ロシアで軍事ブロガーが殺された。表向きはウクライナの仕業ということになっているがこれを信じる人はいないだろう。背景にあるのはワグネルの孤立である。しかし、実はおそらくこれにも裏がありそうだ。
一度独裁者の立場に立ってみよう。こうしたゴタゴタは独裁者にとって非常に都合がいい。無知な国民は救世主を求めるうえに敵対者がお互いに協力できなくなる。つでは、どうすれば国内を適度に混乱させることができるのか。
「殉教者」を作ればいいのだ。
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事件のあらまし
BBCが詳細を伝えている。
サンクトペテルブルクのカフェで爆発があり著名な軍事ブロガーのウラドレン・タタルスキー氏が死亡した。少なくとも24人が負傷し6人が重体だという。爆発現場の状況は守備良く配信され大勢が目撃者になった。その後、すぐに26才のダーリャ・トレポヴァが拘束された。反戦運動に加担した若い女性で「タタルスキー氏の殺害に関与した」と認めている。これもSNS経由で拡散した。ロシアはウクライナのテロ組織の仕業だと言っている。
おそらくこの当局の発表をそのまま信じる人はいないだろう。現場となったカフェはワグネルの創設者であるエフゲニー・プリゴジン氏が「保有していた」ことで知られている。読売新聞は「所有している」と現在進行形で書いている。
Ian Bremmer氏は自身のYouTubeチャンネルでウクライナ側の犯行である可能性排除できないものの「戦争遂行派・反プリゴジン派」の反抗である可能性があると指摘する。実はBBCの別の報道にもこれを仄めかすものがある。
ワグネルのプリゴジン氏は次のように言っている。
ワグネル創設者のプリゴジン氏は、今回の爆発がウクライナ政府によるものだとは思わないと発言。「過激派のグループが活動していると思うが、(ウクライナ)政府と関係がある可能性は低い」とした。
プリゴジン氏が誰を疑っているのかは不明だ。
交錯するそれぞれの思惑
ロシア政府は「ロシアは常にウクライナに狙われている」と国民に思わせたい。そうしないと「プーチン氏がいないとロシアの治安を守れない」と国民に訴えることができない。
野党指導者のナワリヌイ氏の周辺は「今回の件でナワリヌイ氏にさらに罪が着せられるのではないか」と心配しているそうだ。つまり、国内宣伝だけでなく政敵に「巨悪」の印象をつけるためにも利用されかねない状態になっている。トレポヴァ氏はナワリヌイ氏の「反汚職基金」の支持者であると宣伝されている。つまりこれは選挙運動でもあるのだ。
プリゴジン氏は自分の命が狙われていると思っている。自分が助かるためには成果を出し続けるしかない。
プリゴジン氏はワグネルが成果を上げているということを示すためにバフムト市行政庁舎にロシア国旗を立てたと主張しているがウクライナ側は否定している。。軍もバフムトについては報告をあげていない。つまりプリゴジン氏は成果をあげられておらず焦っていることになる。だが、これはプーチン大統領にとって好都合だ。ワグネルは成果を出し続けるために死に物狂いで戦い続けるだろうから、その間はプーチン大統領に刃向かってくることはない。
このようなニュースを見るとロシアの軍隊はかなり混乱しており紛争の終結は近いように思えてしまう。BBCはロシア内部で内紛が起きているというような情報を伝えることが多い。西側に有利な状況が生まれつつあると言いたいのだろう。実はこれも「思惑」の一つである。実はこの国内の混乱した状況こそが戦争を長引かせる可能性がある。
前科者の「有効利用」
殺されたタタルスキー氏は強盗罪で服役した後にウクライナ東部に分離派として参加していた。戦闘に参加しソーシャルメディアや国営メディアなどで解説を続けていた。死亡に際して外務省報道官は「タタルスキー氏や彼のようなブロガーは真実の擁護者である」と称えており、英雄化も進んでいる。
実際に誰がタタルスキー氏を排除したのかは分からないがロシア政府にとっては都合の良い爆発だった。
ロシアにはソ連時代を知っている古い世代と比較的新しいSNS世代がいる。SNS世代は必ずしもプーチン大統領の一方的な侵略に賛成していないとも言われているため彼らにリーチできるSNSのスターは非常に便利な存在と言えるだろう。
今回の件も手回しよくSNSで拡散しており、国内的な宣伝戦である可能性が高い。BBCが短い映像をまとめている。まるで映画のようにトレポヴァ氏が犯人であると推理できる映像が出回っているのだ。ロイターによるとロシア当局は「ロシアで国内テロ」が起きていると述べている。
タタルスキー氏は軍の上層部に対しては批判的だったとされている。AFPもロシア軍には批判的だったと言っている。その意味では消されても仕方がない人だった。
国内向けの宣伝工作活動に必要な「ごたごた」
プーチン大統領が頭角を表したのはエリツィン大統領時代の「テロ対策」だった。テロ対策を口実に情報機関の権限を強化し経済を掌握したという経歴がある。2022年の黒井文太郎さんの文章は、まだ北方領土交渉を通じて日本がプーチン氏に甘い期待を抱いていた記憶を呼び起こす。黒井さんはわざわざ「プーチン氏は元々スパイ出身で」などと強調している。日本は北方領土交渉が頓挫しているとは認めたくなかった上にサハリン利権を諦めたくなかった。だから時点でも但し書きを入れる必要があったのだ。
国家の英雄としてテロを鎮圧して成果は示したい。だが、テロが鎮圧されると「もうプーチンはいらない」ということになりかねない。このためには常に敵の存在が必要だ。ショッカーが地上からいなくなれば仮面ライダーは最終回を迎えてしまう。それはプーチン氏には好ましくない。
ロシアが弱体化すれば戦争は終わるのではないかと期待する人がいる。だが実際にはそうではないのだろう。プーチン氏が権力を維持し続けるためには常に国内外が落ち着かない状態にある必要がある。
つまり、タタルスキー氏のような「殉教者」は常にニーズがある。外に向けてはロシアが外国に狙われていると宣伝でき、政敵に悪い印象をつけ、さらに内部にいる協力者たちを疑心暗鬼な状態にさせるために利用されていることになる。
読売新聞と産経新聞は2022年8月にロシア民族派の思想家であるアレクサンドル・ドゥーギン氏の娘であるダリアさんの殺害について触れている。この時もロシアは「ウクライナによるテロ」を主張していた。
このブログでは、民主主義社会が「苦情政治」に陥っている様子を観察してきた。実は世界情勢全体が民主主義社会に対する「苦情政治」に陥っている。苦情政治のもとでは問題解決は忘れられ倫理は逆転する。
ロシアのようなならず者国家があると中国が「アメリカはもう問題を解決できないが自分達こそが世界平和の調停者である」と主張しやすくなる。
国土を奪われた住民と侵略されるウクライナにとっては極めて迷惑な話なのだが、ゴタゴタをできるだけ長引かせたい人たちがいるのである。我々はこの状態をなんとか超えてゆかなければならないのだが、その知恵はまだ見つかっていない。