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山際・葉梨・寺田の大臣の更迭が「辞任ドミノ」と呼ばれる理由

ドミノは一つのコマを倒したら次々にコマが倒れることを意味する。岸田総理のもとで3名の大臣が辞任している一連の現象も「辞任ドミノ」と呼ばれるのだがどこか違和感がある。それぞれの辞任の理由は違っているからだ。なぜこれがドミノと呼ばれるのかを考えてみた。実はこれは安倍政権時代の記憶によるものなのだ。

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山際大志郎大臣が辞めた理由は旧統一教会問題だった。葉梨康弘代人が辞めた理由は死刑ハンコ発言だ。さらに寺田稔大臣が辞めた理由は事務所経費の問題である。例えば統一教会関連の問題が次々と連鎖反応的に辞任を引き起こしたのであればこれはドミノと呼んで良いだろう。だが、今回の一連の流れは全くドミノではない。それぞれのコマが勝手に倒れただけである。

確かに今回の辞任劇には煮え切らない岸田総理という特徴がある特徴がある。それぞれの理由は説明されていないのだが疑惑が広がり抑えきれなくなったところで岸田総理が堪えきれなくなり諦める形で大臣の首を次々に切っている。

実は同じようなことが過去にもあった。それが最初の安倍政権だ。まず小泉総理が放逐した郵政造反組を復党させたことで支持率が急落する。その後次々に問題が発覚するのだが安倍政権はそれが抑えられなくなってしまった。

Wikipediaには次のように書かれている。事務所経費の問題と失言問題が含まれている。最後の久馬防衛大臣の件はおまけのようなもので核になる問題は事務所費ようの問題だったようだ。

この時の特徴は「支持率が下がっているために」無理が押し通せなくなったという点である。内閣改造で乗り切ろうとしたが、結局総理大臣の気持ちが折れてしまい突然総理大臣が辞任するという事態に発展してしまう。内閣を改造してから総理が辞任するまでの時間は1ヶ月だった。

すでに忘れている人がほとんどだと思うのだがこの時のドミノでは死者が出ている。佐田玄一郎大臣が政治と金の問題で辞任したのは2006年12月だった。同時に事務所経費の問題にさらされていた松岡大臣はそのまま留任する。つまり、松岡さんは事務所経費の問題では辞任していない。現職のまま亡くなってしまったからである。仮に松岡さんを辞めさて入ればこのような不幸なことはなかった可能性がある。

ところがこれを反省するかたちで就任した赤城大臣も同じ問題に見舞われて辞任してしまった。事務所経費の問題で死者まで出ているのに問題の把握も統制もできなかったというのが当時の問題だった。今回の寺田稔氏の件を考え合わせるとまだこの問題が統制できていないことがわかる。

この内閣を居抜きで引き継いだのが福田総理大臣だった。だが政治と金の問題はなくならなかった。福田総理も改造で乗り切ろうしたのだが乗り切ることができず結局退任してしまう。すでに政治家と金の問題ではなくなっており政権の是非という問題に変わっていたのだ。

次の辞任ドミノは麻生政権の時だった。これもWikipediaの抜き出しだが、さらに凄まじいことになっている。当時は民主党に政権を担わせればなんとかなるのではないかという期待もあったため選挙に負けてしまうかもしれないという焦りがさらに自民党の内部統制を見出すことになったようだ。

麻生総理大臣の時には失言問題や政治と金の問題というよりも「規律違反」が多い。最後の鳩山邦夫氏の例に至っては「政権のやり方が気に入らない」というのが辞任の理由になっている。Wikipediaの該当箇所をまとめると次のようになる。

事務所経費の問題を処理しきれず、大臣辞任から総理辞任につながってゆくという意味では、自民党さん政権の一連の辞任劇はドミノにふさわしい。

民主党政権時代を挟んで安倍総理大臣が総理大臣に復帰すると比較的高い支持率を背景に絶対に辞任させないぞという姿勢に変わってゆく。つまりここで「支持率さえ高ければ少々問題がある閣僚がいても問題にせずに庇い切る」という姿勢に変わっていった。

もともとは「事務所経費問題」という原因があって「辞任」という結果があった。これを守りきれなかったのは支持率が低かったからだ。

ところが2回目の安倍政権では「支持率さえ高ければ少々問題があっても辞任させなくて済む」とロジックが少々変わっている。これを踏まえて岸田政権では「政権の支持率が低いために無理をしてでも庇いきれなくなっているのだろう」とロジックが完全に変質してしまっている。一方でそれぞれの出来事が適正なのかということについては語られない。それを語るための尺度がないためだ。

今回の件が辞任ドミノと呼ばれているのは「岸田総理の支持率が低いために安倍政権の時のように無理ができなくなっているのだろう」ということを表現しているといえる。

ただこうしたレッテル貼りは問題解決には全く役立っていない。政治資金規正法が佐田・松岡・赤城時代とたいして変わっていないという状況である。寺田稔総務大臣の辞任劇は結局一連の問題の追求と辞任劇が問題解決には全く役に立っていないということを意味しているのだろう。

次のターゲットの秋葉復興大臣にも政治と金をめぐる問題があるそうである。

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