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岸田総理の「国民の責任」発言はなぜ修正されなければならなかったのか

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岸田総理の「国民の責任」発言が修正された。最初この報道を読んだ時、岸田総理が撤回したと思い込んでいたのだが、どうやら「聞き間違い」として自民党が修正したようだ・改めて報道を整理し、それがなぜ反発されたのかを考えてみた。考えれば考えるほど政府と国民の間の乖離を感じる。「何を考えているのかわからない」という人が多いようだが岸田政権の成り立ちを見ると彼らが何を考えているのかを見出すのはそれほど難しいことではない。単に見たくないという人が多いのだろう。

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国民の責任という言葉が最初に出てきたのは首相官邸での記者会見だった。これが12月10日のことだ。

ところが党内からは異論がでてくる。我こそは安倍後継と自負する人たちが総理に反発することで党内プレゼンスを高めようとしたからだ。これに乗じる形で国民からの反発が強まっていった。

次に総理の口から「責任ある財源を考えるべきだ。今を生きる国民が自らの責任として、その重みを背負って対応すべきものだ」という発言がされたのは12月13日だった。この記事を読むと伝聞ではなく記者たちが直接総理発言を聞いたように読み取れる。また前回の記者会見の発言とも整合している。

安倍派がこの問題を政局利用したことから自民党の中から追随者が出てきた。財務省の陰謀論や内閣府新任にあたるというような声が相次いだ。ただし保守系有志とされており安倍派が騒いでいただけである可能性も高い。結局「宮沢税調会長に一任」ということになったので「安倍派のお芝居」だった可能性は極めて高い。国民はテレビを通して「将来の増税やむなし」という演目を突然見せられた。だがドラマを最後まで観ても結末は見せてもらえない。

現在子育ての予算を倍増させるという提言が出ている。つまり来年はまた一芝居増税劇を見せつけられることになる。日経新聞(子育て支援、現金給付厚く 予算倍増めざす)もNHK(“こども予算の倍増へ 少子化対策プラン策定を” 自民調査会)もそう書いている。


問題が大きくなると自民党が総理発言を「聞き間違えていた」と釈明した。修正されたのは茂木幹事長の記者会見記録だったようだ。時事通信などは茂木幹事長の言葉をそのまま記事にしたことになる。そもそも岸田総理がどう発言していたかはわからず、さらに国民とわれわれがどう違うのかもよくわからない。

日経新聞NHKは経緯を書いている。もともと原稿案には国民と書かれていたが総理が「我々」と修正したというのだ。穿った見方をすると「後で原稿が出てきた時に言い逃れをしようとしているのではないか」とも思える。

ではなぜこの発言は反発されたのか。理由を考えてみた。まず安倍派が岸田総理に反発しているという事情がある。保守派は自民党批判には抑制的だが潜在的に強い不満を抱えてもいる。自民党の内部に反発があるとすれば自民党全体に反対したという体裁にはならないため反発しやすかったのだろう。ただこれは結果的には単なるガス抜きだった。

逆に反自民の傾向の強い東京新聞は「自己責任論」を持ち出している。もともと「政府対われわれ」という対立になっており、政府の失敗を国民に押し付けるのかとなっている。これまでも政府は「我々の痛み」に鈍感だったのに、自己責任論を振り翳してさらに負担を押し付けてくるのかというわけだ。

旧来型の不満にガス抜きが重なり大きな波になったように思われたのだが最終的には結論持ち越しということになりこのまま越年となりそうだ。来年は「子育て予算倍増」提案が控えており同じ議論が繰り返されることになるだろう。

テレビ朝日は「表現はどうであったにせよあらかじめ用意されていたフレーズ」なのではないかと言っている。これはどうしてだろうか。

今回の増税劇は「岸田総理・宮沢税調会長・鈴木財務大臣」が主導している。元を辿れば池田勇人総理に行き着く「宏池会」という流れだ。この宏池会出身の総理大臣には大平正芳がいる。赤字国債の発行に追い込まれ「万死に値する」という言葉を残している。結果大平は一般消費税導入に政治生命を賭けることになった。衆議院戦で負けその後の参議院選挙の時に本当に亡くなってしまった。消費税のために命を捧げてしまった政治家だった。

政治記者たちはそのことを知っており「岸田総理は不人気覚悟でも増税に突き進むだろう」と予想しているのだろう。つまりもともと赤字国債という借金に「罪悪感を抱く」人たちの子孫が今回の増税劇の仕掛け人になっているのである。

宏池会はもともと池田勇人が作った系譜だが、その大元は大蔵省人脈だ。これに加え家と家が緊密に結びついている。岸田総理と宮沢税調会長は親戚同士であり、吉田茂の外孫である麻生太郎副総理と鈴木財務大臣は義理の兄弟である。個人の考えというよりは「祖先より預かっている国家を維持するために民から税金を取り立てなければならない」と考えているのかもしれない。彼らにとって選挙区は世襲されるものだ。彼らは殿様であり選挙区は小さな藩なのである。

一方で国民はまた別の見方をしている。

高度経済成長期において日本の政治は利益分配型だった。高度経済成長の果実を国民に分配するという政策だ。ところがバブルが崩壊し少子高齢化が進行すると日本は不利益分配社会に突入する。ここで自分達に不利益が降りかからないように自己防衛に走るようになった。

ただし政府に逆らっても仕方ないという気持ちがある。野党を支持するのは感覚としては農民一揆に近い。つまりすぐ鎮圧されてしまうだろうと考えてやる気になれない。

企業は従業員に還元しなくなり「何かあった時」のために自己責任で内部資金を留保する。高齢者は「老後に何かあった時のために」と持っている貯金を手放さない。おそらく「よくわからない増税が今後もあるかもしれない」という予想はこれまでの自己責任型社会をさらに強固なものにするだろう。政府がいくら国民に呼びかけてもその反応は薄い。政府の本音を見抜いているからだ。

おそらく選ばれた統治者であるという意識を持っている現在の政権と何を言っても仕方ないと諦めきっている国民の間には大きな意識のずれがある。国民を「われわれ」と言い換えたところでこの溝が埋まることはないだろうと感じる。

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