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「日本の教員たちは9,000億円分もの無料奉仕を強いられている」らしい

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特に大きなイベントがあるわけではないのだが、このところ教育問題について扱う新聞社が増えている。教育現場はかなり大変なことになっているそうだ。共同通信は「図書館の荒廃」を訴える。また日経新聞は教員に残業代を払うと9,000億円になるとしている。つまり日本の教員たちは9,000億円分の無料奉仕を強いられていることになる。おそらく予算の要求なのだろうが、財務省は「文部科学省こそ教師の仕事を整理しろ」と指摘している。

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共同通信が「日本には図書館がない学校がある」という短い記事を書いている。だがおそらく自分達で調べきれなかったのだろう。自前で数件見つけたようだがあとは読者に情報提供を呼びかけている。閣僚の「政治とカネ」の問題において週刊誌は収支報告書を丹念に調査していた。おそらくかなりの調査費がかかったはずだが政治家(とくに閣僚)の失職は「読者を呼び込める」ということなのだろう。だが教育環境の整備を訴えてもカネにはならない。公共や社会に対する関心は薄らいでいる。

読売新聞も「先生が足りない」という記事を書いている。現場はかなり危機的な状況のようだ。盛んに議論を訴えている。確かに内容を読むと「何とかしなければならない」という気はするのだが、とは言え「読者が議論してもどうにもならない」という気もする。

かつて日本の教員たちには「公への奉仕」という極めて強い自負心があった。「日教組」に見られるように一部は過激な要求もあったのかも知れないが、やはり「教師は聖職」という使命感の現れだったと考えてよいだろう。

ところがある時期から日本人は社会に対して訴えを起こすのをやめてしまった。結果、教師たちは疲弊してしまった。おそらくやる気になればなるほど消耗するという状態なのだろう。その惨状を間近で見ていた子供たちは先生を目指さなくなる。社会に対する反抗は実は必要だったことになる。

「やる気のある人ほど潰れる」という状態はPTAでも起きている。教育のための予算が足りないため学校は保護者に頼るようになった。

専業主婦が減っていることもありPTAの成り手が不足している。

日本の村社会には極めて陰湿な習慣を考えるのが得意な人たちがいる。以前紹介したことがある記事なのだが、PTA役員になれないと主張する親を公衆の面前に引き立てて「なぜPTAができないのか」と問い詰める儀式が広がっているとするルポもある。免除の儀式というそうである。こうしてPTA自体を解散したり規模を縮小する学校や地域も増えているようだが、その全体像はなかなか見えてこない。

現在政府で少子化議論が進んでいることになっているのだが財源の見込みは立っていない。茂木幹事長は有権者から反発を受けそうな増税を回避するために「基金を検討する」などと言っている。だが、場当たり的な印象は否めない。

そんな中、日経新聞が興味深い社説を書いている。新聞の立ち位置として決して政権批判はしないのだが「残業代を支給した場合9,000億円の財源が必要になる」と指摘している。

前回調査の勤務実態で仮に残業代を支給した場合、国と地方で約9000億円の財源が必要だ。国は今回調査に基づく試算も示し現実的な議論をする必要がある。一方、自民党は調整額を4%から引き上げ、部活動の顧問などに新たな手当を支給する案を検討する。

記事を読むと「ああそうなのか一兆円近いお金が必要なのか」と思うのだが、よく考えると今の先生は一兆円近くタダ働きさせられていることになる。日本の教育現場は教員たちの無償奉仕によって辛うじて支えられている。

財務省も「文部科学省の言い値」で残業代を支払いたくない。このため「国(文部科学省)が介入して先生の仕事を仕分けしろ」と提言している。教育新聞が「教員が担う必要ない業務、国や教委が強制的にでも整理を 財務省」という記事を出している。

ただこれらの記事はバラバラに出ている。つまり政府で議論した形跡がない。

教師は聖職なのだから24時間生徒・児童のことを考えるべきだとは言えない状態になっている。文部科学省はお金が足りないと言い、財務省は文部科学省こそ仕事を整理させるべきだとお互いに問題を押し付けあっている。岸田総理は「大胆な改革」という言葉を振りかざし、茂木幹事長は「増税も国債もナシ」として具体論を示さない。

こんな状況だ。

現代を生きる人たちは表立って政府に反抗したり批判したりしない。静かに足音も立てずその場から立ち去る。つまりそっと離反してしまうのである。こうして日本の教育現場は一部のやる気のある人たちを使い潰すことで音を立てずに徐々に崩壊しようとしているのかもしれない。

次世代人材の育成を国の基(もとい)と考えると日本の土台は大きく下から崩れていることになる。

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