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政治に真面目な人が増えているから旧N国(政治家女子48党)が支持されてしまうのではないか?

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立花孝志氏が率いる旧N国がまた名前を変えた。マスコミでは「あんなのは政党ではない」という評価が一般的だが、実は有権者が政治を真面目に考え出したからこそ「あんな政党」が躍進しているのではないかと感じた。

ただおそらく旧N国は「政党」ではない。YouTuberが政治家をやってみたという企画ユニッである。ルールに沿って行動したので3億円以上の政党助成金がもらえたYouTube企画ユニットということになる。

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NHK出身の立花孝志氏はもともと「NHKをぶっ潰す」をメインテーマにした政治活動を行なっていた。選挙ドットコムに立花氏が政党を立ち上げるまでの経歴を書いている人がいる。NHK内部で精神的にかなり危ない状態になりその後政治運動に目覚めたことになっている。一度自我崩壊に直面した人ならではの危うさがよくわかる。ただし記事自体は立花氏の証言をまとめたものであり第三者による検証はされていない。

つまり元々のライフワークが「ぶっ壊す」だったことになる。さらに言えば個人の経験に密接に関係しているといえる。

だがこの「ぶっ壊す」活動は徐々に広がって行った。躍進するに従って次第にその関心は「日本の政党政治の破壊」につながってゆく。個人の経験が徐々に周囲の共感を得て行ったという点に最初の恐ろしさがある。

おそらく立花氏が理解されないのはこのためであろう。大抵の人は利権を得るために政治家を目指す。あるいは自分の主張が正当だと主張するために何かを壊そうとする。単に壊すことが目的になった人が理解されないのは当然だ。これが二番目の恐ろしさである。つまり政治の側から彼ら支持者にアプローチしようとしても届かない。にもかかわらず政治の側はこの人たちを「政党」として扱わなければならない。それがルールだからだ。

N国は3億3400万円を獲得している。普通なら「これをどう守るか」を考えるはずだ。これが我々が理解できる「政党」や「政治家のあり方」である。せっかく作ったものは守りたくなるだろうと考える。

ただ、単に壊すことを目的にした人が周囲から支持されるはずはない。つまりこの運動に共感する人がいる。これが第三の恐ろしさである。

ではなぜこのようなことになったのか。実はこの動きを追ってゆくともう一つの崩壊と密接に結びついていることがわかる。それが高市早苗氏らの行政文書の破壊である。実はこの二つの「破壊」は一つの事象の裏表になっている。

行政文書は国の意思決定の基だ。日本の政治は基礎に石ころが混じったコンクリートが使われている耐震偽装物件である。

この耐震偽装に憤る人はそれほど多くない。例えば、田原総一郎さんなどは「日本の文書管理はそもそもいい加減だったと江藤淳も言っている」と主張する。日本の政治なんてそもそも偽装建築なんだからそれを受け入れるべきだというのだ。同じように、放送と言論統制の間のバランスについて論じる人もいない。

つまり日本の有権者はそもそも政治を信頼していない。では日本の有権者は政治をどのように捉えているのだろう。日本人は政治を利権の分配装置だと考えているようだ。ただこれも崩壊しつつある。

高市早苗氏は地元で自分の秘書を県知事として押し込もうとしている。しかし、奈良県の自民党県連ではこれに反発する人が多い。このため奈良県知事選挙は保守分裂になった。さらに、そもそもこのインナーサークルには入れない有権者が増えており維新が躍進している。このため今回の奈良県知事選挙では「漁夫の利」に注目が集まる。奈良新聞によると維新・山下氏が先行しているそうだ。

同じような動きは実は福岡県でも起きていた。麻生太郎氏が福岡県知事に新人を押し込もうとしたが県連から反発された。この新人は結局北九州市長選挙に回り市長に当選してしまう。宏池会の古賀誠氏はこの動きを苦々しく思っており、麻生太郎氏と組んだ岸田総理を許せない。このため宏池会は林芳正氏に譲るべきだと言い出している。

日本政治は小さな利権集団がピラミッド型の構造を作り自民党を支えてきた。つまり自民党は保守政党ではなく利権分配政党だった。この構造が崩れかけており中央と地方の関係がおかしくなりつつある。さらにその外側を見るとこの利権構造とは無縁の日本人が増えている。関西圏で維新が躍進しているのはそのためである。

「政治がそもそも何のために存在するのか」という答えがないままで人々は政治を議論してきた。そのうち既存政治の内部崩壊が始まってしまい現在もその状態が進行している。ただ、それを代替する政治勢力が出てきていない。また崩壊する構造物の内部にいる人は意外とそのことに気がついていない。

人々は自分達の頭の中にないものは再現できない。日本に自民党に代わる代替的な政党が作られないのはそのためだ。利権構造が溶けているが、それに代わるものも見つからない。だから、仮にふと立ち止まって「今の政治に対してノーを突きつけよう」としても有権者には選択肢がない。

皮肉なことに政治のない日本にも政治言論は豊富に存在する。YouTubeには政治に興味を持つ若者が溢れており「コンテンツ」を求めている。政治教育を受けていない日本人が新しい政党を作ろうとしたというのがおそらく旧N国である。立花氏の政党をどう呼ぶかは別として基準は二つある。「視聴者を飽きさせない話題作り」と「応援」である。

立花氏が実際にどう動いているのかを見てみよう。

ガーシー氏は立花氏が見つけてきたコンテンツの一つに過ぎない。

ガーシー氏はネタもとである日本を離れてしまったために暴露ネタを見つけられなくなってしまった。この時点でガーシー氏には意味がなくなった。最後に残ったのは「議員なのに議場にゆかない」という面白さだった。だがガーシー氏は逡巡した結果フラフラとトルコに行きなんとなく日本メディアのインタビューに応え結局日本には戻らないという決断をした。おそらく立花氏がガーシー氏に期待したのは「突き抜けた面白さ」だったはずだがガーシー氏はその期待に応えることができなかった。

つまりガーシー氏はネタにならないのだ。コンテンツとしては終わった。だから打ち切りになる。

ガーシー氏はおそらく立花氏の行動原理をよく理解できていないのだろう。立花氏に対して不満を爆発させているそうだ。「ただのジョークやん」と言っている。その通りだ。本質的にこれは「コント」である。

当初「28万人の投票」を背景に抵抗運動を行うのではないか?などと予測したのだが、その予測は見事に外れてしまった。「地道な抵抗運動」というのは既存の政治的常識にとらわれている人の考えることであって面白さを優先するYouTuberの発想ではない。

立花氏は「次のクリック数を稼ぐにはどうしたらいいか」と考えた。そこで出てきたのが「女子」だ。

今の政治は「おじいちゃん政治」である。「おじいちゃん政治は訳がわからない」と思っている人は誰か。それは「女子」だ。そこで選ばれたのが池上彰氏の番組で生徒役をやったこともある「女子」である大津綾香氏だ。目黒区長選挙に立候補するそうだ。立花氏は明確にアルゴリズムと言っている。政治ではなくYouTubeのプロモーション戦略である。

立花氏は「憲政史上、一番若い国政政党の女性党首ってことは間違いない。ファッション雑誌とかグルメとか、日頃政治ニュースがアルゴリズムに出てこない人たちに、こう見えて大津さんは国政政党の党首なんだよ、みたいな。

「みたいな」だそうだ。

参議院選挙でも独特の言い回しが見られた。投票は政党にとって金になるというのだ。「私の当選は無理です、しかし、あなたの1票で約250円と2票で約500円の政党助成金がNHK党に交付されます」という主張が見られた。これはYouTubeの寄付と同じ発想だ。よく考えてみれば、有権者は普段はこの寄付する権利を捨てている。だったら、わたしたちにくださいというのが立花氏の主張ということになるだろう。

現在の有権者は政治に対して明確なビジョンを持っていない。だが、彼らはYouTubeなら理解できる。テレビが新しい有権者に戸惑うのは当たり前だ。

田崎史郎氏はガーシー議員を許せないという。田崎氏は間違っていない。田崎さんのような人を怒らせることがそもそも立花氏の目的だ。八代弁護士も「言っていることがめちゃくちゃだ」と言っている。めちゃくちゃだからこそ意味がある。

我が国は有権者に対して政治教育をやってこなかった。民主主義において投票とは自分がどういう生き方をしたいかを表現することなのだが選択肢もない。リテラシーもなく選択肢もないなかで、政治のインナーサークルに入れなかった人が何をやるか。

政治の破壊を始めてしまうのである。

つまり、旧N国の躍進は日本の有権者が真面目に政治について考え始めたからこその動きと言える。YouTuber視聴者の生活には政治はなく政治評論だけがある。そして、YouTubeでは視聴したり寄付したりすると相手が喜ぶようだということは知っている。

だったらそうしてやろうというのが発想の根幹にある。

ただこれがいいことなのかと問われると決してそうは思わない。維新には政党らしさがある。既存の政治を否定して大阪や関西での利権を手に入れたい。だからこそ政党として対策ができる。ところが旧N国の場合、おそらくその根本にあるのは純粋な破壊衝動である。だからこそ彼らは恐ろしい存在なのである。

日本の政治は長い間安倍政治の「ご飯論法」に抵抗できなかった。高市氏はその最後の生き残りであるといえるだろう。だがこのご飯論法そのものは意味を失いつつあるのかもしれない。もっと根本的な破壊が進行中だからである。

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