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志位体制の日本共産党が党員をつづけざまに除名せざるを得ない深刻な理由

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日本共産党がまた党員を除名したという。なぜ次々と党員を除名するのか。あまり知られていない日本共産党の歴史に由来している。日本共産党は過去を清算できていないため政治議論を外に公開することができない。それどころか最近では外向けに情報発信すらできなくなっているようだ。

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きっかけになったのは松竹伸幸氏の「シン・日本共産党宣言 ヒラ党員が党首公選を求め立候補する理由」だった。この時に同じ批判本「志位和夫委員長への手紙 日本共産党の新生を願って」を出版している鈴木氏が除名されないのはダブルスタンダードであるという批判が出ていた。地方選挙を控えているため鈴木さんを切るに切れないのであろうという見立てになっていた。

日本共産党はおそらくこのダブルスタンダード批判を重く受け止めてしまったのだろう。鈴木元(はじめ)氏も除名してしまった。統一地方選挙が近いため選挙に影響が出るだろうことは党幹部も認めるところである。

なぜこんなことになったのか。要因は複合的だ。

第一に日本共産党は深刻な高齢化に直面している。すでに赤旗が縮小されている上に新規会員数も伸びていないのだろう。京都は「金城湯地」とされているそうだが関西圏は維新が躍進しつつある。なんとかしなければという危機感は近畿圏の方が強いのかもしれない。

次の問題は共産党の民主集中制へのこだわりである。民主集中制とは聞きなれない言葉だが、内部で議論をして体制を固めるというような意味である。決して内部議論を外に持ち込まず非共産党員に押し付けることもしないとされている。

最後に日本共産党の持つ独特の生真面目さがある。全ての議論コンセプトに名前をつけている。科学的に政治議論を理論化したいという意気込みを生真面目に守ろうとしているかのようだ。志位委員長は生真面目であり、放送やSNSでは悪く言えば退屈に見える。

この生真面目な民主集中制はかなり軋みを見せているようだ。

佐藤優氏がプレジデントオンラインの「幹部のツイッター削除、発言撤回の背景に何があったか…佐藤優が見た共産党内の”危機感と動揺”」で興味深いことを書いている。

田村智子氏がTwitterで有権者の不安について触れている。「野党として共闘する分にはいいが政権を取ったらどうなるの」と言う有権者の生の声を感じたというのだ。これはSNSでもよく見られる意見であり特に「秘密」というようなものではない。

だがこのTweetは「田村氏本人の意思」で削除されたことになっているそうだ。「一体何があったのだろう」と佐藤さんは考えた。

佐藤氏はここで上田耕一郎氏と不破哲三氏の「自己批判」について触れている。上田・不破兄弟が批判された理由は議論を外に持ち出したことだったとされている。これが自由主義、分散主義、分派主義の典型的な誤りだったというのが彼らの自己批判の内容だった。

佐藤氏は、どうやら共産党では内部の議論と外部の議論が分離しているようだと観察する。田村さんの今回の内側の議論を飛ばしてTweetは外に向けて議論を誘発したことになる。おそらく日本共産党ではこれがタブーとされているのであろう。

日本共産党について調べると、民主集中制、自由主義、分散主義、分派主義、政治対決の弁証法などのさまざまな共産党用語が出てくる。これらをいちいち理解しないと共産党では議論ができない。さらに議論の細かい内容は「基本知識をクリアした共産党員の内部でのみ」行われて外に伝達されるという仕組みになっている。

さまざまな情報を総合すると、おそらく志位委員長が主催するべき内部議論が時代の変化に対応できなくなっているのだろうと言うことがわかる。内部的にはさまざまな議論が出ている。特に維新に押されている関西と東京には意識のずれがある。

なぜこんな面倒なことになっているのか。

日本の共産主義はまずインテリと呼ばれる人たちの間で共有され、それが労働者や地方寒村の農民に広がると言うようなやり方で広まってきた。このやり方はSNSを通じて政治情報が飛び交う現代では明らかに時代遅れだ。だがおそらく共産党の内部にはまだこの伝統が生きているのだろう。

だが、議論文化は単にマインドセットの問題である。つまり意識的に変えることができる。

ところが共産党には変えられないものがある。それが過去の歴史である。

共産党はスターリンらの干渉にさらされ所感派・国際派に分かれていた歴史がある。この時一時武装闘争路線を取り今でも公安からマークされている。この時に作られた武装闘争を是認する「51年綱領」は明らかにスターリンの影響を受けている。

この時の議論は共産党の内部に激しい闘争を生み出した。一部海外に逃れた人まで出ている。単に政治の方向性をめぐる議論にはならずおそらく個人を否定するような激しい議論に発展したのだろう。

共産党は激しい民意の拒絶反応にあい武装闘争路線を転換する。ただし武装闘争路線に加わっていた人たちを糾弾せず既に亡くなっていた徳田球一氏に全てを押し付けたとされているそうだ。このやり方に不満を持った人たちは過激派を形成して共産党の外で武装闘争路線を継続したため1960年第ごろから「左翼は危ない」というイメージが定着することになった。

そもそも内部に悪者を作って追い詰めないようにガラス細工のように歴史観を積み重ねてきている上に、もともとあった生真面目な気質もあり「議論を科学的に固定してゆこう」とする傾向がある。

現在はSNS時代である。有権者のニーズや政治に対する期待は一様ではない。有権者のニーズに合わせて柔軟に政党の立ち位置を変えてゆかなければ現在の速度に対応することはできないだろう。つまり日本共産党が内部のマインドセットを変えない限り政党として生き残ることは難しそうだ。

日本共産党が過去を清算し党内体制を民主化しなければSNS時代に有権者を獲得することは難しいだろう。そもそも議論の内容を党外に発信することもできないわけだから鈴木・松竹氏が考えるような「党首公選」などができるはずもない。おそらく公選制は維新を意識したものなのだろうが、公選制だけが維新の人気を支えているわけではない。今回の登場人物を見ているとどなたもかなりのご高齢である。おそらく既に現代の有権者のニーズはわからなくなっているのではないかと思う。

いずれにせよ公開議論すらできなければおそらくSNS上にある民意を組み上げるどころか情報発信すらまともにできないだろう。

かつてのように貧しい農村を教化するようなやり方は取れない。一度は野党共闘を掲げて復権するかに見えた日本共産党はこのまま高齢化衰退路線を進むことになるのではないかと思う。維新の躍進は背中を押すくらいの意味合いはありそうだが衰退の主因ではないだろう。

日本共産党は外向きには「さまざまな弾圧にさらされている」と主張しているようだが、実際にはあまり柔軟とは言えない政治議論の環境によって自壊しようとしているのではないかと思う。

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