文部科学省に言われてやっと学校給食でのおしゃべりが解禁に

普段はあまり意見は書かないようにしているのだが「これでいいのだろうか」と感じた。文部科学省が通達を出し給食でのおしゃべりを解禁した。背景にあるのはおそらく財務省の全額国費負担取り止め勧告である。大人の都合で子供たちが振り回されている。






きっかけは財務省の「国費負担取り止め」勧告だったのだろう。このままでは財政がもちそうにないので財務省は全額国費負担から撤退したい。厚生労働省も新薬を緊急承認した。これで薬があるから二類から五類相当にしてもいいのではないかということにできる。ただ第8波の入り口に差し掛かっているので「いつ頃方針を変えようか」と空気を読みながらタイミングを探っているようだ。

こうして政府主導で「新型コロナを普通の病気にする」ための出口作りが進んでいる。大人はこの動きを見ても大して驚かない。大人は「だいたい政府というのはそういうものだ」と理解しているからである。適当にお付き合いしつつ自分達の好きなようにすればいいと考えている人が多いだろう。旅行に行きたい人は行けばいいし、ワクチンが嫌な人は打たなくてもいい。他人の目が厳しそうなところではくちゃくちゃに丸めたマスクをポケットから出してつければことを荒立てずに済む。だいたいそんなところではないだろうか。

ところがこの動きについてこれない人たちがいる。それが学校である。学校ではさまざま対策が取られている。給食を黙って食べる「黙食」もその一つだ。

共同通信によるとすでに文部科学省は「黙食」を求めていなかったようだが一旦根付いた習慣が学校から消えることはなかった。このためわざわざ「会話が可能である」という通達を出すことにしたのではないかと思う。

日本の学校は自分達の判断でルールを変えることができない。いったん「こうあるべきだ」と決まったらそれを延々と守らせようとする。おそらく教師や保護者の中には「これはおかしいのではないか」と指摘する人たちもいたのだろうが「何かあったらあなたは責任を取れるのか」と言われると黙るしかない。

だから、給食でのおしゃべりを禁止したらそれを打ち消すためには「給食でおしゃべりしてもいい」という通達を出さなければならない。こうして学校の規則はどんどん複雑になり教職員たちが疲弊してゆく。

しかし、最も心配しなければならないのはやはり子供たちである。

こうしたルールがあるのは実は給食だけではない。ニッポンドットコムにマスク依存の話が出てくる。子供のマスク依存はすでに社会問題化している。このためこの記事は「マスクを外すのが怖い児童生徒のために特段の配慮をすべきである」と指摘する。確かにもっともな気がするのだが、同時にそんなことでいいのだろうか?という疑問も湧く。

大人たちは理不尽なルールが大人の都合で作られていることを理解している。給食の黙食の場合は「政府が面倒を見きれなくなったから出口を探しているだろうな」ということを理解できる。だが子供たちはそうではない。

規則を守らせたい大人は集団圧力をかけてマスクや黙食を矯正する。しかし子供は「大人がそういっているのだからそれは守らなければならない」と感じている。素直であればあるほど頑張って規則を守ろうとするだろう。つまり「よくわからないが何か怖いものから身を守れるのだろう」と信じるようになる。

恐怖心に基づいて他人の行動をコントロールするのは簡単だ。特に現代の学校のように先生が忙しすぎて十分な説明や調整ができないような現場ではおそらく「何かとてつもなく恐ろしいことが起こるから身を守るためにマスクをしましょう」というような手法も使われていたはずである。

ところがいったん根付いた習慣をやめさせるのは非常に難しい。それは合理性ではなく感情のレベルで子供たちを支配するからである。児童精神科医の山口有紗(ありさ)氏はニッポンドットコムの記事でこういっている。当たり前のように書かれているがかなり深刻だ。現場は「強要された」と感じているのだ。

突然、強制的に外せと言われたら、3年前に突然マスクをしなさいと言われたときと同じくらい心理的に傷つく子どももいるかもしれない。そのことを理解する必要があります。

素顔を隠したがる子どもたち―長引くコロナ禍で「マスク依存」を心配するより大事なこと

仮に教師が合理的に理解してマスク着用を勧めていたなら、なぜ安心になったのかを説明できるだろう。だがおそらくそれは不可能だ。そもそも「3年前に強制的につけろと言われた」と現場は感じている。今回はまたそれを政府の都合で「強制的に剥がせ」と命じられていると考えている。

だが教師たちが果たして合理的にマスクや黙食の解禁を子供たちに説明できるだろうか。政府は出口を探していて「適当な頃合いを見てコロナを普通の病気に戻そうとしている」だけなのである。合理的に説明するとしたら「大人の世界なんてそんなものなのだ」というしかない。

今回の通達では「適当な対策をとれば」と但し書きがついている。文部科学省としては責任を回避したつもりなのだろうが、あるいは「適当な対策は何か」のガイドラインを出してほしいという話になりかねない。現場は保護者たちに「絶対的な安全安心」を保証しなければならないと考えているはずで、それを政府が提示してくれることを求め続けるだろう。

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