致死率1/30になっても政府が新型コロナを「単なる病気」にできない3つの理由

熱心に情報をとっている人はすでによく知っていると思うのだが、実は新型コロナの致死率が1/30になっている。リスクのある人に配慮をすることは必要だが「単なる病気」にしてもよい所まで来ていると言って良い。なぜ日本社会にそれができないのか。理由を3つ考えてみた。






最近よく「新型コロナの致死率が1/30になっている」という話を聞くようになった。新型コロナによる致死率が2年半で30分の1以下にという横浜市立大学の研究が検索できる。医学的に制御された知見なので信頼性に足りると言って良いだろう。「配慮が必要な人は依然残っているが徐々に普通の病気になりつつある」ことになる。

状況が変わったのだからそれを説明してくれれば良い。合理的に出口に向かうことができるはずだ。力を抜くところは抜いて配慮が必要なところへの対策に回してくれればいい。第8波がくることは確実なのだから、感染症関連医療機関や福祉施設には支援が必要だ。

だが政府がなかなか方針を転換できない。理由を考えてみた。

第一によく言われることだがリーダーシップの不足がある。岸田総理が客観的根拠を示した上で「私が責任を持ってリスク管理をする」と言ってくれれば全てが解決する。だがこの問題を実際に取り仕切っているのは加藤厚生労働大臣だ。間違いは少なく堅実だが、大蔵官僚出身で失敗を嫌がる。下手に動いて批判されたくないため慎重な姿勢を崩さない。専門家の意見を自分で理解した上で国民に説明してくれればいいのだが、助言組織に「明確な考え方を示すように」と丸投げをしている。

次に日本医師会が抵抗している。インフルエンザの治療を拒否することはできない。インフルエンザは普通の病気だからである。つまり新型コロナもそうなるということだ。このため日本医師会は2類相当から5類にするのではなく「別の枠組み」を作れと言っている。感染症専門の病院から外に広がらないように注文をつけるのではないかと思われるが、釜萢敏常任理事は発言の意図を説明していない。今後「条件闘争」に入るものと思われる。

だが、そもそも加藤厚生労働大臣は致死率が下がっていることを合理的に説明した上で「もう制御可能になった」と言えないのだろうか。またなぜ感染症の専門でない病院は新型コロナ感染症の患者を受け入れられないのだろうか。

突き詰めて考えてゆくと国民の間に「新型コロナは何か特別にものすごく恐ろしい病気である」という印象が広まっているからだということになる。これがおそらく最後の第三の理由だろう。

例えば、新型コロナが流行し始めた頃小池百合子東京都知事は盛んに「都市封鎖が必要だ」などと訴えていた。NHKは「ネットで不安の声が広がった」と報道している。なんとなく数ヶ月は外に出られず篭っていなければならないのではないかと感じた人もいたのではないだろうか。これが空気として醸成されてゆき「国民に10万円配らないと乗り切れないほどの大きな経済危機がやってくる」というような物々しい雰囲気がつくられた。確かに治療薬やワクチンが出ればコロナウイルスは制御できる。一旦国民の間に根付いた漠然とした恐怖心は取り除くことができない。風評に対する治療薬はない。

確かに初期の対応には即効性があった。誰もがマスクを買い求め、初回のワクチン接種率はとても高いものになった。つまりこの「脅し」には効果があったと言えるだろう。だがそれは大きな副作用を伴っていた。

例えば頭の中では「もう大丈夫なのではないか」と思いつつマスクが手放せない。自分は大丈夫だと思っていても「誰かから文句を言われたらどうしよう」と考えるとなかなかマスクなしで外に出ることはできないからだ。実はマスクをする理由はウイルス対策ではなくなっている。他人の目のほうがウイルスよりよっぽど怖い。

日本政府は国民に危機感を持たせることで自粛による新型コロナ対策に成功した。そこまでは良かったのだが今度はその警戒心を解くのに苦労している。

政府は危機感を醸成することで自粛ベースの対策に転じることに成功した。このことは評価していいのかもしれない。だが、現在は出口探しに苦慮している。医師会は「不都合なものは受け入れたくない」と考えており、また失敗を恐れる政府もリーダーシップを発揮してリスクを受け止める気持ちがないからである。「大人の事情や思惑」が状況をさらに複雑なものにしているようだ。

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