プーチン大統領が戦術核を配備することでベラルーシと合意したといくつかのメディアが伝えている。日経新聞によると7月1日までに戦術核兵器の貯蔵施設を建設する予定にしているのだという。ロイターは実際の配備時期は未定だと言っている。
一応、プーチン大統領の理屈を聞いてみたのだが、言っていることがめちゃくちゃだと感じた。
実際に使うことを想定するならば、戦術核をどこに置くかは秘密にしたほうがいい。いざという時に予防的に排除されかねないからである。プーチン大統領がベラルーシに置きますとわざわざ言っていることからこの核兵器配備の目的は抑止ではない。
ロシアはおそらくNATOのような「アメリカの取り巻き」を羨ましいと思っているのだろう。だがロシアには取り巻きになる国がない。唯一なんとかできそうなのがベラルーシだ。
プーチン氏はベラルーシには戦術核は譲渡しないと言っている。つまりベラルーシは単に置き場を提供するだけで、実質的なロシア領化である。ベラルーシ国民はターゲットになるがロシアには影響がない。おそらくロシアにも同じような物は置かれているのだろうが「ここにおいてますよ」と宣伝するような真似はしないだろう。
ロシアの飛地であるカリーニングラードには既にイスカンデルが置かれているという。つまりロシアの管理する核兵器が西進したわけではない可能性が高い。ロイターは単なるプーチン氏のゲームと切り捨て流発言を紹介している。
ただ気になる点もある。それが劣化ウラン弾である。今回、ベラルーシへの核配備の言い分けとして使われた。この劣化ウラン弾について考えると「イギリスは支援疲れしているのだろう」と感じる。つまり事態は膠着化に向けて動いている。
プーチン大統領は劣化ウラン弾は「核を成分としている」からロシアも対抗しなければならないという理屈でベラルーシに核兵器を置くのだという。この理屈自体はめちゃくちゃである。だが劣化ウラン弾に危険性が指摘されていることもまた確かである。
劣化ウラン弾の健康被害については「被害がある」とする報告と「被害がない」とする報告が混じっている。なんらかの理由で劣化ウラン弾を推進したいアメリカとイギリスはおそらく意図的に組織的な調査をやっていない。
確かに装甲車対策には有効なようだが劣化ウラン弾が「ゲームチェンジャー」になるとまでは思えない。イギリスがなぜ議論が分かれる劣化ウラン弾の提供に踏み切ったのかはよくわからない。
Newsweekは「劣化ウラン弾、正しいのはロシアかイギリスか」とどちらが正しいのかという議論に持ち込もうとしているのだが、そもそもリスクの高い劣化ウラン弾の提供に追い込まれた理由について考えるべきだろう。
劣化ウラン弾の最大のメリットは安いことだ。だがデメリットは大きい。イラクでは先天性の異常が増えたという報告もある。ウクライナが小麦の産地ということを考えると劣化ウラン弾のためにウクライナの小麦が売れなくなることは明らかである。
Newsweekは曖昧にしているが、広島大学はこの問題について調査している。
アメリカは戦後核兵器の威力を宣伝するために日本で大々的な調査をやった。核兵器の威力を世界に見せつけてアメリカの優位性を高めるためである。皮肉なことなのだがソ連が核兵器を開発したことでこの戦略は行き詰まる。そしてさらに皮肉なことに日本の被爆地では核関連兵器の危険性を調査する活動が今も続いている。広島大学平和科学研究センターが劣化ウラン弾の健康被害について分析している。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と誓う広島ならではの研究であろう。
日本の被爆者団体は核拡散につながるとして懸念を表明している。核のゴミと言っている。つまり提供国にはウクライナが「ゴミ捨て場」に見えているのだ。
このように冷静な視点で見るとイギリスはおそらく支援疲れしている。あるいはこれ以上ウクライナに力を与えると状況が泥沼化しかねないと感じているのかもしれない。いかにも場当たり的な対応だ。しかしウクライナはもっと強力な兵器を寄越さないと東部に人は送らないという態度である。だからイギリスも何もしないわけにはいかない。
イギリスの劣化ウラン弾の提供は、おそらくウクライナの将来に取り返しのつかない不安を与えるだろう。さらにはベラルーシの実質的な併合のための口実を与えるという二重の意味で罪深い状況を作り出している。
西側の支援は必ずしも一貫した物ではない。むしろ場当たり的な対応が目立つ。もちろんこれはロシア側にも言えることで、正規軍とワグネルの間にかなり深刻な亀裂が走っているようだ。
プーチン大統領の突発的な軍事行動で始まったこの状態はおそらくしばらく続くだろう。そこには戦略性はなく場当たり的な対応が続いている。
これを、支援するならそれなりの覚悟が必要なのだが、日本政府からはこの状態がいつまで続くのかという分析は一切聞こえてこない。空気に乗って「正義のための支援だ」などと盛り上がっているうちはいいのだが、そのうち「話が違う」と言い出す人も出てくるのではないかと少し心配になる。