文春オンラインに一つの小さな記事が出ていた。菅義偉元総理が自民党に「派閥の解体」を呼びかけている。文春オンラインとしては改革者の菅義偉総理が行き詰まりを見せつつある宏池会の派閥依存政治を打破してくれるのではないかと期待しているのかもしれない。期待しつつちょっとだけ記事を読んでみた。
Yahoo!ニュースに掲載された「政界のキーマン・菅義偉前総理大臣が「派閥政治と訣別せよ!」」という記事はおそらくは文春を売るためのチラシのようなものなのだろう。全体像が見えるわけではないが菅元総理の派閥に対するイメージはよくわかる。
この記事の中で菅義偉氏は派閥が嫌いな理由を二つ挙げている。小渕総理が誕生した1998年に菅義偉氏は派閥の長ではなく梶山清六さんを応援したそうである。
菅義偉氏が国政入りしたのは1996年だ。新人なのだがすでに40代後半で地方議員としての実績があった。派閥から命令されるのではなく自分の応援する総理大臣は自分で選びたいという気持ちがあったのだろう。菅義偉氏は元々小此木彦三郎氏の秘書だった。梶山静六氏はその小此木彦三郎氏の盟友だったそうだ。
つまり、派閥よりも個人の人間関係を重視したのだ。政治を主従関係として理解しているのだろう。
その後、菅氏は宏池会入りするが、宏池会にも止まらなかった。きっかけは福田康夫と麻生太郎さんの戦いだったそうだ。所属していた古賀派は福田支持だったそうだが麻生氏を応援して派閥を出たそうだ。
この短い文章の中では触れられていないが、宏池会は森喜朗倒閣に失敗した「加藤の乱」を経験している。菅義偉氏は加藤の乱で加藤紘一氏を応援するのだがそのうちにトーンダウンしてしまい「シラーっとした」といっている。ボスが何かを命懸けでやるならば自分もついてゆきたい。だがそのボスに信念を感じられなければ自分も冷めてしまうのだということになる。
結局「シラーっとした」ままで宏池会に従う気がなくなりそのまま派閥を出てしまったことになるだろう
これらのことから総合するとおそらく菅義偉さんが派閥が嫌いなのは「自分の身の回りの属人的な人間関係を優先してしまうからだ」ということになる。自民党は結党の経緯から創業者たちの人間関係による派閥が造られている。菅義偉さんにはそれがよく理解できないのだ。最終的には安倍晋三氏を自ら担ぎ上げ「応援団」として官房長官に就任した。
脱派閥という方向性は望ましいもののように思われる。だが、おそらく国民が期待する「脱派閥」外れているのだろうという気もする。有権者は政治家は派閥の利権ではなく国民全体のことを「公平に考えてくれる」べきであると期待している。さらにエビデンスに基づいて合理的に政策判断をしてくれることを期待しているはずだ。つまり派閥のような人間関係依存のつながりではなく政策ベースの政治に近代化してほしいと願っているのである。
国民が派閥政治を嫌がるのはそれを権力闘争のための私利私欲だと思うからなのだろう。さらに権力闘争は古い人間関係に依存しており必ずしも国民に合理的な選択肢にはならない。
文春のチラシのようなこの文章は「岸田総理は派閥とうまく付き合いながら人事を決めており、自身も宏池会という特定派閥の領袖として居座っている」と指摘している。つまり岸田総理は自民党全体ではなく宏池会の利益を優先しているように見えているのではないかという考え方になる。
ところが菅義偉さんの主張を詳しく見ると、自分のボスは自分で選びたい、ボスのために命懸けで働きたいというような考え方を持っていることがわかる。どちらかというと封建時代のような考え方である。江戸幕府ができる前の戦国時代の武将のようなイメージだ。秋田から出てきて横浜で成功した地方政治家が行き着いた政治のイメージだ。
日本の現在の派閥は吉田茂を中心とした官僚同士の派閥争いが起源になっている。つまり属人的ではあるが封建時代のような「主人がこうといえばこうなのだ」という関係ではなく、一応は政策ベースの社会が元になっているといえるだろう。菅さんにはおそらくこれが理解できなかった。
おそらく文春や読者が期待するのは「自民党の政治の現代化」だが菅総理の考える「脱派閥」は封建主義への退行なのだろう。
ここから提示されるのは「派閥連合型の政治」か「大きな独裁的権力者に従い支えてゆく封建型政治」の二者択一ということになる。裏返せば政策で引っ張ってゆくような形の政治形態は日本では生まれなかったということになるだろう。人間関係によらない集団はある程度以上は大きくなれない。おそらく地方にはこうした主従関係が残っているはずだ。政策ベースの政党に生まれ変わることができなければ、人間関係が崩れたところから政党としての自民党は崩れてしまうだろう。すでに地方レベルでは保守分裂という事態が至る所で起きている。時事通信が「地方選で自民分裂続々 次期衆院選へ火種」という記事を書いている。
この短い記事を読んで「ああやっぱりなあ」とは思ったのだが、同時に「今の政治にはこの2つの選択肢しかないんだなあ」とも感じた。もしかすると政策ベースの連合体を裏から菅官房長官が支えるという形式も考えられなくはないので絶望するには早いという気もするのだが、あまり期待して裏切られるのは嫌だなあという気持ちにもなる。
それにしても他の先進国では容易に作られた政策ベースの政治集団が日本でだけは作られないのだろうかという疑問も残る。