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立憲民主党がジャニーズ事務所の「ハリボテ記者会見」の政治事件化を試みる

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「ジャニーズ事務所が性被害問題で謝罪をした」としてニュースになった。ただ記者会見対応はできず「記者会見風」の文書の公表にとどまったようだ。「共犯」のテレビ局・雑誌社はこの記者会見風の文書を読み上げ「報道しましたよ」という実績を作る。テレビ局もまた「事件をあえて伝えない」という風評にさらされておりなんらかの対応が必要だった。一方で立憲民主党はこの件について被害者たちと面会し政治問題化を図りたいようである。このところ政治問題でスルーされることが増えた立憲民主党も「耳目を集めるネタ」探しに苦労しているようだ。

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記者会見風に見立てたPR素材を流したジャニーズ事務所の対応を見て「ハリボテ記者会見だな」と感じた。マスコミはこのハリボテをなんとか本物らしく見せようとしてそれぞれの立場で奮戦している。おそらくネット世代は「これが大人が対応できる限界なのか」と極めて冷めた目で見つめているだろう。

そんなドタバタした印象がある。

もともとこの事件を最初に伝えたのは文春だった。ジャニーズ事務所側から名誉毀損裁判を起こされるのだがここで事実関係の一部が国から認められる。ただ裁判が行われたのは1999年である。

売上をジャニーズ事務所に依存するテレビと雑誌はこの問題を20年以上もスルーしジャニーズのタレントを起用し続けたことになる。

風向きが変わったのがBBC報道である。ハーヴェイ・ワインスタイン氏の事件(MeToo運動)などをこれに重ね合わせたのだろう。日本では従前「セクハラ」と言われていたが「性被害」に格上げされていた。ジャニー喜多川氏はこの中で神格化された捕食者(プレデター)と表現されている。

日本社会はこの問題を無視していたが実名で外国人記者クラブで記者会見を行う。さらにファンの団体が署名活動を始め16,000筆の署名があつまったことで事務所側も無視できなくなったようだ。

ただ対応はかなり残念なものだった。「隠蔽している」とまでは思えないが現実に対応できていないことがよくわかる。

これまで広報が書いたシナリオを事前に準備しそれを報道させるという対応に終始してきたために記者会見で不測の事態が怒るのを避けようとしたのだろう。記者会見風のビデオと文章を用意しそれをマスコミに流させるという手法が取られた。この全文は単なるPR素材だがそれを流したことで「報じた」ことにできる仕組みである。

創業者姉弟は亡くなっているが広報担当者はまだ昔の人がいるようだ。松谷創一郎氏は広報担当の白波瀬傑副社長の責任について言及している。おそらく旧世代の人たちが新しい時代についてゆけていないのだろうという含みがある。

そもそもSNSや海外の報道がコントロールできないことで事態がここまで拡大していることを考えると、ジャニーズ事務所のマネージメント手法が完全に時代遅れになっていることがわかる。

SNSも問題掘り起こしの一翼を担っている。博報堂の「広告」の不自然な表現が掲載されるようになったやり取りの内容がnoteで書かれ広く流通している。それを文春が伝えることで世間に広く流通するという流れができているのである。

こうしてこれまでのジャーナリズム慣行とは無縁だったネット世代に「事務所と業界は共感関係だった」ということがじわじわと周知されてゆくという流れができ始めているようだ。おそらく旧世代の人たちはこの問題を「水に流そう」とし、新世代はじわじわと離反してゆくだろう。

一部のキャスターたちは「ジャーナリズム離れ」が進行することを恐れているのだろう。TBSには私たちは伝えてこなかったと鎮痛な面持ちで事件を伝えていた番組もあるそうだ。だが大方の局は単にジャニーズ事務所が準備したPR素材を朗読するだけだった。中にはジャニーズのキャスターを隠して報道を継続したテレビ局もあるようだ。有働由美子さんは「迷いなく夢を見続けられるようにして」と要望しているがそれは無理であろう。

テレビ局も「ハリボテジャーナリズム」に過ぎないことが露呈してしまったといえる。ただ、昭和の時代はこうした「ハリボテ」でも構わなかった。その裏側を暴露するようなSNSがなかったからだ。

現在ジャニーズ事務所のタレントを使っている企業は影響を懸念しているそうだが、多くの日本人はこれをスルーするのではないか。そもそも人権問題に関心のある消費者が少ないうえに「舞台裏の汚いところは見たくない」という人が多いはずだ。

立憲民主党がこの件について「政治事件化」しようとしているようである。16日に国会内でヒアリングを行うという。立憲民主党は政党としてはほとんど考慮されない状態になっている。現状維持は自民党と公明党に期待が集まり改革の担い手としては維新が注目されている。ここは世間でバズっている話題に取り組むことで認知度を上げたいのかもしれない。だがこの戦略には危険性も伴う。よく考えてから取り組むべきだ。

第一に国民はこの問題をできれば忘れたいと思っている。つまり「見たくないものを無理やり見せられた」と感じる人が増えるかもしれない。次に立憲民主党が「政治的認知度を上げるためにSNSで流行っている問題の後追いばかりをしている」という消極的で受け身な印象も残る。仮にそれでも取り上げたいなら「政治的に何を実現したいのか」をまず積極的に設定すべきだろうが、今の執行部にそれができるかどうかを考えるとかなり不安が残る。

考えてみればこれは「サーカス」のようなものだ。昔のサーカスの労働環境は劣悪だったろうが見た目は華やかだった。テントの裏側を見せられて「ほら中はこんなに汚いんですよ」などと言われても誰も喜ばない。誰かが宣伝のためにやっているとすればおそらくテントの裏側を暴いた人が非難されかねない。ただ、旧世代型の旅芸人風のサーカスは廃れてゆき演者をアスリートのように扱うところだけが生き残った。おそらく日本の芸能もこうして移り変わってゆくわけだ。立憲民主党は単にサーカステントの内側を暴こうとしているだけにも思われないようにしなければならない。

日本の民主党の政権奪取はアメリカオバマ政権の「Yes We Can」に大きな影響を受けている。LGBTQの問題はG7がきっかけになっている。今回のきっかけはBBCというガイアツだった。

「リベラル政党」を自認しながらも実態は労働組合に支えられている極めて内向きな日本の革新系政党が自らアジェンダをセッティングできないということが再確認できる。だがここはあえて積極的に「恥」の感覚がかろうじて日本を少しづつ前進させていっているということにしておきたい。

どう評価するかは人によって違うのだろうが、日本社会が「欧米先進国」からどう見られているのかを気にしていることだけはよくわかる。世間様に顔向けできないという感情が失われれば日本はおそらくもっと前進できない国になってしまうだろう。

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