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オーストラリアは憲法改正のためにここまでやっている

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憲法記念日に際して各社がアンケートをやっているのだが「政治家が先走っているだけ」という印象がある。つまりあまり憲法改正運動が盛り上がっているという実感はない。これについて考えていたところオーストラリアに憲法改正運動があることを知った。本当にやりたいのは共和制移行のようだがまずは賛成が得られそうな先住民の権利保護を組み込もうとしている。本当に憲法改正をやりたい国はここまでするんだなと感じた。つまり岸田総理や歴代自民党の憲法改正議論はそれほど本気の運動ではないということになる。だが、我が国の安全保障環境は大きく変わりつつあり「何も議論しないでいい」という状態でもなくなっている。

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平行線を辿る憲法改正議論

憲法改正の「議論」が続いている。読売新聞は改憲の機運は高まったとするが、時事通信・共同通信などは「改憲の機運は高まっていない」という。詳しく記事を読むと実は同じことを言っている。

読売新聞は憲法改正に賛成している人が61%いると強調する。ただ内容を見ると戦争放棄について改正の必要はないと考える人が75%いる。戦力の不保持を維持するかについて聞いたところ、維持するが44%であり改正する必要があるは51%だった。よくわからないのだろう。共同通信が同じ素材を料理すると全く違った結論になる。憲法改正の機運が高まってきたと感じる人は28%しかいない。ただ、共同通信でも改憲が必要だと考えている人は72%もいる。

どうせ改憲はやらないといけないんだろう。だが、別に今困っているわけでもないのだから、わざわざ今ことを荒立ててなくてもいいのではないか。とにかく難しいことはよくわからない。

そんな総括になるのではないだろうか。

現在岸田総理は任期中に改憲をやりたいと表明している。2024年9月までに国民投票を行う必要があり、そのためには通常国会(予算を仕上げたあとの4月から6月)に改憲原案作りをすることになる。ところが自民党は改憲原案を出していない。政権を失ったばかりの自民党議員たちのルサンチマンの結実とでもいうべき2012年の憲法原案があまりにも酷い出来だったからだろう。そもそも憲法枠外の存在なので憲法の中に入れたほうがいいに決まっているが、これすらできないというのが現在の政治状況である。

ただ日本の議論を見ていると「まあ、憲法改正議論って大体こんなもんだよな」としか思えない。

オーストラリアはここまでやっている

政権交代をおこなったばかりのアルバニージー首相は憲法改正を提案している。

目的はアボリジニとトレス海峡諸島民の権利を憲法に書き込むことである。英語で調べても「オーストラリアで憲法改正運動が」とはなっていない。目的はあくまでも先住民の権利保全だからである。まず目的が先にあり憲法改正という道具があるという位置付けが日本と異なる。

憲法改正のためには過半数の有権者が賛成票を投じる必要がある。単なる過半数では成立せず過半数の州の過半数の有権者の支持を得る必要がある。つまり、憲法改正のハードルがかなり高い。投票は義務制だ。過去に19回44件の憲法改正案が提出され8件だけがクリアしている。

オーストラリアにはイギリスから完全に独立し共和国に移行すべきだという声があるのだが、憲法改正のハードルが高い。このためまずは賛成が得られそうな先住民の権利保全で憲法改正の機運を作りたいものと考えられる。アルバニージー首相は共和制移行論者である。チャールズ3世の戴冠式には出席するが「持論は封印する」と言っている。つまり共和制論者であるということは隠していない。

オーストラリアで最後に憲法改正の国民投票が行われたのは1999年で議題は共和制への移行だった。だがこの時の提案は承認されなかった。アルバニージー首相はおそらく「憲法改正ができる機運作り」をやりたいのだろう。

本気で憲法改正をやりたい国は「まず受け入れられやすい形」で憲法改正の実績を作り、徐々に自分達の持ってゆきたい方向に持ってゆこうとするのだということがわかる。

オーストラリアは野党側の疑念に応える形で選挙運動の透明化透明化などの整備をおこなっており、かつ「賛成・反対」の論点がわかりやすくなるようパンフレットを全家庭に配布すると言っている。つまり「我々の提案には自信があるので正々堂々と議論しましょう」との立場だ。「本気だからこそここまでの準備をしている」ということになる。

The federal government said the ‘Yes-No’ pamphlet, containing arguments on both sides, will be sent to all households.

東アジアに対中国用のミサイルを置きたがっているアメリカ合衆国

国民もよく内容が理解できておらず政治家もやる気のない日本では憲法改正は必要ないのか。

実際には我が国を取り巻く防衛環境は大きく変化している。「中国の脅威が増している」と考える人が多いのだが実はアメリカの内政が行き詰まり外に敵を必要としているという事情もある。大抵の「コンフリクト」は双方の事情があって初めて成立するものだ。

アメリカはこの地域のどこかに「自分達だけがコントロールできるミサイル」を置きたがっている。日本はこの状況変化に対応する必要がある。実は他人事でもないのだ。

韓国には既にTHAADが置かれている。北朝鮮有事の際には司令権はアメリカが持つようになっている。核兵器は朝鮮半島には置かずアメリカが管理するという取り決めもある。

韓国ではアメリカの対北朝鮮政策に対しての苛立ちが強まり「自前の核武装論」が燻っている。アメリカはこれに妥協し外交成果を強調したい尹錫悦大統領は「事実上の核共有だ!」と大袈裟に宣伝してみせた。アメリカは入念に準備を進めてきたが、尹錫悦大統領は国内に向けて過剰な宣伝を始めている。

フィリピンでは逆のことが起きている。米軍による暴力の歴史があるフィリピンからは米軍が追い出された。ところが近年中国とフィリピンが南沙諸島で対立するようになり再びアメリカの存在が求められるようになった。独自路線のドゥテルテ大統領が去り親米派マルコス大統領の息子が大統領になるとアメリカはフィリピンと交渉を始め、再びフィリピンへの駐留を許される。

アメリカはフィリピンから日本までの間に「切れ目のない対中国包囲網」を敷き自国の国際競争力を維持したい。このためにフィリピンに活動拠点を作りできればミサイルを置かせてもらいたいと考えているようである。ただボタンは渡したくない。

一方で台湾有事に巻き込まれたくないフィリピンはいかなる軍事行動の中継地点としても利用させないと言っている。フィリピンの狙いは対中国防衛であって台湾有事に巻き込まれることは避けたいという狙いがある。ただアメリカとの関係も切りたくはない。このため「台湾有事の際にはフィリピン人を救出する必要がある」とした上で「米軍の基地は役に立つでしょうね」などとも言っている。

アメリカに軍事拠点を提供する国はどこもこのようにバランスをとりながらアメリカと付き合っている。アメリカが自分達の国益のために他国を利用しようとしていることがわかっているのだ。

実は国民が説得できない岸田政権

実はアメリカ軍は独自のミサイル整備計画を持っており在日米軍基地にこれを置きたがっていた。日本が独自の反撃能力について議論を始めたことで、この計画が見送りになっている。読売新聞がきちんと書いている。つまり「国民に秘密裏で計画が行われている」わけではない。単に地上波があまり扱わないだけである。

日本では「反撃能力」議論は日本が戦争に巻き込まれるのではないかという議論とセットになって語られがちである。だが、実際には日本がボタンを押せないミサイルを置かれるぐらいなら「自分達でやります」という宣言になっている可能性があるということになる。

アメリカを祟り神のように恐れる日本政府はアメリカが「日本の領土内にミサイルを置きますが、ボタンはワシントンに置きます」と言ってもノーと言えない。だがおそらくこれは日本人の巻き込まれ不安を刺激するだろう。このため日本人に対して「アメリカに対してあまりにも消極的に振る舞えばかえって中国のターゲットになる配備を置かれかねない」とも説明できなくなっている可能性がある。

これが合成されると岸田総理は「アメリカが攻撃された時にも反撃能力は使えるのだ」と説明せざるを得なくなる。そうでも言わないとアメリカが納得できない。また国民にはこれまで正しい情報を伝えていないのだから今更説明しても混乱するだけだ。

まさに板挟みである。

おそらく。まともに自衛隊を憲法の枠内に収めようとするとこの辺りの議論を行わざるを得なくなる。だからこの辺りの議論を避けるために「左翼が憲法改正を妨害している」などと騒ぎ立てるのが得策だと考えているのだろう。皮肉な話だが「お花畑的な」日本の護憲運動はおそらくは勉強不足から彼らに利用されているということになる。

護憲派も改憲派もお互いに議論はせず別々の集会を開いているのはおそらく正面からの議論を避けているからなのだろうが、日本の憲法改正議論は長い間「まあこんなもの」だった。

ただ、オーストラリアの事情を見ると「本気で憲法改正をやりたい人たちはここまでやるのだ」ということがわかる。最終的には国民の説得が必要なのだから「公平な議論」をどのように担保するのかに腐心することになる。

ちなみにオーストラリアは国民投票も義務性なのだそうだ。つまり全ての国民に投票の義務があり「興味のある人だけが賛成して終わり」ということにはならない。

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