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木村隆二容疑者の岸田総理襲撃が「テロ型」であっても「テロ」ではない理由

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マスコミは木村隆二容疑者をテロ犯と印象付けようとさまざまな背景事情を探っている。だがその試みは今のところ成功していない。「実は木村隆二容疑者はテロ犯ではない」と主張する人が出てきた。

犯罪学者の小宮信夫氏は今回の事件を自爆テロ「型」と言っている。この記事ではまず小宮氏の主張を確認した後で、独自の考察を加える。ニュースとして知りたい人は小宮氏の主張だけを読みその後で自分で考えてもいいという人は考察部を読んでいただければと思う。

最後に木村容疑者のものとされるTwitterアカウントも見つかったようだ。これについても短く触れる。「マスコミは報道していない」と当初は思っていたのだがNHKなどでも取り上げているようだ。アカウントを特定した人が増えじわじわとフォロワーが増えている。

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木村隆二容疑者に関してはさまざまな背景取材が行われている。これまでに木村隆二容疑者が選挙制度に強い不満を持っている点と父親が極めて厳しかったという点がわかっている。前者は裁判を起こしていることが問題視されているがこれは憲法で保障された権利である。社会常識的に「裁判沙汰」が嫌われる日本だが裁判提起程度で凶悪性を断じることはできない。

Newsweekに北島純社会構想⼤学院⼤学教授の記事が掲載されている。北島氏は事件の背景はまだわからないとしつつ戦前の状況に似てきたのではないかと考察している。失われた30年のロスジェネの状況が戦前と似ているのだという。

北島教授は山上徹也容疑者を引き合いに出して、一人の何の組織的後ろ盾も持たない人が政治的な派閥を一つ潰せるほどのことを成し遂げてしまったという点に注目する。「個人が社会を撹乱できる」という意味でこれはテロ行為である。北島氏はこれを戦前のファシズムと重ね合わせている。個人や限られた集団が全体を黙らせるという政治的風潮が社会全体を覆っていた時代だ。

だがこの論にはどこか違和感がある。戦前にファシズムに走ったのは戦前の困窮を解決できなかった政治の側である。つまり凶悪な犯罪によってメッセージが広がり体制がファシズムに乗っ取られたわけではない。

直接にではないがこの違和感に応えているのが小宮信夫立正大学教授だ。

小宮信夫教授の背景分析も北島教授に似ている。社会全体に鬱積した社会の不満が爆発したもので、戦前の状況に似ていると言っている。問題の本質は「失われた30年」に全く顧みてもらえなかった困窮する個人であるとする点も北島教授の論と類似する。小宮教授は、この個人に対する対策こそが今求められているとして具体的な解決策を含めた提案をしている。

ただ、小宮教授はこれら一連の行為をテロとは表現していない。このYahoo!ニュースの個人ブログに載っている記事からは分かりにくいのだが、実はテロに重要な二つの背景(目的意識と社会組織とのつながり)が欠けていると小宮教授は考えているようだ。

特に自爆テロの場合には自分は犠牲になってでも理想の社会を追求してもらいたいという組織的背景が必要だ。ところが一連の「自爆テロ型」にはこのような背景はない。

TBSの「ひるおび」に出演した小宮信夫教授は「そもそも木村容疑者は自分で作ったシナリオを淡々と演じているだけでそのシナリオは爆発物を投げたところで終わっている」と言っている。つまり社会に訴えかけたいことは存在しない。だからこそ淡々と行動できたというのである。

選挙制の云々の問題は単なるきっかけにすぎないと小宮教授は考えている。これを「トリガー」というそうだ。トリガーは犯罪行動を引き起こす程度には大きくある必要があるが、特にそのトリガー自体を見つめても何も出てこない。

Newsweekには小宮教授の安倍総理襲撃事件についての論評があるのだが、この個人ブログと同じ構成になっている。この場合は宗教問題が「トリガー」になっているが、実はトリガーに意味はないというのが小宮教授の見立てである。


今後もさまざまな考察が出てくるのだろうが、とりあえず今ある2つの考察についてご紹介した。ここからは考察を含む。


木村容疑者は「弁護士が来てからお話します」として黙秘している。普通「何か隠しているのではないか」と考える。だがあるいは「実は自分の気持ちが全く言語化できていない」可能性がある。言いたいことがあれば言っているだろう。だが実は「訴えたいこと」がない。あるいは言いたいことがあってもそれをまとめることができていないという可能性がある。だから「思想犯」としての要件が満たせないのである。

にもかかわらず「パイプ爆弾」は作れる。爆弾はかなり凝った作りだったそうだ。材料はホームセンターで手に入れることができ、作り方もネットを探せば出てくるのだという。つまり製作を阻止することは不可能だろうとされている。作り方はあるのだからあとはそのゴールに向けてコツコツと爆弾を作ることはできる。

つまり、思想をまとめることは難しいがその破壊に向けて「努力」を積み重ねることはできるということになる。

さらに社会の側も原理的に自爆テロ型犯罪を防げない。

マスコミは容疑者の凶悪化に失敗している。原因は失われた30年にするという一連の主張を飲み込んだ上で今回の問題を「テロ」と捉えるならば、失われた30年で困窮している人たちを全て犯罪予備軍と捉える必要が出てくる。だが、おそらくこれは不可能だ。

基本的にマスコミの対策はミカン箱の中にあるカビの生えたミカンを見つけ出しそれを取り除くという「腐ったミカン」戦略に基づく。そのためには犯人は反社会性を持った異常者でなければならない。

例えば日本の公安調査庁もその原理で活動している。カビに当たるものは「共産主義思想」のような国家が考える危険思想である。国家は「好ましくない思想」をあらかじめ排除しようとするため憲法が保障する内心・信条の自由との間に衝突が起きる。

しかしながら、今回の事件にはこうした「思想」がない。あるのかもしれないがまとめきれていない。その「思想」を支える集団すらないかもしれない。つまりこれまでの治安・テロ対策は原理的に全く無力になってしまった。公安調査庁の存在に意義がないとは思わないが、それでも「この手の犯罪」に無力であることは確かだ。

おそらく主張としてはあまりにもありふれているため、公開されている情報から危険を察知するというような「オシント」にも効果はないだろう。

つまり「同様の犯罪は防ぎようがない」ことを意味する。取り除くことも見つけることもできないのだから社会から不安はなくならない。

「不都合」はこれでは終わらない。山上徹也被告についても散々分析されたことではあるが、この件はネットの反響まで含めて一つの世論を作ることになるだろう。つまり今後も一顧だにされない個人がネットを騒がせるということは度々起こることになる。

組織はないのに塊に与える影響は極めて大きいのである。

より多くの塊を揺らすためにはターゲットは「大きければ大きいほどいい」ということになる。

小宮教授は盛んに「原因」となっている失われた30年対策について訴えている。だが、日本には協力して環境をよくするといった意味の「社会」は既に存在しない。ゆえに社会が自発的に環境を変えることは不可能だ。菅義偉総理は盛んに「自助・互助・共助・公助」を訴えていたが、世論からは「単に国が逃げているだけだ」としか受け取られなかった。つまり互助も共助もないのだから、公助がなくなればあとは「自助(つまり自己責任)」で何とかしてくださいということになってしまう。

一方でトリガーを作らないために「ゾーニング」を行うことはできる。

今回の例でいえばゾーニングとはトリガーを持った人が政治家に近づかないようにするために政治家を大衆から隔離することを意味する。こうした犯罪が続けばおそらく有力政治家は「自分達の政治の失敗の印」として防弾ガラス越しから選挙運動をするようになるだろう。これは同じような「自爆テロ型」の犯罪が多発するアメリカ合衆国では普通に行われていることだ。そしてこれは政治家たちが声高に主張してきた教育の改善や少子化対策が完全に破綻したことを意味する。約束が破綻したことを形で示しつつ言葉では空虚な約束を繰り返し続けることになる。

木村容疑者の動機は少しづづではあるが見えてきているようだ。

政治は自分のような若年世代のために政治をしてくれない。そもそも「政治」がどこで行われているのかもよくわからない。であれば自分で政治に参加したいのだが、年齢の壁と供託金があって参加することすら許されない。であれば裁判で訴えたいが弁護士費用すら払うことができず裁判も受理してもらえない。法律の武器化を試みたものの全く相手にしてもらえなかったという状況である。Twitterで裁判の傍聴を呼びかけたのではないかという憶測も出ているようだがこれも注目してもらえなかったようだ。フォロワーが4人しかいない。

普通ならSNSで文句を言って終わりになるか、あるいは旧NHK党のような愉快的な政党に票を入れて憂さを晴らして終わりになるのだろう。つまりこれが最後の安全弁になっている。だが容疑者がこうした「活動」に参加した形跡もない。

週刊誌に出ている時点で「普通の国民が政治家になれる民主主義国を目指します」というアカウントのフォロワーは4人しかいなかった。ところが今はこれが3000人弱にまで増えている。マスコミがこれを伝えることはないだろうと思っていたのだが、NHKも兵庫県版この件を報道している。

今後も持ち主が特定されないであろうし講師もされないかもしれないTwitterアカウントは「日本は民主主義風の専制政治国家だ」という主張で終わっている。政治に参加することができずそもそも政治がどこで行われているのかもわからない人から見れば、確かに民主主義にも専制主義にも大した違いはないだろう。自分達のものではないことだけは確かだからだ。

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