日本の政治は何だか変な具合に展開することが多い。日本人は「政治」に興味を持たないまま今の状態が続くのだろうと思っていたのだが、意外なところから岸田政権が炎上しつつある。きっかけになったのは「子育て中のリスキリング提案」だ。おっさん政治が何となくイヤという人が増えている。
日本人は地域や国が衰退しているというような話にははたいして興味は持っていない。それは社会問題であってつまり他人事だ。ところがそんな日本人でも「私だけみんなに比べて損をしているのでは」というような話題には極めて敏感に反応する。それが「子育て」である。
毎日新聞が岸田首相「育休中の学び直し」答弁に批判 「育児してない人の発想」という記事を出している。政権批判に火をつけようとして失敗してきた毎日新聞が無理やり火のないところに煙を立てようとしているのだろうと感じた。だが読んでみるとどうもこれはまずい。あらためて検索したところ朝日新聞も同じような記事を書いているようだ。「育休中のリスキリング「後押し」、首相答弁に批判 識者「理解欠く」」である。子育て当事者の漠然とした不満を識者に代弁させている。
政権に厳しく対峙してきたメディアは新しい鉱脈を見つけたようだ。それが「おっさん政治批判」である。
おそらく何があったのかを知らない人もいるだろう。
自民党麻生派のある議員が「子育て中にリスキリングをしては?」と提案し岸田総理が「いいですね、応援しますよ」と応じた。全く問題がなさそうだ。たったこれだけが炎上しているというのだ。確かに毎日新聞のニュースを掲載したヤフコメにも苛立ちのコメントが溢れている。
「実際に育てて見てから言ってくれ」というのである。
背景にあるのは日本で子育てが置かれている現状である。どういうわけか、日本人にとって子育ては一種の罰ゲームになっているようだ。理由はよくわからないがとにかくそういうことになっている。例えばTBSが「「子育て罰」なくせる?次元の異なる“児童手当の拡充”は実現可能か」という記事をだしている。「子育て」はどうやら我が国では刑罰のように扱われているようだ。子育て中の家庭はいわば刑務所ということになる。
ワンオペ育児という言葉がある。Google Trendsで調べたところ2014年1月ごろからじわじわと流行り始めているようだ。最初はアルバイト先の人手不足問題だったがいつの間にか育児に転用されるようになった。
この当時の記事を読んでみたのだが「ママが子育てで倒れては大変だからパパを褒めて手伝ってもらいましょう」というようなふんわりしたアドバイスが見つかった。社会と対立したり自己主張したくない日本人は「対立を避けながら」問題を解決しようとする傾向がある。だが「褒めて手伝ってもらおう」くらいで問題が解決することはなくどんどんワンオペの検索回数は増えていったようだ。不満はマグマのように鬱積していたがそれが表面化することはなかった。
枯れ木の下に隠れた湿った枯れ葉は燃え上がらない。安倍政権下でこのワンオペ育児が炎上することはなかった。安倍総理は少子化対策で具体的な提案をしていなかったからである。おそらく岸田総理は「よかれ」と思ってこの枯れ木を退けてしまった。そこで太陽の光にあたり火がついたのだろう。家庭に取り残された親子の怒りはまさにパンドラの箱である。
茂木幹事長はNHKの番組で「何も育児中に働けと言っているわけではないんですよ」と釈明したという。茂木さんは何が苛立ちの原因になっているのかはわかっていないようだ。これはまた育児中のパパやママを刺激するすることになるだろう。
おっさんは何もわかっていないという認識ほど当事者を苛立たせることはない。
実際に子育てに優しい社会というのはどうなっているのだろうか。茂木さんがいうように「制度設計」すればそれでいいのではない。アメリカとニュージーランドの例を見てみよう。子育てに参画する政治家でなければ支持されないという現状がある。
例えばアメリカ合衆国では下院議会の初日に時に子供を連れて登院している議員が多くいた。おそらく初日にパパやママの職場を子供に見せるという意味合いがあったのだろう。下院議長選挙が膠着したため子供も一緒に議場に留め置かれることになってしまった。おんぶ紐姿でインタビューに答えた議員やアイドルになった子供の姿もあった。これくらいアピールしなければアメリカでは議員でいられないのだ。
ニュージーランドに至っては、首相が未婚のままパートナーとの間に子供を作っている。さらに「首相が終わった後はいいお母さんになる」というようなキャリアパスが認められている。
ただニュージーランドでこれが無条件に認められているというわけでもなさそうだ。社会がかなり積極的に首相を支援している。BBCが「女性はすべてを手に入れることができるのか」」というような論評で炎上し謝罪に追い込まれた。またヒプキンス新首相はアーダーン首相在任時代に心無い中傷にさらされたとして「自分は家族を守る」と宣言している。
このように本来は当事者が声を上げそれが社会に取り上げてもらう必要がある。社会との対立を避ける日本人は「そこまでして新しい生き方を貫こう」とは思ってこなかった。だが政権が票を上積みするために子育てに言及してしまったことでこれまで鬱屈してきた思いが一気に噴出している。次から次へと鬱屈した不満が噴き出す様はまさに「パンドラの箱」である。
おそらく「おっさん政治家」たちはわかるように説明してくれと当事者に求めるだろう。だがその姿勢も「わかってくれていない」と当事者たちを苛立たせるはずである。これまで散々サインを出してきたのに全く受け入れてもらえなかった。「なんか惨めになる」と考える人は多いはずだ。政権は「そこの所を上手に汲み取って」提案する必要がある。
こうした「おっさん政治」への不満がすぐさま岸田政権打倒に結びつくことはないだろう。だがおそらく何となく投票所に言って自民党に入れていた人たちは何となく自民党に入れなくなる人になるのではないかと思う。
疑念を持たれればそれを払拭するためには子育て経験のある女性を首相にするしかなくなるだろう。日本人は政策やイデオロギーといった「言葉」は信じない。日本人が信じるのは漠然とした雰囲気と親近感なのである。
例えば料理番組でもちょっとした包丁さばきやネイルなどで「この人は普段から料理をやっていなさそう」とみなされた瞬間に嫌われる。子育てが板についている人でなければ支持されないだろう。最近では女性ではなく若いパパ世代に料理番組をやらせたりもしている。そもそも「料理は女性がやるもの」というのも決めつけだとみなされてしまうのである。
改めて自民党の中に子育て経験のある女性総理候補がどれくらいいるか……と考えて見たところ野田聖子さんくらいしか思い浮かばなかった。おそらく他にも数名いるのではないかと思うが、それにしてもほんの僅かなのではないかと思う。
問題はこの「何となく自民党が嫌になった人たち」が今度の地方選挙にどのような影響を与えるかである。これまで保守アピールをしてきた人たちがにわかに「パパママアピール」を始めるかもしれない。それくらいやらなければおそらく有権者は納得しないのではないかと思う。