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降車後の安全確保もマスク着用も全て自己責任と自己判断で

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週末から週の前半にかけて日本列島を10年に一度という寒波が襲った。JR西日本は連写の運行を続け結果的に長時間の列車内閉じ込めが多発したそうだ。地方自治体や消防などの協力を要請しなかったことで誘導にも時間がかかったといわれている。この杜撰な対応で最も批判を浴びたのが「自己責任で降車してください」というアナウンスだった。

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京都新聞が「大雪】「降車するなら自己責任」極限のJR列車内でアナウンス 京都で缶詰め、乗客憤り」という記事を書いている。寒さで長時間閉じ込められた人たちに情報を十分に与えず「降りたい人は自己責任で」とアナウンスしたことがSNSなどで非難された。のちに地域の統括責任者は謝罪しているが「現場が自主的にやってしまったのだろう」としている。現場の判断だ申し訳なかったとして責任を回避しようとしたようだ。これがマスメディアに取り上げられ非難は拡大している。

JR西日本・三津野隆宏近畿統括本部長:「ここで降車して頂くか、車内にお残り頂くかにつきましては、それぞれ判断をして頂きたいという趣旨のことを伝えようとして、そのような言葉を使ってしまったようだ。不快なことを感じられる方もおられたかと思います。それは本当に申し訳なく思っています」

おそらく普段からさまざまなクレームに圧倒されていたJR西日本は「どんな判断をしても後で文句を言われるだろうな」と考えたのだろう。結果的には現場が客に「自己責任」を押し付けたということになった。誰も責任を取りたくないのだが、SNSでは「責任は誰の手に?」と問題になっているのだ。

日本人はこの「自己責任」にうんざりしている。京都新聞の「自己責任」という見出しが強く響くのはそのためだろう。誰かに責任を取ってもらいたい社会なのだ。

自己責任は社会全体に蔓延している。政府は新型コロナの5類移行を目指しているとされる。この中で一貫して厚生労働省が主張しているのは「新型コロナ対策の自己責任化」である。岸田総理が「5類引き下げの議論を指示した」というニュースの中で加藤厚生労働大臣は次のように語っていた。要約すると「これからは勝手にやってください」ということだ。

加藤勝信厚生労働相は記者会見で、分類見直しにより、これまで行政機関が陽性者などに要請や関与をしてきた取り組みと異なり、国民の「自主的な取り組みをベースにしていく」ことになると説明。見直しの時期を「原則として」としたことに関しては、今後、非常に重篤性の高いウイルスに変異した場合などは「前提が変わってくる」と指摘した。

この加藤厚生労働大臣の要請に答えてアドバイザリーボードも次のように言っている。

今後の感染対策について、専門家有志は25日に開かれた同省助言組織「アドバイザリーボード」の会合で、「政府の要請に基づく一律の対策から、個人や集団が主体的に選択することになる」との見解を示している。

問題はこの「自己責任」を一人ひとりが受け入れるかどうかである。

例えばマスク着用も「自己責任で」ということになりそうだ。「マスク自警団」や「自粛警察」の目を恐れている人々は「国が大丈夫だと言っているから」マスクを外しましたと言いたい。特に「お客さまは神様」の商店の従業員や幼稚園・小学校の先生にはその気持ちが強いはずだ。

自己責任ということになればおそらくマスク警察は自警団活動をやめないはずである。

もちろんこの「放り投げ」が直ちに岸田政権からの離反につながることはないだろう。立憲民主党や国民民主党が支持を広げているとはいえないため離反しても投票先がない。そもそも地方選挙では相乗りが一般的なため選択肢が全くないという地域も多いものと思われる。

唯一の例外が維新が躍進している近畿圏だ。安倍総理の「俺について来れば大丈夫」という漠然としたメッセージに期待していた人たちが投票所に行かなければ結果的に維新が躍進することになるだろう。

これまで他人の目を気にしてさまざまな意見をいい出せなかった人たちの声を解放したのはおそらくSNSだろう。さまざまな声を聞いているうちに政府はその対応に疲れてしまい「もう勝手にやってください」と責任から逃避しようとしている。

問題はその主張が国民に受け入れられるかだ。厚生労働省は基本的に「個人や集団が主体的に判断するのだから、結果的に死者が増えてもそれは個人や集団のせいだ」と言いたいのだろうが、それが受け入れられるとも思えない。

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