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高市 vs 小西 放送法解釈変更問題の論点を箇条書きしてみた

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あっという間に話題が拡散した。今一体何が話し合われているかわからないという人がほとんどだろう。どちらかに参戦してみたいという人もいるだろうし、テレビで取り上げられているのだからきっと真面目な論点があるはずだと考える人も多いに違いない。実際にこれですっきりする人はいないと思うのだが問題点を単に箇条書きしてみた。

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文書の真偽問題

そもそもこの文書は存在したのか?

元々の高市さんの「防衛線」はここだった。だが、なんらかの理由で磯崎さんがやりとりを認め松本大臣もあっさりと文書の存在を認めた。

  • 文書は「行政文書」として存在した。78ページあった。
  • 文書を書いた人や報告をした人の名前はわかっている。

そこで、岸田政権は内容をぼやかしたままで「逃げ切り」に路線を変更した。

  • 政権は白黒はっきりさせないまま逃げ切るべきなのか?
  • 逃げ切らず明確にすべきだとしたらそれはなぜなのか?

岸田政権が逃げ切ろうとしているため、以下の問題について延々と議論が続いている。結果的に文書管理のあり方放送法のあり方についての議論が全く進まない。


「誰が悪いのか」と「どっちが辞めるか」問題

どっちが辞めるかの議論をしたい人は好き嫌いで判断すればよい。つまり、特に構造を理解する必要はない。それでもあえて整理してみるとだいたいこのような議論をやっている。

中身が正確だと仮定した場合

  • 正確だとすれば磯崎さんと高市さん行動の是非は?
    • 磯崎氏は「意見交換」までは認める。
    • 高市氏は「全面的に知らなかった」と発言し「自分に関する箇所」の正確性のみを全面否定
  • 解釈変更はあったのか?
    • 磯崎氏は「1つの番組を見て判断するという解釈はあった」と説明するが小西さんは否定。
    • 政府(総務省)は解釈変更はなかったと説明している。
    • 結局現在の政府の解釈は何なのか?
  • 解釈変更があったならそれは安倍総理の意向によるものだったのか?
    • 文書の内容を見ると総理大臣は一部の番組にかなり不満を持っていたようだ。
    • 一部マスメディアは安倍総理の意向を問題視。高市氏はこの点について防衛を図る考え。
  • 放送法の解釈変更は実際に放送局に影響を与えたのか?
    • 実際に与えたとすればその是非は?
    • 与えなかったとすればなぜ与えなかったと言えるのか?
  • 正確だとすれば高市さんは宣言通りに議員を辞めなければならないのか?
    • 辞めなければならないとすればそれはなぜなのか?
    • 辞めなくていいならそれはなぜなのか?
    • そもそも高市さんが辞めれば問題は解決するのか?
  • 当初「文書がでっち上げ」と言っていたのに「不正確」と表現を変えた「論点ずらし」の是非。

中身が不正確だと仮定した場合

  • 文書が不正確だとすればそれはなぜなのか?
    • 政府は現在調査中と言い逃げ切りを図る考え。
  • 不正確な文書を提示して大臣を追い詰めようとした小西さんは責任を取るべきなのか?
    • 責任を取るべきならばどうするべきなのか?
    • 責任を取るべきでないならそれはなぜなのか?
    • そもそも小西さんが辞めれば問題は解決するのか?
  • 文書が不正確だとすれば全体が不正確なのか、一部が不正確なのか?
    • 松本総務大臣は一般的に官僚は捏造はしないというがこの件についてはわからないと答弁。
    • 聞き取りはしたが「相手」から許可がないので内容は伝えられないとも答弁。この相手が誰なのかは厳密には不明のまま。
  • 誰かが故意に内容を変えた?
    • 誰かが故意に変えたとすればその目的はなんなのか?
    • 高市氏は「官僚のパフォーマンス」の可能性を指摘。「私をよく思っていない人がいる」と指摘。
    • なぜ私をよく思っていない人がいると高市氏は思うのか?
    • 誰かが故意に変えたとすればそれは犯罪に当たるのか?
      • 犯罪に当たるならば誰が告発すべきなのか?
        • 郷原氏は高市さんは公文書偽造で訴えられると主張する。
        • 政府がこれを告発できないとすればその理由はなんなのか?
  • 故意はなかったが不正確だった可能性も。
    • ではなぜ不正確な文書が残ったのか。文書管理の是非。

言った言わない、辞める辞めないという話に終始しこれらの問題について詳細が掴めない。近代国家としての日本の崩壊だと考えることもできる。法律を決める際や運用の際に何が行われたかが把握できなくなる。つまり、行政文書の正確性が揺らぐということは国家統治の大原則が揺らいでいるということになる。

文書管理

実際に話し合われるべき問題は二つある。一つが文書管理の問題だ。発表されれば大騒ぎになることが分かりきった文書がなぜ国民の目に触れることなく管理されてきたのかという問題だ。

  • 国民や大臣が見ることができない「公文書」があることの是非。
    • 国民民主党の玉木雄一郎氏は「セキュリティ管理の問題として問題」と指摘。また「政治的意図」についても指摘した。
    • そもそも国民が行政の意思決定について知らされないという問題。文書が出てきても「正確性がよくわからない」となれば後日検証はできず法律運用の一貫性が「属人的に」しか把握できなくなる。後任者がやってきてもなぜあの時にあんな決定がなされたのかがわからなくなってしまうからだ。
  • 国民や大臣が見ることができない文書が今出てきたことの意味づけ。
    • 公務員の裏切りであるという意見。
    • 公益通報であるという意見。
    • 異なる意見がある中で誰がそれを判断すべきかという問題。
    • そもそも基礎となる文書があいまいなので判断のしようがない。したがって決められて運用されたことが正しかったのかはもう誰にもわからない。
  • 正確性が担保できない文書が残っていることに関する政府の管理責任と説明責任。
    • 政府は森友学園問題以降2017年の正確性は担保されていると言っている。果たしてこれで十分なのか。それ以前の文書を「よくわからない単なるメモ」にしてしまって良いのか?

放送法

もう一つの問題は放送法のあり方である。不党不偏原則にはさまざまな俗説があり評価が定まっていない。先日研究したように、そもそも国会答弁も変化しているようだ。インターネット時代に入りおそらく見直しが必要なのだろうが見直しのイニシアチブを取る人がいない。

  • 解釈変更は今でも生きているのか?
  • 放送法は第4条はそもそも何のために存在するのか?
  • そもそも放送法の不党不偏原則は現在も有効であるべきか?
    • 有効あるべきとすればそれは誰が管理すべきか?
    • 有効であるべきでないとすればそれはどう変更されるべきか 許認可に関する基準が曖昧な中で放送局が民主主義を守るために行動できるのか?
  • 仮に放送法の不偏不党規定が生きていたとして、インターネットが登場した今その規制に現実的意味があるのか?
  • 不偏不党を当たり障りがないとすると、そもそもテレビにメディアとしての魅力と価値があるのか?

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