パリの街は今ゴミが積み上がっているらしいとニュースになっている。背景にあるのがマクロン大統領が強引に押し進める年金改革だ。背景にあるのは中間市民層の没落とフランス議会政治の機能不全である。政治にアクセスできない人たちが職務放棄を通じて抗議の意思を示しているのである。
マクロン政権の年金改革は一度頓挫している。2017年の就任の時からの悲願だったが国民の反発が根強く実現しなかった。改革プランは新型コロナ対策のため一度お休みになりコロナ禍が終わると再び提案された。フランスでは年金改革に反対する労働者たちが繰り返しデモを行っていた。コロナ禍やウクライナの戦争で市民生活が疲弊している。この不満の捌け口にもなっているのだろう。
フランスでは政治の機能不全が進んでいる。実は今回の強行採決は実は100回目だったとBBCが書いている。つまり強行採決自体はフランスでは珍しくないことになる。
実際、第5共和政の60年超の間に、あらゆる立場の政党がこの条項を使ってきた。そして今回がちょうど100回目に当たる。
マクロン氏は大統領になることはできた。敵対する候補が地方を地盤にするルペン氏と都市部を地盤にするメランション氏で割れていたからである。前者は極右と呼ばれることがあり、後者は左派と言われることがある。
大統領に対する抵抗勢力が分断されているため結果的に大統領側が「勝つ」という構図がある。これはマクロン政権に特有のものではなくフランスでは決して珍しくないことなのだ。
マクロン大統領は年金改革にこだわり続け上院では可決された。しかし下院では与党が協力を仰いだ中道右派の政党が反対を示唆していた。否決を恐れたマクロン政権は首相権限により「採決を省略する」ことにした。
理論上、議会は内閣不信任決議を提出することができる。ボルヌ首相が「採決によるリスクを取るわけにはいかない」と職権発動を宣言するとプラカードを持った不満げな議員たちが次々と議場を後にした。この議員たちが協力すればボルヌ内閣は崩壊する。ただ、実際に議会が協力できるかはわからない。
そもそも今回年金改革提案がこれほど拗れたのはなぜなのだろうか。
Courrier Japonはマクロン大統領が年金改革に固執する理由と国民がそれに反対する理由をそれぞれ短く書いている。
マクロン氏はフランスの年金システムは破綻する可能性があり、財政規律上も好ましくないと主張する。公的支出が14.5%あるそうだ。また、定年年齢が62才と低い。
一方で、富裕でない国民ほど年金に依存している。そもそも高学歴の人たちは62才になっても年金が受給できないのだという。早くから働いている(つまり低学歴の)人たちほど年金システムに依存しているということになる。
市民階層の没落も進んでいるようだ。東洋経済は左派のメランション氏がコロナ禍やウクライナの戦争による物価高に対抗するための「貧しい市民の革命」の道を模索していると書いている。緑の党、社会党左派、共産党、「不服従のフランス」などの党派を結集してNUPESという運動体を作っている。
だが、「議会内革命運動」はまだ始まったばかりである。またフランスの憲法では野党勢力が団結いない限り大統領権限の方が強い。議会政治が分断されている時、マクロン政権に反対している人たちは議会政治を通じて意見を表明することができない。
議会政治にアクセスできない人が増えるとどうなるかというのが今回の問題だったのかもしれない。
日本でも政治にアクセスできない人たちはたくさんいる。だが、表立って社会で抵抗する人は少ない。ある種の諦めや抑制が働いている上に孤立した個人は分断されているからだ。おそらく表立った扇動者でも現れない限り、現在の日本でそれが可視化されることはないだろう。
だが、市民革命発祥の地であるフランスは違った。
今回の街に溢れるゴミや市民革命さながらのデモは「今の政治は訳がわからない」と考える人たちが可視化された姿である。AFPは広場に点火された花火を見つめる警察官の写真を伝えている。警察は催涙弾と放水でデモ隊を排除し120名を拘束したそうだ。
政治にアクセスできない人たちは「街中に積み重なるゴミ」として可視化されている。フランス社会が「エッセンシャルワーカー」に依存していることがよくわかる仕組みになっているのである。フランスの政治は彼らエッセンシャルワーカーを置き去りにして改革を推進することができる。政権なりの「理屈」もあり手続的にも合法・合憲である。
しかし、そもそも「今の政治は訳がわからない」と考える人たちにはその理屈は伝わらない。