LGBT理解増進法案が再推進されることが決まった。これに対して高市早苗さんが「私はいいけど当事者たちが懸念を示してる」と儚い抵抗をしてみせた。これまでもやってきたように自然に当事者の分断を図っているのだろうが時代はすでに彼女の先を行っているようだ。
LBBT理解増進法案は自民党と野党の間で推進が決まったものの「自民党の一部」に潰された経緯がある。背景には旧統一教会の存在があるとみられるのだがテレビではこの話題はタブーだ。例えば、新聞記事などで容易に検索できる山谷えり子さんの名前などはテレビ報道では出てこない。
テレビではすでに「面倒なテーマ」ということになっているためあまり報道されないが、おそらく「自民党の一部」は岸田政権によって安倍政権時代の積み上げが崩され焦っているはずだ。
この抵抗運動に参戦したのが高市早苗さんだが不発に終わった。「私は推進すべきだと思うが」と前置きした上で「差別が禁止されたら就職しにくくなると考える当事者がいる」などと主張している。同性愛者というのは権利ばかり主張する面倒な人なのだからかえって距離を置く企業が増えるのではないかという仄めかしだ。
おそらく実際にこうした怯えを持った当事者は少なくないものと思われる。日本では権利を主張する個人は潰される傾向が強い。さらに野党側に立って「政治的にも少数派だ」とは思われたくないという人も少なくないはずである。やはり「多数派でいたい」と思う人が多い社会なのである。
高市さんの発言の本意がどこにあったかは傍に置くと、この種の発言の狙いは権利を主張する人たちを分断することだろう。権利を前進させたい人たちはおそらくLGBTコミュニティの中でも少数派だろう。こうした少数派を「ことを荒立てたくない」多数派と分断しようとしている。
性的少数者を別のものに当てはめてみるとわかりやすい。
例えば「キャリアを追求したい女性」は少数派だ。彼女たちを「ことを荒立てなくない」多数派の女性たちと分離し「あんな極端な人たちを許せば女性全体が面倒な存在と思われかねないですよ」と仄めかすようなことはよく行われている。
また、権利を主張する労働組合は一部の極端な人たちであり「長いものに巻かれた方が安全なのだ」というような説得工作はそれほど珍しいものではない。日本の労働運動の抑制にはこうした手法が常用されてきた。
高市早苗さんが世論を分断していると書いた。しかしながらこうした手法は割とありふれており、高市さんが悪辣な意志を持って世論分断を図っているとも考えにくい。ただ永田町風に長い間身を晒していたせいで空気を吸うように自然にこうした発想が出てきてしまうだろう。
ただこうした発想はおそらくすでに旧世代のものになっている。
分断手法は世の中に「正解」があった時代には有効だった。権利を主張する人たちを「正解」から切り離せば運動が鎮圧できたからである。
ところが現在はすでに権利を追求することを諦めたが多数派であるという実感も持てない人たちで溢れている。例えば多くの女性はキャリアか子育てかの選択を迫られる。どちらも「自分達が正解である」とは思っていないはずだ。
地域政治の目的は利権保持だがこの利権構造に関係している人たちはおそらく少数派だろう。地方政治への投票率を見ているとそれが良くわかる。
このため高市さんを多数派の守護者とみなして自民党に投票する人はもはやそれほど多くないはずだ。そもそもマジョリティが存在しないためサイレントマジョリティもまた存在しないということになる。
岸田総理がこれまでの方針を転換し子育て支援に積極的な姿勢を打ち出しているのはおそらく長期安定政権の恩恵がもはやマジョリティに到達していないことがよくわかっているからだろう。今政治に参加していない人を取り込まなければ今後も安定して政権を維持することなどできない。
正解なき社会においてマジョリティはさまざまなマイノリティの集積に過ぎない。そして多くは政治が自分達の生活を良くしてくれるとは信じていない。この政治に期待していないマジョリティをどう繋ぎ止めておくのかというのが今の政治の課題なのである。
LGBTを分断して喜ぶ人たちが現在の岸田政権に投票してくれるのかということを考えてみよう。おそらくそのような人たちは少数派である上に岸田政権には期待しないだろう。
高市さんの手法が時代遅れになってしまったのにはもう一つ理由がある。それは少数者の権利を抑制する人と多数の人たちを肯定し「あなたたちは変わらなくていい」と保証する人がセットになっていなければならないからである。すでに多数派が存在せずその存在を肯定してくれる人もいない。そうなると少数者の権利を抑えようとする人だけが「妨害者」として浮き立ってしまう。
ただ、高市早苗さんは時代の方向性を読むのに非常に長けた人である。早晩この構造の変化に気がつくのではないかと思われる。「慎重に検討した方がいいと言っただけだった」ということにすれば容易に軌道修正は可能だ。
稲田朋美さんがLGBTの権利擁護派に鞍替えしたのと同じように周りの人たちも徐々に変わってゆくのだろう。時代は移り変わっている。今後のご活躍を期待したい。