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疲弊する酪農家の現状は貧困化する日本の指標

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酪農家が牛乳を配っているというニュースを見た。牛乳を飲んでくださいというプロモーションのようだ。これだけを見ると何だか微笑ましいニュースなのだが実は日本の酪農はかなりの危機的状況にあるらしい。少し掘ってゆくと日本が貧困化しつつあることがわかる。結果的に日本の酪農は存続が危ぶまれる危機に陥っている。トリクルダウンなどというありもしない神話にすがったツケを支払わされているのである。

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酪農家が牛乳を配っている

最近「酪農家が牛乳を配っています」というニュースを目にすることが多くなった。どれも書いていることは同じだ。高齢化などの構造問題がある一方で餌代や燃料代も値上がりをしている。さらに年末年始は学校がお休みになり牛乳の需要が減るそうだ。そこで冬に牛乳をたくさん買ってくれるように呼びかけている。

だが消費者が酪農家の呼びかけに応じて牛乳をたくさん飲もうと意識を変えることはないだろう。そもそも酪農をめぐる状況はどうなっているのかを調べたくなった。

市場の失敗により日本の酪農は危機に陥っている

時事通信が「疲弊する酪農経営 生産コスト上昇、減産で圧迫―相次ぐ離農者・今後に懸念」という記事の中で情報をまとめている。記事をざっと読んでみたがどうまとめていいかよくわからない。

  • まず、ロシアによるウクライナ侵攻の影響を受けて飼料などの価格が高騰している。
  • ところが、そもそも牛乳は供給過多対策のため減産が行われるくらい消費が伸び悩んでいる。
  • 一方でバターやチーズなどは供給不足が起こることがある。バターやチーズの生産をするためには国内投資が必要だ。その投資が正当化できるほどの儲けが出ない。

市場経済では原理的に消費が減れば供給が減ることになっている。ところが日本の場合は供給者が減ることはなく消滅の危機にある。バターには需要があるが生産設備が作れないため機会を生かすこともできていない。

ここまでは単に市場の失敗の問題だ。ではそもそもなぜ牛乳の消費が減っているのか。さらに掘るともっと苦い現実が見えてくる。

日本の経済状態は高度経済成長期前に逆戻りしている

学校給食がなくなる時期の需要が減るということなのだから一般家庭では牛乳を買わなくなっているのだろう。この問題で語られないのが「消費からの撤退」である。安倍政権下では「トリクルダウン」というありもしないまやかしの神話が掲げられていた。だが実際には賃金は上がらない。細かく節約するよりは「もう買わない」という選択をした方が実は簡単なのだ。牛乳のような生鮮食料品はその影響を受けやすいのだろう。

子供がいる世帯で牛乳の消費が減ると、学校が最後の消費者になり需要を支えるしかなくなる。つまり公費で牛乳の消費が賄われていることになる。公費が切れる冬休みには牛乳の需要が減ってしまうのである。

こうなると駅で牛乳を配ったところで消費の拡大は望めない。高いから牛乳は飲まないという人が増えれば次の世帯は「家には牛乳をおいておくべきだ」とは考えなくなるだろう。貧困ではなく新しい正常(ニューノーマル)として定着するのだ。

畜産産業振興機構によると牛乳消費量のピークは1996年だったそうだ。国民の所得向上とともに1990年代まで増加の一途を辿ったと書かれている。バブルが崩壊すると牛乳の消費量が落ちていった。さらに少子高齢化が加速するとそもそもの市場が縮小してゆく。

日本農業新聞は離農が少しずつ進行していると書いている。円安・インフレはこうした構造的な変化に追い打ちをかけているに過ぎない。優良経営すら赤字という状態で我が国では酪農は成り立たなくなりつつある。優良経営といっても一人ひとりの酪農家が工夫をしているという程度の優位性しか確保できていないことがわかる。

酪農家減少ではなく「消滅」のわけ

おそらく中小の農場を買い取って大きくするというような起業家が現れなかったのだろう。高齢化が進み子供にも継がせられないとなるとそのまま農場を閉めてしまうのである。今回のウクライナ侵攻の影響はその後押しをしているだけである。

さらに深刻なのは機会損出だ。投資があればバターなどに転用できる。だが、投資資金がないためにその機会が得られない。スリランカなどの貧しい国では「インフラがないために農家の収入が増やせない」という話を聞く。ナイジェリアでは「農業機械が導入できないため米作農家が収量が増やせない」という話もある。それと同じようなことが我が国でも起きていることになる。我が国では投資を企画して酪農家をまとめ企業化を進めるような人たちが出てこなかった。市場が企画機能を持たないので国が介入しないとそのまま酪農家が消滅することになる。

酪農家が考えられるのはせいぜい「うちのおいしい牛乳を飲めば買ってくれるのでは」という程度のマーケティング程度だ。経営学が浸透しなかった我が国ではそれ以上のプランが出せる人はいないという寂しい現実がある。

結局のところ酪農が日本で成り立たなくなっているのは、日本が全体的に貧しくなっているからだということが言える。だが、それだけでは業界全体が消滅するというような危機にはならなかっただろう。企業家がいないため国が介入しない限りは集約や新規投資というアイディアが出てこない。

それにしてもトリクルダウンなどというありもしない神話を信じたツケは意外と大きいようだ。生活実感としては高度経済成長期の始まりくらいのところに逆行しつつあるのだろう。増税をしてまで防衛費を増やそうとしてるその裏で国民生活は貧しくなりその栄養状態も高度経済成長期以前の状態に逆戻りしてしまうのかもしれない。

ただ、中高年だった人たちにとってはかつての状態に戻っただけでもある。子供の頃には家で牛乳を飲めなかったという人は多いだろうし、コンビニもなかった。ある世代まで給食の牛乳も脱脂粉乳だった。おそらく中高年は「高度経済成長期前に戻っている」としてもそれほど深刻には受け止めないのだろうと思う。問題は現役世代がこの「貧しさ」に耐えられるかである。

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