参議院予算委員会で総務省から「大臣レクはあったようだ」と言う見解が出された。岸田総理は高市早苗大臣を救済しなかったのだと思った。共同通信の世論調査では高市さんの発言に納得できないという人が73%もいる。結局、高市さんを一人悪者にすれば全てが丸く収まってしまうのだ。
まず、放送法の政府見解について確認する。磯崎氏には総務省を監督する権限はなく従って放送法の解釈に何の影響も与えなかったのだということにしたようだ。「従来の見解を再確認しただけだ」と言っている。曖昧な放送法そのものは総務省にとっても都合がいい。放送局に「忖度」させる余地が生まれるからである。
一方で「レクはあったようだ」ということになった。これで文書が捏造であるという指摘は事実上否定されたことになり「政府は行政文書の正当性についていちいち議論しなくてもいい」という体裁がつくられた。
最後は総理大臣の任命責任だ。高市さんを罷免してしまうと総理の任命責任が問われかねない。そこで高市さんは大臣のままだ。このため、高市さんは野党の質問に対応し続けなければならない。ある意味本人にとっては最も過酷な状況と言って良い。健康上の理由などで逃げることはできていない。
これらの措置により岸田政権は総務省と内閣を本丸部分で守ることができる。だが、当然高市さんは救済されない。高市さんは「大臣レクはたくさんあったのでよく覚えていない」と発言を後退させている。国民の間には漠然とした不信感が残る。世論調査では多くの人が不信感を持っている。またTwitterでも「カッコ悪い」と言うようなことを言う人たちがいたようだ。
岸田総理が高市さんを救済しなかったのは明らかだ。さらに高市さんを救済しないことで安倍政権の時に許されてきたような振る舞いがあっても内閣は一切関与しないという見せしめにもなっている。安倍時代は終わったのだ。
前回、総務省内にある自治省系と郵政省系の派閥対立構造について書いた。選挙がらみのため、スコミがこれを正面から分析することはないだろうと思う。仮にこれが単に「自治省系の人が横槍を入れてきて高市さんがその肩を持った」と言うような話だったと仮定すると(もちろん根拠はないのだが)かなり残酷な形の終わり方になったと感じる。郵政系の人たちだけで文書を残し後になって公表した。高市さんはおそらくそのことも理解しているのではないかと思う。
総務省内部でどのような話し合いが行われたのかは全く不明だ。だが、官邸がこれに介入し問題の沈静化を図ったと言うような報道もない。あるいは現在の官邸は従来の官僚主導に戻ったのかもしれないとも感じた。これについては今後何らかの報道が出てくるのかもしれない。個人的には注目しておこうと思っている。
さらにこれが単なる「ちょっとした騒ぎ」を意図したものだと仮定すると「本当だったら辞めてやる」と言う発言が問題を必要以上に拡大させたことになる。高市さんはセンターステージに引っ張り上げられたということだ。政治家の一言が持つインパクトの大きさと恐ろしさを改めて感じる。
午後の参議院予算委員会は滞りなく進んでいた。高市さんを一人取り残したままバスは進んでゆく。冷静に考えてみるとこれが最も残酷な現実なのかもしれない。経済安全保障大臣という役職にはそれほどの重みはなく審議の本筋にさほど大きな影響を与えないのだ。
国会の関心は既に「少子化対策として誰にどれくらい配られるのか」に向かいつつあるようだ。教育国債までが議論されておりまだまだ「パーティー」を続けたい人たちが自民党の中には多いようである。アベノミクスは終焉を迎えているのだがそれに気がついていない人が大勢いることがわかる。