普段はサッカーについて取り上げないワイドショーも24日は日本の勝利を喜ぶ番組で溢れていた。日本が予想外にドイツに勝ったというのが大きいのだろう。ところがドイツ選手たちは試合が始まる前に口を塞ぎ何やら不満を表明していた。ドイツ国内では「集合写真でパフォーマンス」をしたから選手が試合に集中できなかったという批判が出ている。つまり本来ならば「弱い日本に負けるはずはなかった」と思っていることになる。そもそもなぜこんなことになったのかを調べてみた。
日本の報道を見ると森保一監督が前半戦を見極めて作戦を変更したことが効果的だったというような分析が多かったように思える。海外で活躍する選手も増えており当たり負けしなかったのだろうとの指摘もあった。かつてドーハの悲劇を経験した監督が海外で活躍する選手たちに支えられて悲劇を歓喜に変えたのだからもはや国民的慶事と言っても良い。
だがドイツでは「選手の関心が政治問題に向かい競技は二の次になっていた」との指摘があるそうだ。時事通信が週刊誌シュピーゲルの報道を伝えている。AFPは「ドイツが負けたのは政治問題のせいではなく日本が素晴らしかったからである」と説明する監督の談話を紹介している。日本では「ヨーロッパの監督たちは相手チームへのリスペクトを忘れない」と美談のように紹介されたこの一節だが、ドイツの監督には彼らなりの切実な事情があったことになる。
「負けるはずがないチーム」に負けたのか「相手が強かったから負けたのか」という議論だ。ドイツ人は負けるはずがないチームに負けたと感じる人も少なくなかったのだろう。
そもそも人権問題で揺れていたカタール大会と「なにかがおかしい」ドイツ代表チーム
ドイツ代表チーム内部からも懸念
実は今回のワールドカップカタール大会は人権問題で揺れている。当初ヨーロッパの7チームは多様性を示す腕章をつけて試合を戦うつもりだったようだが「政治的メッセージの禁止」でイエローカードを受けるだろうと警告されていた。このため腕章を断念し抗議の印として口を塞いで見せたのだった。
ドイツが勝っていれば問題にはならなかったのだろう。だが負けてしまったために大きな問題になった。BBCはサウジアラビアの勝利に触発された日本選手の様子も掲載しているが、ユルゲン・クリンスマン氏の気になるコメントも紹介している。技術的には順調だったが「あまりにも無気力に見えた」というのだ。チームの一員でもあるイルカイ・ギュンドアン代表選手が「誰もがボールを欲しがっているわけではないように見えた」と指摘していたとする媒体もある。
チームの何かがおかしいと感じていた人たちも少なからずいたようである。
「脱ヨーロッパ」を図るFIFA
カタールワールドカップが議論を呼んでいる理由をハフィントンポストがまとめている。一つはイスラム教の国でLGBTQ+の権利が制限されているという問題である。またカタールは豊富な天然ガスの収益を国民だけに分配している。労働力を移民に依存しつつも移民を国民福祉の枠から排除している。労働条件も厳しく6,500名がなくなったという報道もあるそうだ。さらに男性中心の社会であり女性の権利が著しく制限されている。
FIFAはできるだけW杯を大きなビジネスにしたい。カタールはこれまでに大会費用を30兆円以上を注ぎ込んでいる。東スポなどは最終的には42兆円になるのではないかなどと書いている。根拠は不明だが確かに巨額だ。
ところがヨーロッパには人権に敏感な国が多い。ローカルのファンから離反されてしまうとクラブチームの経営に悪影響が及びかねない。このためヨーロッパのチームは「ワールドカップには参加するが必ずしもカタールの政治体制に賛成しているわけではない」ということを示す必要があった。これが腕章やポーズなどにつながっているものと思われる。
選手にとってあまり居心地の良い状態とは言えないようだ。
つまり仮に選手が試合に集中できなかったとするならばその原因はFIFAの運営にある可能性がある。日本サッカー協会の田嶋幸三会長は「試合に集中すべきだ」と言っている。日本のサッカーファンは人権問題よりも国家代表の勝ち負けの方に優先順位を置くだろう。つまり人権にあまり興味のない非ヨーロッパ圏の方が有利な状況になっているといえるのだ。
新興国台頭の背景はFIFA内部の権力争いがあった
実はワールドカップがカタールで行われることはすでに2010年に決まっていた。GLOBE+がまとめるように当時のブラッター会長時代に決まったものである。ブラッター氏は12才からホテルでアルバイトをしていたという苦労人だったが1972年にロンジンの広報担当者としてオリンピック関連の仕事に携わりスポーツビジネスに入った。
GLOBE+はブラッター氏は新興国の支持によって権力基盤を確かなものにしたと書いている。ブラッター氏はアフリカやアメリカ大陸からの支持で1998年にFIFAの会長になった。ヨーロッパ人が独占してきたサッカーは次第に世界のサッカーになっていったがヨーロッパの相対的地位は失われていった。
FIFAが脱ヨーロッパ化してゆくに連れ汚職の噂も飛び交うようになった。市民感覚と「ビジネス」の間にずれが生じ始めたのである。
このGLOBE+の記事は2014年に書かれているのだがすでにカタール大会の汚職疑惑について書かれており「カタールゲート」などと表現されている。2011年の会長選にはカタール出身のハマム副会長も立候補したそうだが4万ドルずつを包んで25人に配ったとして追放になっているそうだ。おそらくアラブ圏では「当たり前の」ビジネス慣行なのだろうが日本では認められない。
イタリア系スイス人でイタリアとの二重国籍者であるジャンニ・インファンティーノ会長はヨーロッパの批判は「偽善である」と一刀両断だ。ヨーロッパだって同じことをやってきたではないかというWhataboutismで反論を試みたとBBCが伝えている。これが選手たちをさらに苦しい状況に追い込んでゆく。FIFAが改善を約束するなどと言っていれば状況はかなり違っていたはずである。
こうした事情がわかっているためBBCは今回開会式を放送しなかった。BTSのジョングクが開会式にでて話題になったがヨーロッパ出身のタレントが使いにくかったので世界的に人気がある韓国人アーティストが起用された可能性もある。
おそらく説明するつもりのないインファンティーノ会長の説明は次のようなものだった。各媒体がこの一節を翻訳しているがこれはNumber Webによる訳出である。
「今日、私はカタール人の気持ちがわかります。アラビア人、アフリカ人、同性愛者、障がい者、そして外国人労働者の気持ちも。もちろん私はカタール人でも、アラビア人でも、アフリカ人でも、同性愛者でも、障がい者でもありません。でも私にはその気持ちがわかります。なぜなら私は外国で外国人として生活した経験があり、差別されたことやいじめられたことがあるからです。私は子供の頃、赤毛とそばかすのあるイタリア人だったので、(スイスで)いじめられました。想像してください」
会長は何やら言い訳めいたことを言っているのだが何を言いたいのかはよくわからない。あまり説明するつもりがないことがわかる。ヨーロッパで批判されても他の国で稼げればいいということなのだろう。ただ、先代のブラッター会長と同じくエスタブリッシュメントの出身ではなくスイスでは苦労したのだろうということは伝わってくる。彼らにとってこれは間違いなく立身出世のチャンスなのだ。
インファンティノ会長は2020年に職権濫用の罪などで検察の捜査対象になっているとスイスインフォが伝えている。新興国の支持を背景にしてビジネスマンとして成功したFIFAの歴代会長の功績でサッカーはヨーロッパ以外にも広まった。だがそれは同時にヨーロッパ人の地位の低下と彼らが大切にしてきた価値観がもはやFIFA全体の価値基準にならないという苦い現実を含んでいる。
こうした批判もある中でFIFA内部でのインファンティノ氏の権力は絶大だ。ロシアやカタールのワールドカップを世界からの批判をものともせずに実現させたという功績で3期目は揺るぎのないものになりそうだ。次のFIFAの総会はルワンダの首都キガリで行われる。新興国だけでなくヨーロッパの多くの国もインファンティノ氏を支持しているそうである。