ざっくり解説 時々深掘り

統一教会被害者救済法の裏にある「自由意思とは何か」という割と重要な問題

補正予算審議が終わり「救済新法」の議論が始まった。与野党協議が整い新法そのものは10日までに成立しそうだ。だが、議論を聞いていて割と深刻な認識のずれがあると感じたので考えてゆきたい。憲法と自由意思の問題である。

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この問題にはいくつかの異なるレイヤーがある。一つ目のレイヤーは安倍元総理が関わっていたと考えられる教団と自民党の関係という問題だ。細田衆議院議長は今も沈黙を守っておりこの問題に決着することはないだろう。さらに創価学会という宗教信徒集団に支援された公明党の問題があった。いずれにせよこの問題はすでに忘れ去られていると考えていい。

もう一つのレイヤーは日本人から巻き上げた金が韓国の教団本部建設や外国での信徒獲得にも使われているという安全保障上の問題がある。家族の中で財産を自由に処分できる人が先祖伝来の土地や資産を売ってしまうという点も含めて国益と経済安全保障の問題ともいえるだろう。目の前にいる宗教2世や非信徒の家族をどう救済するかという実務的な問題を含んでおりどちらも深刻な問題といえる。家族の価値観や国家安全保障といった「保守的な問題」に関心がある割にはおざなりな対応だった。

最後に残ったのは政局的だ。維新と国民新党は野党とどう関わってゆくのかという距離の問題で試行錯誤を繰り返している。また政権に対峙することで支持を増やしたい立憲民主党も同様な距離の問題を抱える。

結局、自民党側がこの隙間をついて野党分断を図った。維新が合意に傾いたため船に乗り遅れるのを恐れた立憲民主党が10日の法案成立に合意したようだ。このまま世論の大きな反対がなければ救済法案は成立する見通しとなった。

ワイドショーで話題の「あの統一教会を成敗できないのはどうしてだろう」といういかにもテレビ的な関心から始まったこの問題は結局政局問題として決着されようとしている。

一方で本来議論されるべき問題は今回も議論されなかった。

フランスでは統一教会から信者を奪回しようとした両親が訴えられるという事件が起きた。この時に奪回信者には自由意思があると認められ信者は教団に復帰してしまう。個人の自由意志が尊重されるフランスではこれが問題となりその後の救済法につながっていった。フィガロの東京特派員で日本の事情にも詳しいレジス・アルノー氏が「フランス「40年前の統一教会事件」が社会を変えた」という記事で説明している。

フランス人は「個人の自由意志は認められるべき」と信じているが目の前の現実も解決したい。議論して行き着いたのは「個人の自由意思には脆弱性がある」という結論だった。

つまりフランス人は「個人の自由は尊重されなければならないから、その脆弱性を攻撃するものには社会的監視がなければならない」という結論に辿り着いたのだ。

NHKの日曜討論の議論を聞く限り与党側は憲法の自由意思を完全に所与のものと考えて「国はこの領域に立ち入ることができない」と言い切っている。おそらくは政局的な防衛意識が先走り「野党側に得点を挙げられてたまるか」というような意識が働いたのだろう。立憲民主党は普段から「憲法の精神」を盾にして与党攻撃をしているのだから、こちらも憲法の精神を使って防御してやろうという小賢しさを感じる。

ところが立憲民主党もこれに反論することはできなかった。結果的に自民党の分断工作に乗って取引に応じたことから、立憲民主党にとっても立憲主義は埋没を防ぐための単なる手段でしかなく憲法の精神については大した関心がないということがよくわかる。

日本の政治は「一人ひとりの自由意思は脆弱な方が何かと都合がいいので憲法を利用して脆弱な意思を温存しようとしている」とすらいえるかもしれない。だから「どのような条件で憲法が前提とする自由意思が守られるのか」という点には全く関心がない。

あるいは個人の自由意思が軽いほど利用できて便利だぐらいの感覚でいるのかもしれない。森喜朗総理大臣がかつて主張していた「有権者は寝ていてくれた方がいい」というような考え方はおそらく今でも生きている。こうした手法は小泉政権でも受け継がれた。小泉政権ではこの層は「B層」と言われた。B層は広告会社の有限会社スリードが発案した概念とされている。主婦や子供を中心とした層でシルバー層を含むと定義され「具体的なことはわからないが小泉総理大臣のキャラクターをなんとなく支持してくれる層」を指すとされている。

いずれにせよ、フランス人が随分昔に議論してたどり着いたとされる領域には日本の政治は全くたどり着けていない。これをサポートするような政治・哲学的な言論もない。

結局、ワイドショー的関心から始まった議論は政局として終わろうとしている。岸田総理の発言を聞く限り「難しいことは司法で判断してください」ということになっている。また不都合があれば2年後には見直しをしますとも言っている。要は「丸投げ」と「先送り」といういつもの得意技をまた繰り返した。飽きっぽい国民がこの話題を早く忘れてくれることを期待しているのかもしれない。

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