世耕弘成参議院幹事長が「ガーシー氏排除は憲法改正の予行演習だ」と表現して話題になっている。多数派さえ形成できればなんでもできるという意味なのだろう。一応、時事通信と朝日新聞が反発していたが思いのほか反発は広がらなかった。調べてみると「安倍後継として焦っているのだろう」という評価が多い。なぜ世耕さんは焦っているのかについて考えてみた。おそらく世耕さんも高市さんも何かを安倍総理から引き継げなかったのだろう。
憲法改正の予行演習という発言自体には「多数派さえ形成できれば何でもできる」という驕(おご)りを感じるためなんとなく反発したくなる。だがなぜそれがまずい発言なのかについてメディアはうまく総括できなかったようだ。
朝日新聞は「有権者に選ばれた議員の資格を奪う投票を軽んじる行為だ」と批判している。これがよくわからない。憲法改正も重い提案だからである。「天声人語は受験生のお手本だ」と言われているクオリティペーパーの朝日新聞だが「政治報道はこの程度なんだな」と感じる。
時事通信も同じ発言を取り上げている。批判の声も上がったと書いているが、誰がどういう理由で批判したのかは書かれていない。こちらはガーシー氏の除名が軽い問題ということになっていて「憲法と同列で扱うのはいかがなものか」と朝日新聞とは逆の評価だ。
- 朝日新聞:憲法 < 議員資格剥奪
- 時事通信:憲法 > 議員資格剥奪
世耕さんは、おそらく2/3以上の多数派さえ形成できれば少数派が排除できるということを言いたかったのだろう。仮に自民党が多数派を握っていれば「数の横暴だ!」という批判が出ていただろう。だが実際には世耕さんの評価はどこか寂しい。
まず、岸田総理は明らかに脱アベノミクスに向けて動いており清和会の非主流化が進む。清和会は福田元総理の流れを汲む名門派閥であり森・小泉以降は確かに自民党の主流派だったことを考えるとどこか「没落した」という感覚になる。
誰が安倍派を継承するのかには答えが出ていない。
世耕氏は「一周忌までに領袖を決める必要はない」と予防線を張りつつ頭ひとつ抜けようと懸命に情報発信している。だが、なんらかの事情で焦っているようにしか見えないのだ。
世耕氏だけでなくどの候補者も安倍氏が持っていた何かが引き継げなかったのだろうという気がする。
新しい総裁の植田氏からアベノミクス継承の言質を取ろうとしたが党内から「安倍派会長の後継者争いを念頭に置いているのではないか?」と冷めた見方が出ているそうだ。これに対して「やむにやまれる大和魂で質問した」と良くわからない弁明をしている。
自分こそが質問によって植田氏に現地を与えないようにしなければならないとの気負いが感じられるが安倍氏ほどの言語的な才能がないことはなんとなくわかる。
民族主義的な「大和魂」という言い方をすればなんとかなるという雑さが感じられる。
この背景に何があるのだろうかと思った。もう少し違った材料を探してみよう。毎日新聞が安倍総理の回顧録を分析している。この中で毎日新聞は興味深い視点を提示する。安倍氏にとって憲法改正は単なる野党分断の道具だったというのだ。そしてその背景にあるのは相手を分断してでもとにかく政権を維持したいというある種純粋な願望である。
「なんだ毎日新聞か」と思う人もいるのだろうが、冒頭無料部分を読む限り御厨貴さんを入れて割と丁寧に読んでいるのではないかと思った。
ただそれだけで安倍総理の支持率が高かったとも思えない。安倍総理はさまざまな手段を通じて「憲法さえ改正すれば」「日銀の金融政策さえあれば」あなたたちは変わらなくていいですというメッセージを国民に対して投げかけていた。
民主党は「日本は変わらなくてはダメなんだ」という政権だったが、変わりたくても変われない人たちや自分達のあり方を否定されたと感じる人が多かった。このため、安倍氏のこのメッセージは長きにわたって支持されてきた。変わりたくても変われないという人たちにとって日本で一番偉い人である安倍総理の言葉は天からのの福音に感じられただろう。
実は憲法改正が実現しないことによって安倍総理はいつまでもそのメッセージを使うことができていたのである。
世耕氏の憲法改正に対する発言を聞く限り安倍総理がキーとして使っていた自己肯定のメッセージは感じられない。代わりに「安倍後継としての地位を確実にしたいという自己保身なのだろう」と感じる人が多いようである。さらに言えば安倍氏がなぜ憲法改正にこだわっていたのかということも後継者候補には伝わっていなかったのだろう。それは来るべき天国の約束であり実現してはいけないものだったのかもしれない。
世耕さんや高市さんが世論からの支持を集められない理由はおそらくそれが「自己保身」とみられてしまうからだろう。だが、その背景には安倍氏が持っていた「秘蹟(目に見えない恵みをカタチに表して見せる行為)」のようなものが誰にも受け継がれていないという事情があるのかもしれないと感じる。
秘蹟と表現したが実際にこれが本当に「神の恵み」だったかについては考察が必要だろう。もう一つの福音だった黒田総裁の政策は「単に構造改革を遅らせただけだ」という批判がある。あたかも奇跡や神の恵みのように見えた何かは実は単にやるべき改革の先延ばしだった可能性が極めて高い。
いずれにせよ、安倍総理がなぜこれほどまでに分断や自己肯定にこだわったのかまたその後継者を目指す人たちになぜその「魔法」が受け継がれなかったのかということが気になる。
安倍総理は一度政権を失うことによって政治家としての死を経験している。だが後継者には誰も同じようない経験をした人はいない。つまり、まだ少なくとも与党には有資格者が現れていないということなのかもしれない。
またさらに言えば今後も与党から有資格者が現れるかどうかはわからない。強烈な挫折体験を持っている政治家は与党だけでなく零細野党からも出現する可能性がある。