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ひきこもり146万人の2割はコロナきっかけ

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内閣府がひきこもりについて調査した。推計値は146万人になり2割はコロナきっかけだったそうだ。だがこの記事はどこか漠然としている。なんとなく社会問題であるという認識はあるのだろうが、一体何が問題でどうすべきかがよくわからないのだ。中途半端な政府の対策は害の方が多いのではないかと感じた。日本には社会がなくなっているからである。

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記事は「引きこもり146万人 2割がコロナきっかけ―内閣府調査」である。ひきこもり登録制度というものがあるわけではないのでサンプル調査を行なっている。3万人に調査票を送り1万3769人から有効回答を得た。ここから推計したのが50人に一人である。政府の担当者は「心身ケアなどの対策を講じる」としている。

「対策」には害が多いのではないかと感じた。日本には「社会」がなく国や地方自治体の人員も限られている。

NHKの報道姿勢を見てもよくわかる。NHKが同じ調査をもとに記事を書いているがどこか漠然としている。ところが同じNHKでも女性で社会参加できない人に焦点を当てた記事は具体的だ。そもそも「ひきこもり」というカテゴリーなどはなく「女性で社会に参加できない人」というような細かい社会問題の集積なのだ。当然、当事者が違えば何を解決すべきかという社会課題が違ってくる。コロナ禍で補助労働力と見なされがちな女性の社会参加の困難さは浮き彫りになっている。だが政府がそれについて解決策を提示したというニュースは聞かない。

さらにこの延長には子育てが難しいという少子化問題などもある。自分の生活はぎりぎり維持できているが、家庭までは持てないという人たちである。TBSの報道特集が特集を組んでいた。「子供は贅沢品だ」とする若いカップルが紹介されていた。

ひきこもりというと不登校から子供部屋に閉じ籠り、おろおろしている親が運んでくる食事をぶちまけて家庭内で暴れるというような絵を想像する人が多いだろう。昭和から平成のテレビドラマの世界だ。

NHKの女性のひきこもりの絵はこれとは全く異なっている。もともと調整可能な「労働在庫」として扱われているためコロナをきっかけに社会的役割を失ってしまっているのである。

では「当事者の目線に立てばいいのではないか」という気持ちになる。

朝日新聞がポータルサイトを作っているのを見つけた。入口コラムとして長年サポート当事者として携わってきた筑波大学教授(社会精神保健学)斎藤環さんのインタビュー記事が載っている。斎藤さんは「ひきこもり」が即ちすぐに問題になるということはないとした上で「生きづらさ」と結びつけている。長年当事者として家族に寄り添ってきた人の説得力のある情報発信であるとは言える。

斎藤さんは

ひきこもっている多くの人はほぼ例外なく、抜け出したい思いを抱えながらもそれを口に出せない、実現できないといった葛藤を抱えながらひきこもっています。

といっている。なんとなくかわいそうなので「誰かが助けてあげればいいのに」という気持ちになるが、おそらく「誰かが助けてあげればいいのに」で終わってしまうだろう。

もともとひきこもりは精神に問題があるかのように扱われており。そこから脱却を試みようとした人の発言としては重みがある。だが「ひきこもり」が多様化し、女性で社会参加できない人までが「ひきこもり」にカテゴライズされるようになった今の常識とはやはりずれている。

そもそも社会は助けてくれないのだから膝を抱えてうずくまっていても仕方がないし、かといって社会に何か言ってみたとして理解されることはないこともわかっている。だから当事者は社会に相談しない。つまり、一人で悶々と過ごしているというようなものの見方もまたステレオタイプに過ぎず問題の全面的な解決には役に立たない。どサポートしてくれる社会があればそもそもそんなことにはなっていない。

この「社会のサポートを必要とする可哀想な人」というステレオタイプが何を生み出すのかがわかる記事を見つけた。

飲食業で起業したものの仕事がなくなった28歳の次男に対して元公務員の父親が激昂しているという。父親は仕事が決まらない次男をひきこもりと決めつけた上で「誰が処理してくれる業者はいないのか?」と考えたようだ。とはいえ自分では探せないのでファイナンシャルプランナーに相談している。お金で問題を解決してくれる便利な人と考えたのだろう。

サポートを求める側が「社会のサポートを」と言えばいうほど「自分の身内が社会のお荷物になった」という恥の意識を募らせてゆくという構図がある。

皮肉なことなのだが、日本には「相互扶助」の社会という概念がまったくない。この元公務員の人はまず自分で何とかしようとして仕事が決まらない次男にプレッシャーをかける。しかしそもそも社会が喪失してしまっているため次は「処理業者」を探そうという発想になったようだ。資産運用という視点からファイナンシャルプランナーに相談した。そのファイナンシャルプランナーに激昂していることからも「お金で誰かに正解を提示してもらいたい」と焦っていることがわかる。拭い難い「恥」の意識が根幹にあるのだろう。

この記事を書いたのファイナンシャルプランナーは良心的な人だった。問題は「社会不参加=恥」という概念そのものにある。この点について父親を説得して納得してもらったようだ。「私の問題ではないですね」とは言わず家族会という具体的な提案をしその後で「そもそも社会参加をあきらめた諦めたわけでないですね」と認知を変えさせている。

当事者の次男にしてみれば「社会情勢変化による起業の失敗」に家族とのゴタゴタが加わり身動きが取れない状態だっただろう。さらに、おそらく善意なのだろうが「ひきこもり=サポートが必要」という絵作りが行われている。「さあ支える側に回りましょう」などと考える人は多くない。普通は「社会のサポートが必要=社会のお荷物」と感じるようになってしまうのである。

サポートしてくれる社会があるのなら社会に助けを求めればいいと思う。だが、そんなものは最初からないという人も多いだろう。

NHKの記事は次のようにしている。

このほか、「どのような人や場所なら相談したいと思うか」を尋ねた質問では、「誰にも相談したくない」と答えた「ひきこもり」の人は、15歳から39歳で22.9%、40歳から64歳で23.3%に上りました。

その上で、その理由を尋ねたところ、「相談しても解決できないと思うから」と答える人がいずれの年齢層でも半数を超えて最も多く、相談や支援のあり方に課題があることをうかがわせる結果となっています

おそらく「相談しても解決できないと思う」という声は正しいが「相談や支援のあり方に課題がある」という問題設定そのものが間違っている可能性が高い。そもそも「実効性のある相談や支援など存在しない」可能性が高い。仮にそのようなものが機能していれば、少子化もひきこもり問題もここまでこじれていないはずだ。

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