説明されるだろうが、加害国のアメリカはそれを受け入れることはできない。そこで「ロシアの核兵器使用は決して認められない」という意味だと説明できるように工夫されているのである。おそらくそれは力技であった。そのためにゼレンスキー大統領はサプライズで広島にいる必要があり、従ってバイデン大統領も広島にいなければならなかった。
ただ、これは外交上の駆け引きであって特に騒ぎ立てるようなものではない。むしろ今回は徹底した国民の無関心ぶりを心配すべきなのかもしれない。
今回の件で「最も残酷だ」と思ったのは国内の記者の「ところで衆議院は解散するんですか?」という一言だった。国内記者もまた岸田総理の宿願には全く興味がない。儀式化している野党の不信任決議案を引き合いに「不信任決議案は大義になりますか」と聞いていた。日本の政治記者たちの関心事は政局にしかないのだろう。
核廃絶を訴える人たちも今回のサミットには批判的だった。岸田総理の外交政策について分析したTIME誌の記事にも被爆者代表として取り上げられたサーロー節子さんも、失望した・失敗だったと評価している。読売新聞はまぶたをぎゅっと閉じた無念そうな表情を伝えており心を打つ。
表向きこのG7サミットは大成功だった。中露を念頭にG7の結束はいつになく堅牢なものに見えた。広島のお好み焼きやもみじ饅頭なども首脳に披露できた。厳重な警備のおかげで目立った事故も起こらなかった。
だが、人々の心はどこかそぞろである。「原爆ドーム」を目の前にして実は少ない例外を除いては誰もそれを見ていないのである。
おそらく岸田総理は内心ではそれを感じていたのだろう。
ところが最後に一つ「事件」が起きた。
NHKは事前の質問数を知っていたのだろう。終わってから担当者が総括を始めた。この後は大相撲を放送しなければならない。するとしばらくして司会者が慌てて「まだ終わっていないようです」と総括を静止した。予定外の出来事に慌てている。カメラが切り替わると岸田さんはなにやら早口で何かを捲し立てている。司会者も総括担当者も何が起きたのかよく掴めないようだ。予定調和的にきれいにまとめようとしていた。「日本はG7の中心でよく頑張った。これでしばらくは安心だ」ということにしたかったはずだ。それが崩れそうになった瞬間だった。
ロイターはこの時の総理の苛立ちをこう書いている。結局これが今回の極めて予定調和的に進行してきたショーのエピローグになった。
ネットではこの記者のTwitterを発見した人がいる。尾形聡彦さんというひとだそうだ。Arc Timesの代表者だそうだがEx-Asahiと書かれているので朝日新聞の出身ということになる。尾形さんの指摘によるとやはりシナリオがあったようだ。ホワイトハウスをWHと書いている。
官邸が事前にシナリオを決め、それを日本のプレスも外国プレスも容認しているのはあまりにもおかしいと思います。WHでの大統領会見などG7の首脳会見に私は何度も出てきましたが、日本の首相記者会見は、G7で最低だと感じます。
尾形さんが記者会見をぶち壊しにしたとも言えるのだが別の見方ができるかもしれない。代表質問の記者やNHKの態度から「どうせ儀式なんだから適当に形だけつくっておけばいい」という態度がうっすらと透けて見える。唯一気になるのが総選挙である。選挙報道のために予算を確保しなければならないし夏休みをずらす必要もあるかもしれない。外国の記者たちも「どうせ非核化には進まない」と考えていだろう。日本にはそんな外交的影響力はない。
だが岸田さんも「確かに限界はあったが私はやれることはやった」と言いたかったのかもしれない。形式上は「確かに成功だった」とみせなければならないのだろうが、おそらく複雑な思いもあったのではないか。
つまり最後の4分間だけが岸田さんが「本当に言いたかった」ことかもしれないのだが、マスコミはもうそんな面倒な対応はしたくないので与えられたオシゴトだけをやって終わりにしようとしていた。
「ジャーナリストが何をする人なのか」は人によって定義が異なるのだろうが、唯一ジャーナリストとして仕事をしたのが尾形さんだったのかもしれないということになる。