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辞任はしないだろうが、高市早苗さんは大臣としては終わった

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松本総務大臣が例の文書について「行政文書である」と認めた。全文を公開し内容を精査すると約束した通り全文が公開された。高市早苗さんは「大臣としては終わったな」と感じる。高市さんも犠牲者という気はするがマネジメント職はしばらくは無理だろう。

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高市早苗大臣がなぜあのような強い言葉を使ったのかを考えるとおそらく「成功事例」を目の当たりにしてきたからだろうと感じる。だがあれは成功事例ではなかった。単に官僚たちの恨みを地下化させ膨らませただけだ。今回官僚たちが「頃合いを見計らって文書を爆発させた」という側面はおそらくあるのだろうと感じる。その意味では高市さんは犠牲者と言ってよいかもしれない。

いずれにせよ高市さんはマネジメント職としてはしばらく仕事がやりにくくなるだろうと思う。「捏造」はまずかった。論理的には極めて単純なので簡単に考察してみよう。

まず高市早苗大臣が言ったように文書の内容に事実と異なる点があったとしよう。すると現職大臣を陥れるために官僚が嘘の文書を公文書として残していたことになる。文書は念入りに保管されてA4で80ページにわたっているそうだ。「偽造」としては大作だ。これはとんでもないことで、高市さんには官僚の監督能力がないことになってしまう。だから「こんな人を大臣にするとはとんでもない」ということになる。

逆にこれが事実に合致していたとしよう。二つの可能性が出てくる。

一つは高市さんが自分を守るために虚偽答弁をしていたという可能性だ。赤木俊夫さんの事例からもわかるように安倍政権は官僚を切り捨ててきた政権だ。高市さんもいざとなったら官僚を嘘つき呼ばわりしてでも自分は生き残りたい政治家だと言うことになってしまう。誰がこんな人の下で働きたいと思うだろうか。

もう一つ、高市さんの考えを官僚たちが全く誤解していたという可能性を考えたい。高市さんの発言について優秀な官僚が誤解していたとなれば双方のコミュニケーション能力にかなり問題があることになってしまう。いずれにせよ怖くてとても大臣にはできない。

つまり、どの可能性をとっても「高市さんには大臣の資質がない」ことになる。


一方、松本大臣はなぜこの文書が存在することを早々と認めてしまったのか。

第一に考えられるのはやはり赤木俊夫さんの記憶だ。今回も頑として文書の存在を認めないということはできたはずである。だがそれは官僚に再び「嘘を突き通せ」と命じることになる。すでに赤木俊夫さんと佐川理財局長がどうなったかを知っている官僚をねじ伏せるのはかなり難しい仕事であったはずだ。

次にこのままいくと「政府が放送法の解釈を変えた(らしい)」と言う実績ができてしまう。もともと放送法の理念は政治の不当な介入を避けることが目的なのだと言う人がいる。この本来趣旨を逸脱して政府がいつでも放送局に介入できるという挑戦状になってしまう。岸田政権の優先順位はおそらく「そもそも解釈変更がなかった」ということを証明する点に置かれているのではないかと思う。さもなければ放送局側からは「大臣今のは恫喝ですか?」などと聞かれかねない。マスコミの後方的協力なしに政権は維持できない。

最後にそもそもなぜ官僚たちがA4で80枚という記録を残していた理由を考えたい。

これは「自分達は抵抗した」という実績を残すためであろう。森友問題が朝日新聞の調査報道で掘り起こされたのは2017年なのだそうだ。今回の記録は2014年から2015年のものなのでずっと前のことである。つまりその当時から官僚たちは「このままこの大臣について行ったら大変なことになる」と感じていたことになる。つまり、安倍政権側からの圧力はかなり強く広く浸透しており潜在的な反発が広がっていたことがわかる。

そもそも「この手のドキュメントが残っているのは果たして総務省だけなのだろうか?」ということすら疑いたくなる。仮にそうでないとしたら岸田政権向けの爆弾がいくつも官僚たちの文書フォルダーに転がっていることになるだろう。材料はたくさんあり、いつ爆発させるかは官僚次第である。話を広げてくれる野党議員はいくらでもいる。こうなると岸田政権は官僚のいうことを聞かざるを得ないということになる。

この件について高市サポーターたちは「文書は改竄ではないが内容は偽りだった」と言う線で高市さんを応援しようとしている。だがこれはかえって岸田政権の首を絞めていると言えるだろう。「官僚の中に嘘つきがいる」ということになれば「ではなぜその人(たち)を処分しないのか」と言う話になる。これは官僚の中にさらに敵意を生むはずだ。すでに処分の対象になるという「磯崎恫喝」が出ており岸田政権はこれを公式には否定していない。

さらに安倍政権で解釈変更が行われていたとすればその説明責任を岸田政権が引き継ぐことになる。つまり高市サポーターは岸田政権に「放送局に圧力をかけることは場合によっては正当である」と言わせようとしているのである。

仮に高市サポーターが増えれば岸田総理は「官僚か高市さんか」と言う二者択一を迫られることになろう。どちらを選んでも禍根が残る。特に官僚を斬れば今後仕事はできなくなると思っておいた方がいい。火種になる高市さんを政府に残すと言う選択肢は岸田さんにはないはずである。

この問題について官僚のリークを問題視する見解もある。これはきちんと議論されるべきであろう。

官僚は国民に奉仕しているのだから良心に従って公益通報をすることが容認されている。安全保障の問題と混同した議論も散見されるのだが、最終的には公益に叶うかによって判断されるべきだというのが現在の法律制度である。そもそも政権側が「政府が放送局を抑圧することが公益に叶う」と判断するならば堂々とそう言えばいいだろう。だが松本総務大臣が内容について精査して発表できないのは、おそらく安倍政権下でのこの動きが世論から反発されると知っているからである。つまり現政権も放送局への圧力が公益に叶うなどとは言えないのだ。

ただ一方で官僚が文書を出したり出さなかったりすることで政権の命運を握ることができる状態になっているというのも確かだ。おそらく今回の問題の隠れたポイントはそこにある。つまり時間が経ったら文書は原則公開されるというルールにしておくべきなのだ。こうすることによってしか国会議員や官僚の暴走は防げない。国民の目に触れてはいけない文書などあってはならない。

ただ仮に官僚に別の意図があったとしても安倍政権下で行われていたことが免罪されることはない。それとこれとは全く別の問題だ。

この問題についていくつか記事を書いたのだが小西さんを主語にした文書はさほど読まれなかった。この問題は「放送法解釈問題」ではなく「高市さん辞めるってよ」問題になっている。良くも悪くも注目されているのは高市さんであり存在感のない立憲民主党ではない。つまり、高市さんが「ごめんなさい勢いで言いすぎました」と認めてしまうのが最も良い解決策といえるだろう。

さらに付け加えるならば岸田総理が「報道の自由は民主主義の発展にとって非常に大切である」と宣言すれば問題は沈静化するはずだ。それが言えないところに岸田さんの弱さがあると言って良い。岸田総理は巻き込まれたと思っているのだろうが実際はやはり総理の問題なのだ。

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