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アメリカ議会の下院議長闘争に見る「多数決民主主義」のバグ

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アメリカの下院議長をめぐる闘争が第11ラウンドに突入したが議長は決まらなかった。10回を超えて決まらないのは1859年以来のことなのだそうだ。依然21名の造反者がおり、ついにドナルド・トランプの名前を書く人まで出てきた。特に議長にすることを目的にしているわけではなくマッカーシー氏に恥をかかせることが目的になっている。民主主義の欠陥である「多数決のバグ」が露呈した形だ。ではそのバグとはどのようなものでどんな原因で起こるのか。考えてみた。

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多数決型の民主主義は数を背景にして多数の側が自分達の意見を通すことができることになっている。アメリカの場合は議会運営をスムーズにするために下院議長に大きな権限を持たせている。

ところがこれが何らかの事情で均衡状態に陥ると多数決が機能しなくなる。つまりこれは民主主義のバグである。アメリカ固有の現象ではなく日本でも大平内閣時代に起きている。

アメリカの議会政治が「バグっている」傾向は以前からあった。バイデン氏が通そうとした肝煎り法案が一人の不賛成で修正を余儀なくされた。2021年末の出来事だ。マンチン氏の反乱などと言われた。ここで「たった一人」が重要になるのはアメリカの上院の議席が拮抗しているからである。

おそらくこの動きは多くの議員たちを刺激したに違いない。民主党で選挙を勝ちのちに離党する人が出てきた。これがシネマ上院議員である。シネマ氏もおそらくは自分の議席を高く売ろうとしているのだろう。

これは「私の議席をより高く売るためにはどうしたらいいか」という私利私欲に基づいた動きと言って良い。ところが民主主義社会では人々が自分の幸福を最大化することが認められておりこの動き自体は極めて民主主義的には「正しい」行動だ。

シネマ氏はもちろん自分の議席を高く売りますなどとは言わない「多くのアメリカ人がますます置き去りにされている」から「人々のために私が政治を取り戻す」などと説明している。

ここまでは上院の動きだ。

今回の下院は「経歴詐称の共和党議員」一人を含んだ4人が造反すると多数派が議長になれないという状態になっていた。フリーダムコーカスと呼ばれる議員たちは下院議長候補に次々と要求を突きつけている。下院議長はそのうちのいくつかに合意したようだが全てを飲んだわけではなかった。「それではもう少し恥をかいてもらいましょう」というのが11回に及ぶ造反の真相である。これが「議長人事を人質にとった政治的テロ」などと攻撃されている。

ところがルール上はこれが成り立ってしまう。最大多数の最大幸福を追求した結果として誰も何も決められない状況が生まれるわけだからこれはプログラムが動作して生まれた機能不全と言ってよい。この時に少数派に妥協するといつまでも少数派が揺さぶり続けられつという状態が生まれかねない。つまり多数決型民主主義で勢力が拮抗した場合、多数が少数者に負けるという状態が生まれかねないということになる。

実はマッカーシー議長候補は少数派にかなり危険な妥協をしている。BBCは「マカーシー氏はこのほか、議長解任請求の手続きについて、わずか1人でも下院議員がそれを要求すれば、解任案を本会議の採決にかけるという変更を受け入れたとされる。」と書いている。つまり20人の造反者のうち一人でも疑念があれば自分のことをいつクビにしてくれても構わないと言っているのである。少数者は認識され議会の「機能停止ボタン」を渡されたことになる。

下院議長が委員会人事などで強い権限を持つのは長い歴史を経て作られたアメリカ民主主義の知恵なのだが、その権限停止ボタンを議員一人ひとりに差し出してまで議長になろうとしたのだ。しかしそれでも不十分であるというのが造反議員たちの言い分だった。

それぞれの機能には問題はない。ところがそれが「正しく動作した」ことで機能不全が起こるのだ。

では「テロリスト」とも言われる少数者が道義的に排除されることはないのだろうか。シネマ議員は「政治を人々の手に取り戻す」と主張し民主党を離脱した。今回の造反劇でも同じような主張が見られた。

下院では投票のたびに議員の一人が立ち上がる。「誰か立ち上がったようですね」と司会者が認識すると立ち上がった人が「誰々さんを議長候補に推薦します」ということになっている。何となく学級会のようなことをやっている。

ある推薦演説で造反者たちは「アメリカの国境はバイデン大統領に開け放たれておりアメリカは危機にある」などと言っていた。だが「アメリカの政治は何もしていない」と続く。そこで「アメリカの政治を人々に取り戻さなければならない」という理由で勝てる見込みのない候補者を推薦する。ついにはドナルド・トランプ氏の名前も出てきた。

圧倒的多数が議会を支援していて少数者が反乱を起こしているとなればおそらくこのおかしな主張をする造反議員たちは非難されていただろう。だが国民の中には「議会は国民のために(少なくとも私のために)仕事をしてくれていないのではないか」と疑念を抱いている人がいるのである。

共和党にしろ民主党にしろ「多数派」が議会を牛耳っていて「本当のアメリカ人」を代表していないという理屈だ。おそらく共和党と民主党の間で大妥協が成立したとしてもこの「1%が99%に支配されている」と考えている人の支持を得ることはできないだろう。

99%といえば「ウォール・ストリート占拠運動」が思い浮かぶ。あれはいったいいつのことだろうかと思った。実は2011年9月から2012年まで続いた運動だったそうだ。随分昔の話だなと感じたのだが、アメリカではまだ解消していない問題なのかもしれない。

結局のところ「少なくない数の人」が多数決による民主主義を「善いもの」と感じない限り多数決のバグは解消しないということになるのだろう。アメリカの政治は長い間「私は排除されているのではないか」と感じる人たちを放置してきたのかもしれない。

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