2023年の年明けにクロアチアがユーロを導入しシェンゲン条約に加入したというニュースがあった。通貨とパスポートコントロールでヨーロッパの中核圏に組み入れられたことを意味する。一方でセルビアではコソボ問題が再燃している。一体何が問題なのか?という話になるのだがセルビアは「EU/NATO圏に残されたロシアの勢力圏」なのである。つまりウクライナの戦争のようなことがセルビアでも起こりかねない状態になっている。
現在問題が起きているわけではないので「ウクライナと同じような感じになっているが具体的な紛争になったわけではない」ということだけを知っておけばいいだろう。
今回のきっかけはコソボが独立国としてEUに接近し始めたことが背景になっている。これはEUに接近してロシアに侵攻されたウクライナと同じ状況である。だが敵対しているのはロシア本体ではなくロシアの支援を受けたセルビアだ。大体今の時点で知っていなければならないのはこの辺りまでだろう。
古くから帝国の緩衝地帯だったバルカン半島
今回ユーロ圏に組み込まれたクロアチアとロシアの勢力圏にあるセルビアは元々ほぼ同じ言語を話す民族が主体になっている。
もともとこの地域はオーストリア=ハンガリー(キリスト教)とオスマン帝国(イスラム教)の辺境地域だった。この緩衝地帯に住んでいたのがオスマンによって北のスラブ人から分断された南のスラブ人だ。宗教が異なる二つの帝国はこの地域のスラブ系住民を巻き込んで勢力圏争いを展開する。この地域に南スラブ系のイスラム教徒と南スラブ系のキリスト教徒が混じって住んでいるのはそのためである。さらに同じ南スラブ系キリスト教徒の中にもオーストリア=ハンガリー領内にいた人たちとオスマン帝国に臣従した地域の住民がいる。
言語的にはセルビア・クロアチア語を話す人の中でオーストリア=ハンガリーの圏内にいた人がクロアチア語話者(クロアチア人)であり、オスマン圏内にいた人がセルビア語話者(セルビア人)だ。さらに中間地域にはイスラム教に改宗した人たちがいてボシュニャック人(ボスニア人というような意味である)と呼ばれている。
最終的に「クロアチア」と「セルビア」が分離したのは最後のローマ皇帝であり最初のオーストリア皇帝であるフランツ2世の時代だったようだ。つまりオーストリアがオスマン帝国から奪還できた地域と奪還できなかった地域の違いということになる。
その後、セルビア公国はオスマン帝国から遅れて独立しセルビア王国になった。このセルビア王国がスロベニア、クロアチアを吸収する形でユーゴスラビア王国を作ったことからユーゴスラビア政治の指導的な民族になった。
民族融和に腐心していたチトー大統領が1980年に亡くなるとセルビア人が連邦予算を勝手に使い始める。これに反発したクロアチアとスロベニアが連邦を離脱するとユーゴスラビアの分裂は決定的なものになった。これが1990年のことだったそうだ。結局23年経ってクロアチアはEUと一体化する道を選んだ。一方のセルビアはロシアに接近しNATO・EUの中の飛地のような状態になっている。つまり今も似たようなことが続いている。ただし一方の主体はオスマンではなくロシアである。
2022年の紛争開始当時にウクライナ問題を勉強した人は問題の源流がロシア帝国とポーランド・リトアニアの問題であるということがわかっているだろう。つまり、問題の構造が極めて似ている。
ヨーロッパなのにスラブでもキリスト教徒でもない人たち
ところがこの地域には「南スラブ系」だけでは語れない問題がある。独自の言語を話すアルバニア人はスラブとは系統が異なっている。アルバニア人にはイスラム教徒も多いそうだ。オスマン帝国がこの地域を引き留めておくためにアルバニア系イスラム教徒を多く住まわせた地域がコソボである。だからコソボには「コソボ人」はいない。いるのはアルバニア系住民である。
コソボはもともとスラブ系のセルビア人の土地だった。ここに後からアルバニア系住民が入ってきた。だから今でも北部にはセルビア系住民が多く残っている。
今回の紛争は一方的に独立を宣言しているコソボ政府がセルビア政府発行のナンバープレートを禁止したことがきっかけになっている。つまりセルビア政府の実効支配権の一部を否定しようとしたことでセルビア系住民が反発したというのが現在の流れである。
ロシアがウクライナを飲み込もうとしていることが影響しているのだろう。ロシアが国連加盟を阻止しており十分な主権国家格が得られない。この状態でコソボはEU加盟を申請した。独立承認していないセルビア政府は当然これに反発している。セルビアが認めてくれない限りコソボがEU入りできる見込みはないのだという。結果的にこれが「西側に行きたくない人たち」を刺激して衝突が起きたということになる。
ブロック化が進むと「宙ぶらりんな地域」が紛争源になる
ウクライナの問題を極めて単純に整理すると次のようになる。
- アメリカ合衆国が中国の市場化を諦めてデカップリングを始めた
- 西側と「その他の世界」は緩やかに分離を始めた
- ところが西側とその他の地域の間にはどっちつかずの地域がある
- どっちつかずの地域が西側への編入を求めて紛争が起こる
ウクライナの問題がこの先も長く続くだろうと予想されているのはそのためである。だが、こうした地域はウクライナだけではなかったことになる。さらに「そもそも帝国になりきれていない地域」から西側に逃げてくる人たちも大勢いる。現在の世界の揉め事は「引きこもる西側」問題でだいたい説明がつきそうだ。西側が閉じようとしており閉じかけている扉に国や人々が逃げ込もうとしているのだ。
コソボ問題が直ちに「ウクライナ化」するわけではないのだが……
ではこの問題はウクライナ問題にどう影響するのだろうか。もちろん直ちに戦争が起きるわけではない。2022年初頭の段階でウクライナの揉め事が戦争状態になると思っていた人はいなかった。同じようにセルビア・コソボ問題が絶対に紛争化すると考えている人はいないだろう。
ただ、セルビアで揉め事が起こればそれを調停するためにNATOが出動しなければならなくなる。ソ連の解体後一旦は役割を終えたとされるNATOだが旧ユーゴスラビア地域の問題を解決するために維持されたという経緯がある。
コソボは国際的に独立を認められているわけではないので、形式的にはNATOにもEUにも加盟できていない。これもウクライナと同じ状況である。つまりロシアが「コソボにいるセルビア系住民の保護」を求めて動き出せば同じ問題が生じかねない。
ロシアとトルコはシリア問題を大急ぎで整理しようとしている。基本的には西側との対立構造が背景にあるのだからそれ以外の揉め事はない方がいいのだろう。
大体ここまで書けば「ああこれは大問題だな」ということがわかると思う。ロシアはすでにセルビア政府を支援すると宣言し「近隣で困難な状況にあるセルビア系住民が保護されるのは当然」と主張している。これもウクライナ東部の住民の保護を念頭に置いた宣言と似た響きがある。
コソボの人口は180万人程度で広さは岐阜県程度なのだそうだ。12世紀から13世紀ごろにブルガール人に対抗する形でコソボを含む南セルビア地域に建国したのがセルビアの始まりだそうだ。つまりセルビア人にとっても独立の故地にあたり「ここは譲れない」のだそうだ。
ヨーロッパ・ロシア・トルコは第一次世界大戦前の混乱に起因するゴタゴタをまだ解決できていない。それどころか第一次世界大戦前の状態を慌てて復習しなければならないほど似たような状況が生まれている。