日本のニュースと海外のニュースを読み比べると時々「日本が扱わないもの」が見つかることがある。ロイターが尹錫悦大統領の気になる発言を紹介している。日本が核協議グループに参加できる可能性があるというのだ。おそらく日本のメディアはこれをスルーするのではないかと思った。
各社の記事を読んでいて思わず二度見してしまった。何度見ても「核協議グループ」と書いてある。一応間違えないようにコピペしてみたのだがそれでも「誤報なのではないか?」と疑っている。
聯合ニュースも次のように書く。可能性を開いたということなので「韓国が親切にもドアを開けてあげた」というようなことなのかもしれない。どうやら誤報ではないようだ。
尹大統領は、先月の韓米首脳会談で採択された拡大抑止強化を明文化した「ワシントンン宣言」に盛り込まれた核協議グループ(NCG)新設に関連し「日本の参加を排除しない」と述べ、可能性を開いた。
はて、どうしたものか?と思う。
この問題を考える上で重要なことが3つある。1つは韓国の国民性である。議題が煮詰まっていなくてもあるいはそもそもそんな話がなくても「大丈夫、大丈夫」となる場合が多い。人にもよるのだろうがなんとなく気持ちが良くなって楽観的な見通しを述べてしまう人がいる。尹錫悦大統領は間違いなくそういう人なのだろう。韓国人のメンタリティを表す言葉に하면 된다(やればなる)がある。日本語では「なせばなる」と訳されることが多い。とりあえずやってみようというのが韓国式である。
もう1つは「事実上の核共有」がそもそも存在するのかという問題だ。
アメリカ合衆国は対北朝鮮政策に失敗した。トランプ大統領はノーベル平和賞狙いで板門店を跨いでみせたが北朝鮮の核開発は止まらなかった。韓国では不安が高まっており今でも「韓国は自前の核兵器を持つべきだ」という議論がある。BBCは「ランチタイムの秘密会議」の様子を伝える。要するに昼休みの世間話のことなのだが市民の間ではよく語られる話題になっているようだ。これを抑えるためにバイデン大統領は「一応事前に情報はあげますよ」として尹錫悦大統領に韓国世論を説得させようとしている。つまりもともと「事実上の核共有」などないのである。韓国メディアでは聯合ニュースがこう書いている。
た現実にないということと尹錫悦大統領の心象は全く別物である。大統領は「事実上の核共有」を勝ち取ったと思い込んでしまっているのかもしれない。自分がなんとか口利きをすればアメリカを動かせると信じ込んでしまっているというわけだ。つまりなんとなく気が大きくなってしまっているのだ。バイデン大統領も罪作りだと感じる。
最後に日本側の対応も注目したい。日本人はこの問題について別の心理的なアプローチを試みている。議論すれば不安になるだけなので「できるだけ考えないようにしよう」としている。もちろんリベラルから見れば「核共有への参加」など考えたくない話題なのだろうし、保守の側としても「韓国に頭を下げて核共有議論に参加させてもらう」などあってはならないことである。そう考えると、日本のメディアは「聞かなかったふり」をするのではないかと感じた。
時事通信のいくつかの記事を読んだ限りでは「プルコギが返礼だった」とか「日本の態度は変わらないが岸田総理は心を痛めている」など当たり障りのない報道が目立っている。あくまでも個人的なお付き合いの一環というような表現である。
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よく、韓国人については「反日的な態度」が話題になる。確かにそれも一面ではあるのだが、単に感情表現が豊かでストレートなだけともいえる。裏側には極めて楽観的な国民性がある。このため何事にも慎重な日本人はどちらかと言えばこの善意の方に振り回されがちになる。「思い切った約束をするということはかなり内部で考え抜いたのだろう」と勝手に思ってしまうからだ。
日本人の懸念している歴史認識で言えば、大統領が保証したからといってこれが最終決着になることはあり得ないだろう。国内世論がまとまっていなくても「俺がなんとかする」と言ってしまうからである。また「良かれと思って」アメリカに協議に参加できないか打診してあげるなどと言い出した場合もかなり面倒なことになりそうだ。アメリカから「日本も核兵器を自前で持とうとしているのか」などと思われかねない。
思い込みに基づいた親切ほど迷惑なものはないのだ。
大統領府前には賛成と反対の人たちが集まったそうだ。反対派は「なぜ単に謝るのがそんなに難しいのか」とお馴染みの主張を述べただけだった。一方で、賛成派は「日米韓同盟バンザイ」と賞賛したという。そんな同盟はないのだが、なんとなく「そういう気持ち」になっている人も多いのだろう。つまりそれは彼らにとっては「そういう同盟がある」ということなのである。
今回はこの問題がどういう形で取り上げられるのかに注目したいと思う。おそらくこの話題に触れるところは少ないと思うのだが、かえって日本人が考えるが口には出さない「変化に対する不安」が浮き出して見えるのかもしれない。