MBTIシリーズの中で「J」と「P」という要素が出て来たのをご記憶の方も多いかもしれない。現実の規範を重んじるのがJで、外部要因を受容できるのがPだ。事務処理に向いているのはJだが、発明家や企画者にはPの方がいい。いいかえればコントロール可能な部分をきちんと管理できるのがJで、コントロール不可能な部分と向き合ってゆけるのがPということになる。
ご紹介する本はだらしない人ほどうまくいくという本だ。
まず、きちんとするには経費(コスト)がかかる。机の上にある散乱したものを片付ける時間もコストだし、きちんとしたスーツも高くつく。さらにきちんとすることに意識が向くと、だんだんある一定の経路に従ってしか物事が考えられなくなる。
そもそも人間の脳はそのようにできている。常識とか慣れということもできるし、発想の観点では「思い込み」と呼ばれる。すると大胆な発想が生まれにくくなる。また、不意の事件に対応できなくなる。これは柔軟性を奪うばかりではない。時にはこうした不意の事件から大きな儲け口が生まれたりもする。こうしただらしない人たちの机は散らかっており、大抵こういう人たちは「生産性が低い」と見なされる。しかし、たとえばこのランダムな状態から「ふとした思いつき」が生まれることもあるわけだ。
また、ちゃんとしていることに生き甲斐を覚える人がでてくると厄介だ。管理職とは書類の様式が整っているかをチェックする人のことだと思っている人がいる。こういう人は書類をチェックするのに忙しく、話を隣の部署に通していなかったりすることがある。ちゃんとしていることが好きな人は、できる(つまりコントロール可能である)ことをついつい追いかけてしまうので、コントロールできない事は後回しにしてしまうのだ。このような人たちがたくさん集ったのが「市役所」や「県庁」といったお役所だろう。この本には「ちゃんとした人がたくさん集って、結果的にだらしなくなってしまう」組織のことが書いてある。
ちゃんとしていない人を支える技術も出て来ている。今でもウェブ・デザイナー向けの雑誌を読むと「IA(インフォメーション・アーキテクチャ)をきっちり構築しましょう」という記事が出ている。しかし、この考え方は崩壊してしまったと考えてもいいと思う。それはGoogleが登場したからだ。Googleは情報をスキャンし、ユーザーは思いついたときに好きなキーワードでサイトにアクセスする。そこには構造的な決まり事はない。つまり記憶できる情報の量が増えて、アクセス性が増すと、構造は無意味になってしまうのである。
さて、日本がこれだけ硬直化しているのは、コントロール不可能な要因が急速に変化しているのに、コントロール可能なところばかりを議論しているからだろう。またJALの例で分かるように「ちゃんとするコスト」が高くなりすぎて、支えきれなくなってきている企業も多いのではないかと思われる。おまけに、目立った起業はなく新しい雇用も創出されそうにない。
こうした時には「戦略」は立てられない。代わりにできることは周囲の状況に耳を澄ませて、いろいろな人の意見を聞きながら、場当たり的にでもいいから何かを試してみることだろう。付け加えて、もし何か突発的な機会があったら「それは予定していたことではないから」と排除するのではなく「面白そうだ」と検討してみてもいいかもしれない。必ずしも立派な事業戦略を立てれば、企業が立ち直るとは限らないのである。