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「スリーアウトで本国に送還」が可能となる入管法改正案がまとまる

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入管法改正案が28日も衆議院法務委員会で採決されることとなった。「3回申請してダメだったら帰ってもらう」という制度になっているそうだ。激しい政治迫害がある地域への強制送還が予想されているために一部に根強い反対の声がある。ただし国民の関心はあまり高くない。立憲民主党の党内では対応に対する意見が割れ、法案は自民・公明・維新・国民の間で協議されるた。

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入管法改正案がまとまった。協議に参加しなかった立憲民主党の主張は載らず、自民・公明・維新・国民が協議して次のような内容でまとまった。

修正案は、難民認定審査中の送還停止規定を見直し、3回目以降の申請者を送還可能とする内容。4党などの修正案は、維新の主張を踏まえ、申請者の出身国情報の収集充実や、難民調査官の育成を盛り込んだ。

難民申請者の中には「送還されれば政治的迫害に晒される」ことが明白な人たちもいる。第三者機関の設置を検討するという附則が盛り込まれるようだが、これは実質的に「何もしません」の永田町的な言い換えである。3回以降は「送還可能」になっているが、おそらく入管施設に滞留すれば「送り返せるのになぜ送り返さない」ということになるだろう。

しかしながら国民世論はあまり盛り上がらなかった。そもそも移民に消極的な国柄があり難民の受け入れは「西側先進国に睨まれない程度」に抑制しておきたいというのが本音だろう。

一方で立憲民主党はこの件について意見をまとめることができなかったようだ。自民党と維新から次のような指摘が出ている。

自民党幹部は「立民は修正派と廃案派の二つに割れている」と指摘。維新の藤田文武幹事長は21日の会見で、立民を念頭に「何でもかんでも振りかぶって高い球を投げるのが野党の仕事ではない」と当てこすった。

政党としては既に国民の支持を失っておりリベラルにこだわった立場を明確にすべきかあるいは現在の有権者世論に迎合するかで迷っているのだろう。補選敗戦の責任を取らなかった泉体制は既に立憲民主党内部をまとめきれなくなっていることがわかる。立憲民主党がどこに向かうのかというビジョンが立てられない。

リベラルなメディアはクルド人がかわいそうだというキャンペーンをやっているがこれは逆効果だろう。善意に訴えると「お荷物になりかねない」と考えてより否定的になるのが日本人である。善意を期待したいところだがそもそも存在しないものに働きかけても仕方がない。

では一体どうすればいいのか。

日本人は「かわいそうな難民」に対しての態度は極めて冷たいが、実は「移民解禁」の流れが広がっている。つまり将来の納税者と労働者は欲しいのである。東京新聞や朝日新聞が扱うクルド人の子供も「将来日本社会の担い手」になれるはずだ。日本で教育を受けているのだから当然である。つまり、どう受け入れるかやどう位置づけるかが重要なのである。

ただし、残念ながらこの分野でも日本は立ち遅れている。

オーストラリアでも移民法の改正案が審議され始めた。高度技術者の囲い込みが国際競争化している。日本政府は移民に消極的な世論を説得して高度技能を持った移民獲得の戦略を立てなければならない状況になっているのだが、なかなか国民世論の賛同は得られない。

労働者不足という困窮は既に地方を中心に広がっており、低技能労働者のなし崩し的な流入を許容する議論も加速している。特定技能制度の拡大が話し合われている。

ただ、この「特定技能2号」の在留資格をめぐっては、与党内から「事実上の移民政策だ」という慎重論も出ていて、大幅な適用緩和には異論が出る可能性もあります。

「事実上の移民政策」ではなく移民政策に転換したとNHKは書くべきだろう。地方では労働者不足が深刻化しており外国人労働者なしではやってゆけなくなっているのである。

しかしながらこの特定技能制度の特徴は「日本には定着させない」し「日本のルールを徹底的に覚えてもらって和を乱さないように行動してもらわなければ困る」という制度だ。そもそも日本語など覚えなくても高い賃金が得られる国が他にあるのだから今後日本は出稼ぎ労働者からは選択されなくなるだろう。

さらに厚生労働省はこのままで行けば日本は10人に1人が外国人という国になると言っている。地方経済の浮揚に失敗し少子高齢化政策も破綻しつつある。このためこのまま移民を解禁しなくても外国人が増えてゆくだろうと言っている。ここで重要なのは地方参政権も認められない現状では「自治の枠外」に置かれる人が10人に1人生まれるということの意味と是非だ。

「全体としてこの国に外国人をどう受け入れてゆくのか(行かないのか)」という議論はまったく見られない。理想的には日本人だけの共同体が維持できればいいのだが「失敗している」のならばそれを認めて次善の策を講じるべきだろう。

おそらく今回の問題点は「迫害が予想される難民を送り返すことの是非」ではなくグランドデザインとなる外国人受け入れポリシーがないことなのだろう。それぞれ個別の損得勘定はできても「全体像」が作れないのだ。

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