テネシー州ナッシュビルの学校で銃撃事件があり児童3名を含む6名が殺された。容疑者は女性なのだが「トランス」傾向があると報じられている。またしても学校から犠牲者が出たことで「アメリカはいつまで銃規制を野放にするのか?」との非難が殺到していた。特に銃規制のある日本から見ればアメリカの状況はかなり野蛮に見える。ところがこの話は意外な展開を見せている。実は人種間抗争に発展しているのである。背景にあるのは南北戦争以来続く「黒人公民権」運動だ。黒人2名が除名されたが1名は暫定代表として復帰している。
この問題については一度記事を書いたことがある。キリスト教の抑圧の強い地域でトランスジェンダーが置かれている現状に目を向けていないと言う趣旨だった。だが話の流れは「銃規制」問題に流れて行った。どういうわけかテネシー州では激しい銃規制をめぐる政治的駆け引きがある。このため銃を手に入れるのが容易く銃犯罪が起きやすい傾向がある。
しかしながら、今回の議論は別の展開を見せている。それが白人と黒人の政治的対立問題だ。多数派から転落しつつある白人は過去に黒人を虐げてきた記憶を持っている。この時に統治の道具として使ってきたのが民主主義である。多数派でなくなればこの武器が使えなくなるのだから当然新しい武器が必要になるだろう。それが「銃火器」なのである。もちろん表立ってこんなことを主張する人はいないが、おそらくそれが本音だ。
このような対立構造があるために今回の問題もこの点に帰着して行った。
銃規制を訴える人たちが議場になだれ込んだ。怪気炎を上げておりバイデン大統領就任時の議会襲撃を思わせる。結果的に3名が除名投票にかけられてジャスティン・ピアソン議員とジャスティン・ジョーンズ議員の2名が除名になった。
日本の国会でこのようなことが起これば、やはり「暴徒」が非難されることになるだろう。議会制民主主義には秩序が求められる。
だがアメリカはそうではない。
Quoraでは民主党派の人が「このような抗議活動は度々行われており平和的なものである」と強調していた。もちろんトランプ派が仕掛けた議事堂襲撃は「悪い襲撃」であるが、抗議運動そのものは民主主義の発露だというのである。多民族民主主義者にとっては抗議運動は一種の武器なのだ。これは公民権運動で参政権を勝ち取ってきたという歴史に由来する。
一方でQuoraでは別の論調も見られた。民主党は度々抗議運動が議会に押しかけるようなことをやっていた。これがエスカレートし共和党側に利用される形でトランプ派による議事堂襲撃が起きたというのだ。つまり「いわゆる平和的な」抗議運動がアメリカの民主主義を破壊したという論調である。
この両論を聞くと「どっちもどっち」という気がする。州下院のキャメロン・セクストン議長はこの行動を議事堂襲撃事件と比較している。つまり、今回の議会襲撃は「悪い襲撃」だと言っている。
民主党寄りのCNNの報道を見ると全く違った面が強調されていることがわかる。それが人種問題である
今回「追放審問」の対象になった3名のうち実際に追放された2名はどちらも若い黒人男性だった。一方でかろうじて追放を逃れたジョンソン氏は白人女性だった。CNNは人種によって対応が別れたとする抗議派の声を紹介している。BBCは「拡声器を使った人と使わなかった人の違いである」とする共和党側の声を伝える。
人種間対立があるのだからおそらく選挙をやると同じ人が当選する可能性が高い。ナッシュビル氏の市長は委員会に対してジャスティン・ジョーンズ氏を「inerim successor(当座の・暫定の後継者)」として指名するようにと勧告した。つまり、公認が選挙で決まるまでジャスティン・ジョーンズ氏を議席に残すようにということになる。議長も「暫定代表」を議席から排除しないという方針を決め、実際にこの勧告にしたがってジャスティン・ジョーンズ氏は第52選挙区において暫定議員に選出された。日本語ではBBCが記事を書いているが、除名された両氏は特別投票に夜議会復帰を目指す。
こうして無事帰還を果たしたジャスティン・ジョーンズ氏は「不正な決定が成立することはない」と自分の正当性をアピールしている。
“Today we stand as witness to the resurrection of a movement of a multi-racial democracy, that no unjust decision will stand,” Jones said Monday. “The people of District 52, all 78,000 people have a voice in this chamber once again.”
日本語に翻訳すると次のようになる。「今日、我々は多民族民主主義運動の復活の証人として立ち上がった。不当な決定が成立することはない」「第52地区の78,000人はこの議席での発言権を取り戻した」と月曜日にジョーンズは言った。
テネシー州の白人たちは長年黒人を虐げてきた。このため「民主主義」のルールに則って黒人が退去して議場に乗り込んできた時に何をされるかわからないという潜在的な怯えがあるのだろう。アメリカの一部の地域でなぜ銃が手放せないのかということがよくわかる。と同時に議会に乗り込んできた人たちにおそらく怯えていたのだろうということも伺える。
南北戦争においてテネシー州は最後に南軍側(奴隷制維持・連邦離脱)派への帰属を決めた。また、黒人から参政権を実質的に奪う「ジムクロウ制度」も残っていた。つまりもともとテネシー州は公民権運動の激戦地だった。こうした対立は黒人の側に根強い政治への不信感を植え付けている。だが白人の側にも過去に対する怯えがある。
いずれにせよ、多民族のアメリカを推進したい人たちが多民族民主主義を唱え民主党に肩入れするのには歴史的な理由がある。アメリカの人口動態の変化は政治に大きな影響を与えている。
とここまで書いたところ、最初に民主党系の人の意見に「違和感」を表現した人が「多民族民主主義」も利用されているのではないかと書いてきた。アメリカでは「多数派(われわれ)」を民主・共和の両党が奪い合っているのだから、確かにそのようなことはあるかもしれない。カマラ・ハリス副大統領はアフリカ系初の女性副大統領だ。多民族民主主義が民主党の統制拡大戦略にとって重要であることは間違いがない。ただ「代表している」のか「単に利用しているのか」については意見が分かれるところだろう。
「真実」がどこにあるのかはよくわからないのだが、一つだけ言えることがある。正義も「われわれ」も相対化してしまうと人々は話し合いができなくなる。テネシー州の場合には悲惨な銃犯罪を防ぐための抜本的な改革が難しくなっている。そしてその背景を辿ると歴史的な問題に根源があることがわかる。
こうなると「絶対的存在」がいない民主主義は問題が解決できなくなってしまうのである。