盧沙野駐仏中国大使が空気を読み間違えてちょっとした外交惨事になっている。習近平国家主席は戦狼外交からのシフトを図っているのだが、かつての「戦狼外交の寵児」はそれが理解できなかったようである。どこにでもうっかりした人はいるものだが、おそらく大規模な外交問題となるだろう。特に中国の和平提案を認めたくない東欧やバルト三国から反発が広がっているようだ。
盧沙野駐仏中国大使の発言は「ソ連邦から分離独立した諸国に主権があるかどうかは怪しい」と言うものだ。また2014年にロシアに併合されたとされるクリミア半島はもともとはロシア領だったとも主張する。このロシアが何を意味するのかは不明だ。
この発言は戦狼外交的時代の中国内部では「正しい」発言だったのだろう。西側の設定する基準に反対するのが戦狼外交の基本だからだ。おそらく今でもこの基本戦略は受け継がれている。結局のところ中国の和平提案が西側の設定した秩序の一方的な現状変更であることは明らかだ。
しかしながらこの発言は習近平国家主席が目指す新しい外交戦略とは相入れない。国内での政治基盤を確立した習近平国家主席は「中国こそがアメリカに代わって世界平和を主導するのだ」と主張している。
問題は習近平国家主席がかつて戦狼外交政策をとっていたことを認めない点にある。始めたことが認められないのだから当然終わりも宣言できない。だからうっかりとこういう発言をする人が出てくる。
中国のように父権の強い序列社会において下位のメンバーは上位のメンバーの動向を注意深く見ていなければならない。盧沙野駐仏中国大使はこれに失敗したといえる。かつて「正解だった」ものが「正解ではなくなった」のだが、それは「それとなく」わかるもので明示的に伝えられるわけではない。
ヨーロッパを中心に反発が広がっていることから中国外務省の毛寧報道官は火消しに追われた。この発言の組み立てがなかなか興味深かった。中国人が「道理」という独特の理屈にこだわることがよくわかる。今回持ち出したのは「連邦」という概念だ。
毛報道官はウクライナは主権国家であると認めた。まずこうしないとそもそも中国がウクライナの仲介役になるということが説明できない。次にソビエト連邦は連邦国家であり対外的に構成国は地位が認められていたと主張した。だからこそ現在でも共和国が主権国家になれるというのである。
この発言はウクライナの主権を認めつつ分離主義は許容しないという中国の姿勢を表したものだろう。つまり「台湾とウクライナは違う」と言いたい。ソ連の構成国は連邦なので分離できるが台湾は昔から中国の固有の一部であり中国の政権は共産党だけなのだから台湾の分離独立は許さないという主張になる。
しかし、実際にはこの説明もおかしい。ソ連において、ロシア・ウクライナ・ベラルーシは「ロシア系」という特別な地位を有しており国連でも特別に議席があったことは広く知られている。これはソ連の内部がロシア系とそれ以外の構成国を差別していたからこそ生まれた現象である。つまり普遍的な連邦ではなくかなり特殊な存在だった。
毛報道官の主張の正確な意味はわからないものの、この説明では国連に議席を持っていなかったバルト三国や中国が一帯一路を通じて影響力を行使したい中央アジアの国々について中国がどのような見解を持っているのかがよくわからない。
中国人は常に理屈を重要視する。いっけん公平なように思えるのだが、実はその理屈は中国人が考える中国人の理屈にすぎない。
例えばイギリスは連合王国という「連邦」だがスコットランドや北アイルランドが独立を主張すれば中国はおそらくそれに反発するだろう。地域の独立は台湾の独立に正当性をあたえかねない。このため彼らの持つ道理は実際には普遍的な理論ではなく彼らにとって都合のいい理屈づけにすぎない。
さらに付け加えるならば、アメリカやヨーロッパは道理よりもルールにこだわる。そしてルールが彼らにとって不利になると「民主主義の原則」に従って変更を求める。一応平等ということになってはいるのだが実際にはそうでない場合が多い。日本人はそもそも道理もルールにもそれほど拘らない。「みんなが今どう思っているのか」というムラの今の空気が重要だ。
存在を否定された形になっているバルト三国は「猛烈に反発している」そうなのだが政治的な意図もあるものと思われる。中国は明らかに武力侵攻による現状変更を容認している。つまり中国の介入を許せばこうした現状変更が自国にも及びかねない。中国への接近を図るマクロン大統領もさすがに「盧沙野大使は自国の公式見解に基づいて発言するように」と発言せざるを得なかった。
ヨーロッパにおいては中国の提案する和平に懐疑的な見方が支配的だ。習近平国家主席は「わるもの」から「いいもの」に変わろうとしているが、戦狼外交の記憶は簡単には消えてなくならない。大使の発言は大いに「政治利用」されるものと思われる。中国は少なくともしばらくは過去の言動に制限されることになりそうだ。