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保守から守旧派に転落 荒井勝喜氏の「LGBTが隣に住んでいたら嫌」発言炎上に感じる空気の入れ替わり

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経済産業省出身の荒井勝喜首相秘書官の「LGBTが隣に住んでいたら嫌」発言が炎上している。この発言の是非はともかく、空気の入れ替わりを感じる。これまで「保守」とされていたものが「守旧」に入れ替わってしまったのだ。

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結局、荒井氏は更迭されてしまった。秘書官など入れ替えが可能な道具としてしか扱われていないと言うことがわかる。総理の任命責任が問題になっているのだから「任命した事実」がなくなってしまえば問題は解決したと見做されるのだろう。

ことの発端は岸田総理の「同性婚を認めたら社会が変わってしまう」発言だった。つまり問題の起点は総理大臣にある。

この総理発言はリベラル系メディアに取り上げられて反発された。ここまでは安倍政権時代にもよくあったコースだ。

ハフポストは岸田首相の「同性婚で家族観や社会が変わる」発言に反発。「変わらないのは政治だけだ」と書いている。この記事が広く共感を集めたとは思えない。これまでもLGBT問題は多くの人にとってはしょせんは他人ごとだったし、おそらく今でもそうだろう。

ただ安倍政権時代とは決定的に何かが違う。安倍政権時代にはリベラル系メディアやそれを支援する人たちをさらに揶揄したり無視したりして「メシウマ」感情に浸っていた人たちが多かった。LGBTを少数者だと強調して見せることで自分達は多数派であるという優越感に浸れた人が多かったのだろう。

これが成り立ったていたのは安倍総理が庶民を巻き込んで「保守」という幻想を作っていたからである。ところがかつての保守は現在では守旧派とみなされている。岸田総理が代表する「おっさん政治」が子育て世代からなんとなく嫌われていると言うのもその一環だ。

岸田総理は本来はリベラルな宏池会を代表している。だが党内の保守派に配慮する必要があり必要以上に強い調子で「保守的な」発言をすることがある。これがギャップになっているのだろう。さらに、成蹊大学出身で「庶民的な」発言が多かった安倍総理と開成高校出身でエリートの岸田総理の違いも鋭敏に受け止められているようだ。

空気の入れ替わりほど恐ろしいものはない。有権者は敏感に反応するが永田町インサイダーにはそれを感じることはできない。

荒井さんは経済産業省の出身だそうだがこれまでは時の総理大臣の価値観に自分の価値観を合わせていればよかった。文春の記事では安倍総理と今井秘書官に目をかけられた点が強調されやっかみの対象として扱われている。

もう一つの特徴はこれがオフレコだった点だろう。これまでもオフレコで色々なことを言ってきたのだろう。今回もオフレコで総理発言をなぞってしまう。マスコミが荒井さんのことを有力な情報ソースと考えるならばオフレコを抜かれることは無かったのではないかと思う。だがマスコミ各社は彼を「ネタ」として消費することを選んだ。おそらく荒井さんに利用価値がなくなったというより岸田政権のインサイダーに利用価値がなくなったのだ。つまりマスコミは「この政権は長期政権にはならないだろうな」と感じているのだろう。

毎日新聞は一応「オフレコという約束だったがあまりにもひどい発言だったため本人に確認してから報道しましたよ」と説明している。

処分には疑問も残る。

荒井さんは「個人的な意見だった」とした上で「望ましくない」から撤回すると言っている。だが「個人でそう考えているのか」と聞かれ「差別的な思想は持っていない」と言っている。正解をチラチラと上目遣いで見ながら個人の意見を寄せているうちに一体何が適切で何が不適切なのかわからなくなってしまったようだ。

LGBTの地位向上を望むなら、本来ならきちんと荒井さんに総括させるべきだったのだろうが、彼は政治家ではなく政治家に任用されているだけである。更迭により説明責任を果たす機会は失われてしまった。

情報源としての利用価値がなくなると、マスコミのおもちゃとしての消費されることになる。このマスコミのおもちゃとして家族が巻き添えになった。

卒業式を終えて泥酔していた息子が会社員と揉め事を起こしたそうだ。早稲田大学の学生が高田馬場のロータリーで揉め事を起こすなどよくある話ではある。ここで父親の名前を出して警官の学歴について「高卒だろう」と言ったことで、文春オンラインに取り上げられることになった。

この話はどこか岸田総理の息子「翔太郎クン」に重なる。32歳にもなっているのだがまだまだ「翔太郎クン」扱いだ。岸田総理や荒井秘書官を上級国民と見立て「上級国民の息子は……」とやっかみの対象にしている。デイリー新潮は「縁故採用」とも書いている。やっかみと蔑視が入り乱れる。

一連の話はそれぞれ全く異なる個別の事情だ。ところが何故か全体的に「政権は自分達のことを上級国民だと思っていて庶民に負担を押し付けようとしている」という漠然とした印象が一人歩きしている。かつては「保守」だとされていた人たちが既得権を持った守旧派に格下げになってしまったのだ。

最近、日銀総裁の入れ替えなどで「アベノミクスの終わり」が感じられる空気感になっている。だが、実はそれ以上に大きな変化が起きているようである。

日本の政治はマニフェストや政策などでは変わらない。政治と金をめぐる不祥事の問題も実はそれほど大きな影響を及ぼさない。ところがこうしたうっすらとした違和感や嫌悪感は大きく政治に影響を与える。風向きによって政治状況が一変してしまうのだ。

日本では風の方が政治の本質なのだかもしれない。少なくともメディアにとってはこれは極めて重要だ、「この政権は長くなりそうだから情報源を温存しよう」となるのか、もういつ倒れるかもわからないから日々のネタとして消費しようとなるのかを風によって判断しているんだろうなと言うことがよくわかる、

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