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ガーシー議員除名が参議院にとって最悪の選択肢である理由

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ガーシー議員の懲罰動議が進んでいる。参議院側としてはまず陳謝を求め応じなければ除名するという考えだ。だがおそらくこの一連の懲罰行為は懲罰にはならないだろう。むしろNHK党劇場として利用されることになりそうだ。戦略には劇場化と殉難教祖化がある。今回はまずガーシー議員の行動の意味を考え、除名が最悪の選択肢であるのかという結論に向けて論考したい。28万人の支持にはかなり重みがあるがこの先も28万人で終わる保証はない。扱いを間違えればこれが50万人100万人と増えていってしまうだろう。実際に「名誉回復運動」に発展する可能性を指摘する識者もいる。

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今回問題を考えるにあたって、ガーシー議員とNHK党の行動の目的を定義する。それは議会制民主主義の無意味化である。もっと激しい表現を使っても構わないのだが面倒なことになりかねないのでこの程度で控えておく。

民主主義への重大な挑戦と言えるが一定の支持を集めている。N国党はこれを28万人だといって「見える化」している。

日本の民主主義は長い間利権分配・利益分配装置として機能してきた。戦後の混乱期の日本では国民一人一人に恩恵を直接配分することができなった。このため取られた方法が各種団体を通じた利益配分だ。例えば家庭の主婦にも主婦連という組織があり今でも組織が生きている。ところが戦後復興が進むと組織化されない人たちが増えていった。これを無党派層と呼ぶ。また分配する利権がなくなった地域もあり地方議員の担い手が減っている。

利益分配型の政治は縮小傾向だがその次が見えてこない。

N国党やれいわ新選組などはこうした利益配分構造から漏れた人たちの中から登場している。利益分配のスキームから排除されているだけではなく疎外感を抱き「そんな無意味なものは壊れてしまえばいいのに」と考えているという人たちだ。

ここで重要なのは彼らを排除すればするほど「自分達は負けたのではなく排除されている」という彼らの思い込みを強化してしまうということである。今回の例で言えば28万人が排除されたとN国党は主張できる。

現在、2つのシナリオがある。

第一のシナリオはガーシー議員が一時帰国して陳謝することだ。ただし形式的に原稿さえ読めばいい。その後不規則発言をしてマイクを切られたりすることはあるかもしれないが「多数派によって言論が制限された」と言える。その後また出国してしまえば「形式的に謝罪したのだから除名はできない」ことになる。党首の立花さんはこのルートを狙っているようである。国会劇場化戦略と言える。

もう一つのシナリオはガーシー議員が一時帰国しないというシナリオである。実は検察当局はこのシナリオを恐れているようだ。海外に出国している人を逮捕するのはかなり難しい。このため日本に帰国する機会をとらえて逮捕したかったようである。この場合除名されるがガーシー氏は「28万人の民意が国家権力に抑圧された」象徴として半ば神格化されることになるだろう。こちらは殉難教祖戦略だ。

国会がこれをどう処理しても、システムの内部に異物を残すのかシステムの外に異物を残すのかという違いにしかならない。

さらに大濱崎卓真さんは「ガーシー参議院議員を除名にするべきではない、たった1つの理由」の中で重要な指摘をしている。再選されると今度は除名できなくなってしまうのだそうだ。つまり民意が押し返したことになる。今回の除名は「大多数の数の横暴」に対する抵抗運動という大義名分を与えてしまう可能性が高い。だいたい100万票を集めれば良いのだというが大濱崎さんによれば不可能な数字ではないそうだ。

デイリー新潮は「懲罰委開催で「ガーシー3月帰国」は白紙に 「不逮捕特権」消滅で焦る警視庁が仕掛けるウルトラC」という記事で帰国の可能性が低くなり逮捕が難しくなったといっている。これは言論にとっては最悪のシナリオだ。国内では言えないことがドバイでは言い放題ということになる。視聴者がいることが前提条件になっている。つまり発言を続ければ続けるほど一定の支援者がいるという証明になってしまうのである。

劇場化路線はすでに始まっている。時事通信は浜田聡氏が「弁明」したとだけ書かれている。だがこれに違和感を持った人も多いはずだ。Twitterなどでは「マスコミが触れようとしないあの問題に触れてくれた」などと大喜びする支持者たちの声で溢れていた。日刊スポーツなどはガーシー議員に懲罰可決、議場はヤジと怒号飛び交う 「代読という権限逸脱」浜田氏も処分可能性と書いている。

さすがに内容に触れている媒体はそれほど多くないがないわけではない。選挙ドットコムが「Colabo問題と立憲民主党の関係」などに言及したと書いている。選挙ドットコムのこのコラムは「ぜひ色々な人に見てほしい」と主張している。選挙ドットコムの主張というよりはこの人の個人ブログのような扱いなのだろう。

このようなことが可能になった背景にはやはりメディアの変化がある。メディアが発展していなかった時代の主な手段は新聞などの紙媒体だった。このため議長が「議事録を残さない」と言えばその発言が伝わることはなかった。今回も尾辻議長は議事録を精査すると言っている。

ところが現代では映像がSNSで即座に配信され拡散される。今回の演説もiPAGEがフッテージを残しておりこれが選挙ドットコムで拡散された。この時点で「マスコミが伝えないあの問題」が伝わってしまうのである。

浜田聡氏は「ガーシー氏は告訴が取り下げられるまでは帰国しないだろう」と言っている。しかしながら会期中の国会議員には不逮捕特権がある。また形式上「陳謝」の要求はできるのだが陳謝の内容まではコントロールできないだろう。「この原稿だけを読みなさい」などと命じることはできるのかもしれないのだが壇上の議員の発言を遮ることはおそらく不可能だ。

例えばマイクを切ったり後ろからはがいじめにすることもできるがそれは全て映像記録に残され拡散されることになるだろう。つまり一時帰国させてシステムに記録を残した方があとあと「面白おかしい」のである。容易に殉難教祖を作り出すことができる。

ではシステム側の視点に立つとどのような対策が考えられるのだろうか。

まずは「そうはいっても極端な少数者の意見だから」として切り捨てるという選択肢がある。FLASHが2022年末に「ガーシー氏“欠席批判”がブーメランになる“得票負け議員”37人の名前 懲罰に言及も「除名」には高いハードルが」という記事を書いている。数にこだわる日本人には非常にわかりやすい。つまりガーシー氏の負けている利益代表者が37名もいるといっている。つまりガーシー氏の極端さを際立たせれば際立たせるほど少数の利益代表が浮き彫りになってしまう。

次に日本の社会は議会制民主主義を大切にしてきたのだからそれを尊重すべきだという申し立てが考えられる。だが時事通信の世論調査によると58.4%が無党派層である。さらに現在の政権を選んでいる最大の理由は「他に適当な人が思い浮かばないから」だ。政治には興味がないし関わりたくないという人が多い。システムの破壊を目論む人たちの方が政治に興味があるということになり勝ち目はなさそうだ。

有権者は政治を支持しているのではなく放置しているだけだ。となるとガーシー氏に対するベストな対策は政治不信と無関心について見なかったふりをして「下を向いて受け流す」だったことになる。しかし鈴木宗男さんは歩みを一歩進めてしまった。あとはこの問題をどうにかして着地させるしかない。

ただそれでも「たった28万人」だったのは救いなのかもしれないが、これが100万人くらいの大台の乗ればもっと騒ぎは大きくなるだろう。これまでさほど大義名分がなく単に「国会が無茶苦茶になるのが面白い」と考えていた人たちが多かったのかもしれないのだが、今後は「数の横暴によって排除された人を支援する」という大義名分が乗る。実はかなり危険なところをを突いていると言える。

今回の扱いを間違えれば潜在的に日本の政治に不満を持っている層を呼び起こしかねないということがわかる。国民の政治への無関心を背景に政治家たちがどのようなかたちでこの問題に落とし前をつけるのかに注目が集まる。

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