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利権を失った政治はどうなるのか。消滅危機の地方議会も。

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共同通信に短い記事がある。議員なり手不足感じる、63% 市区町村の16%が無投票選出というものだ。この記事だけを読んでもなぜこの時期にこんな記事が出てきたのかがよくわからない。実は地方自治法が改正された。これまで利権の温床として禁止されてきた議員の兼業を認めるというのだ。地方議会が癒着の温床になりかねないと思うのだが実はそうではないようだ。つまり地方ではそもそも利権が消滅しかけており「政治」が維持できなくなっている。

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この件について検索すると読売新聞の少し説教くさいWebコラムが見つかった。「ハードルを越えずに、くぐる」岸田流…ルール破りは「コロンブスの卵」かというタイトルがついている。タイトルを読んだだけでは意味が全くわからない。

実は地方議員のなり手不足問題はかなり深刻なようだ。焦った与野党が共同で地方自治法の改正を働きかけた。辞任ドミノなどで混乱していた参議院での審議は後回しにされて危うく廃案になりかけた。そこで森山選挙対策委員長と安住国会対策委員長が共同で動きなんとか参議院を通過させたという経緯があるそうだ。与野党共に危機感があったのだろう。

国会議員たちは「政治家の旨味が減っているのだろう」と考えたようだ。副業規定を緩やかにし300万円を超えない請負を認めたのだという。つまり、請負業者がインサイダーとして地方政治に潜り込めるようになれば政治家になりたい人が増えるだろうと考えたことになる。

読売新聞のコラム執筆者はこの便宜供与的な発想を好ましく思っていないようだ。有権者が地方政治から離れていることを心配している。面白いことに読売新聞はこれを防衛増税に結びつけている。国土防衛を我が事のように考えるならば「防衛増税に進んで協力する人も増えるのではないか」というのだ。おっさん政治と結託するおっさんメディアは話を大きくしたがる。

読売新聞も自民党・立憲民主党もおそらく旧来型の利権分配政治の頭から抜け出せていないのだろう。読売新聞は高いところから「政治とは」という理想論を押し付け、政治家は国が地方交付税交付金を分配しそれを町村議員たちがさらに利権団体に分配するというような構造を前提に制度を維持しようとしているようだ。

では現実の地方政治はどうなっているのか。

BBCの特派員が「日本は未来だった、しかし今では過去にとらわれている BBC東京特派員が振り返る」という陰鬱な記事を書いている。この中に房総半島のエピソードが出てくる。地域は明らかに過疎化が進んでいる。ところが村の年寄りたちは外から人が入ってくることには懐疑的なのだそうだ。「余所者は私たちの暮らし方を学ぶ必要がある」という。自分達の老後の面倒を見てもらいたいという気持ちはあるが、外から人が入ってきて暮らしが変わることの方を恐れているのだ。こうして日本の村は変化を拒みつつ徐々に縮小してゆく。BBC特派員はこれを移民を拒否する日本社会に拡大して投影しているようだ。

では中央のおっさん政治かとおっさんメディアが考えるように報酬を手厚くすれば地方議員のなりて不足は解消されるのだろうか。

実は地方政治はもっと厄介な問題を抱えている。それが「嫉妬」である。日本人はとにかく「あいつだけが」という目先の感覚で動く。このため報酬のアップができないという事例があった。

産経新聞によると2021年に鳥取県智頭町で議員報酬アップを求める決議が延期に追い込まれた。議員たちがお手盛りで議員報酬アップを決めたが住民から「それはずるい」と反対署名が集まったそうだ。変化を拒みつつ徐々に衰退してゆく閉鎖された町では嫉妬心が政治を動かしている。おそらく鳥取県智頭町の議員たちが町の人たちに「分配」ができていればこんなことにはなっていなかっただろう。変化を拒み続け利権が減り「お裾分け」ができなくなっているから嫉妬が生まれるのだと言える。

読売新聞が心配するように政治への参加意識も確かに消えかかっている。日本の政治は「有権者は寝ていてくれれば結構」と社会への参画意識を育ててこなかったのだからこれは当然の結果だ。カンテレが関西地方の地方政治について調べている。若者に立候補について聞くと「いや、わからんし」という人が多く、定数割れの自治体があるのだという。カンテレが取材した和歌山県有田町では議員の2/3が年金受給対象者で唯一の30代議員は副業で運転代行をしている。もはや議員は仕事としては成り立っていないのだ。

これよりも過疎化が進むと状況が変わる。ようやく社会への参加意識に訴えかけるところが出てくる。

朝日新聞は高知県大川村の例を挙げている。人口が400名になり議員のなり手がいなくなったことで議会を解散して総会をやってはどうかという提案が出た。いよいよ自治体がなくなりかけるという究極の段階だ。「それなら」と若者が立候補を呼びかけた。都市で兼業規定をなくすと「利権や癒着」が心配される。ところが大川村にはもはやそのような癒着の心配のある産業すら残っていない。高齢者福祉に携わる人や農林業に携わる人たちが議員になれないともう誰も議員のなり手がないという状態なのである。

国では政治家が利益を独り占めしているとして政治家の世襲が批判されている。また地方であっても政令市・県庁所在地レベルだ保守分裂選挙などもある。改革派と利権温存派で意見が割れるのである。ところが議員の定数も満たせなくなっている地域が出てきているようだ。利権がなけれもう誰も議員にならない。こうして議会そのものが消滅の危機に晒されている。

変化を拒み社会参画意識を育ててこなかったことで、トリクルダウンどころか地方が壊死しかけていることがわかる。おそらくこのままではこうした地域はどんどん増えてゆくだろう。

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