岸田文雄総理の会談写真が中国の国内宣伝に都合よく利用される

岸田総理と習近平国家主席の会談がどのように扱われているのかを調べているうちに「国際政治というのは恐ろしいものだなあ」と感じた。国際社会の舞台においては様々な写真が撮影され後々歴史資料として使われる。今回の一連の外交ウィークにおいて習近平国家主席はそれを明確に意識し行動していたようだ。結果的に岸田総理も習近平国家主席の国内宣伝に利用されることになった。






論より証拠というがまず一枚の写真を見ていただきたい。中国国内で日中首脳会談を説明するために使われている写真だ。AFPが新華社の報道を転載している。

習近平国家主席は笑顔だが岸田総理の方に拳をグッと突き出している。一方の岸田総理は少し弱々しく見える。いわゆる「切り取り」の効果である。

握手を交わす習近平氏(右)と岸田文雄氏(2022年11月17日撮影)。(c)Xinhua News

この写真が何を切り取ったのかは、後述するNHKの記事で知ることができる。だが少なくとも中国国内ではこの記事は習近平国家主席の宣伝材料として利用された。

一連の国際会議において習近平国家主席は五つの共通認識と呼ばれるものを提唱している。これを「世界」が受け入れたという報道になっている。そのうちの一つに日本が入っており「日本は会談を通じて中国が提唱する共通認識を認めた」という体裁になっているのだ。共同通信はこれを「成果演出」と書いている。

国際外交の舞台は「かっこいい写真を撮らせるフォトセッション」になっている。経済が冷え込む中で世界各国が中国との修好を模索している。だがヨーロッパには中国の提示する価値観に大きな抵抗がある。ドイツのシュミット首相は企業団を連れて中国詣でを行い国内から批判された。

一方でフランスの大統領は「アジアの対立に終止符を打つために自分達が積極的な役割を果たす」と主張して見せた。リンク先の記事にはマクロン大統領が両手を広げて力強く演説する写真が使われている。つまり写真のレベルで力強いリーダーシップが演出されているのである。

では岸田総理はなぜそれができなかったのか。一言で言えば「気迫」で負けてしまったのだ。

常に誰かの承認が欲しい岸田総理

デイリー新潮が辛辣な記事を書いている。「「岸田首相」は実は、これまで決断をしたことがなかった」というタイトルだ。国対委員長時代に「みんなで相談しないと決められない」ことが多かったと書かれている。相談相手は石原幹事長だったようだが石原さんは舌打ちをして「何も決められない」と嘆いていたようである。

外務大臣まではそれでよかった。表紙は安倍総理なのだから安倍総理に色々確認をしつつ間違いがないように自分の役割を果たせばいい。安倍総理が銃撃されたあたりから岸田政権の政権運営はおかしくなってゆくのだが、あるいは「承認してくれる誰か」がいなくなったことが原因なのかもしれない。だがこの先安倍さんに代わるような相談相手は現れないだろう。

今回「代わり」として期待したのがアメリカだったそうだ。だがアメリカが日本の立場に立って何かを決断をしてくれるわけではない。このためどうしていいかわからなくなったようだ。「手探り状態」だったと時事が伝えている。

こうした手探り状態の結果として日本の報道も「この会談をどう扱っていいか」がわからなかったようだ。代表的な報道姿勢を見てゆこう。

日本の報道姿勢

対立に力点を置いた報道

まず最初に目についたのは「台湾関係で言いたいことは言った」とするものである。時事通信と産経新聞が書いている。だが、このトーンで書いているところはそれほど多くない。

協力に力点を置いた報道

一方で中国とのビジネスの恩恵を受けている人たちは「対話再開」と書いている。こちらは報道というより今後の期待の現れと言ったトーンである。

日経新聞には両首脳の写真があるのだが実は二人が正面を向いている写真が使われている。これだと押し込まれている感じにはならない。NHKには動画クリップがある。自然な一連の流れのなかで習近平氏が力で押した感じになっている。ほぼ瞬間的なものでありこの映像を全て見せられれば「押し込まれている」という印象は受けない。

逆に「よくこの瞬間だけを切り取ったな」という気持ちにもなる。この一瞬を切り取って「勝負あった」と見せる報道に仕立てたところから中国が宣伝慣れしていることが伺える。

そもそもこれまで3年間会談が行われていなかったことを強調した報道

おそらく最も苦慮したのは読売新聞だろう。これまで3年間対話がなかったことを中心に書いている。こちらも記者団に向いた写真が使われているが短い記事は会談内容についての言及はない。

国家として「宣伝上手」ではあるが習近平氏はそれほど外交上手ではない

ここまでを見ると、この記事は「習近平国家主席が外交上手だ」と主張しているのだと感じる人もいるかもしれない。だが実際には習近平国家主席はそれほど外交が得意とは言えないようだ。

バイデン大統領とのフォトセッションでは一瞬笑って見せたがその後は不機嫌そうな表情だった。「いいところを切り取らせれば終わり」ということになのだろう。一方で自分に近づいてくる国とのやりとりでは体のアクションが大きくなる。つまり誰と対面するかによって露骨に表情が変わるところがあるようだ。

カナダのトルドー首相との間では10分間の会談があったとされている。この後でトルドー首相に説教をしたと報道された。のちに中国サイドが「あれはクレームではなかった」と釈明する事態になっている。

つまり、習近平国家主席が外交上手というわけではなく「国家宣伝」の仕組みが整っているのが中国なのだということになりそうだ。

岸田総理にも同情すべき点がある。総理大臣を精神的に支えてくれるスタッフはおらず直前にも葉梨法務大臣の件でゴタゴタがあった。疲れ切っている状態で深夜日本を出発したが、その後ポーランドで事件が起こり「NATOとロシアが直接対決するのか」という状態に巻き込まれる。習近平国家主席との会談が終わった後も北朝鮮がアメリカに届きそうなミサイルを発射するというような事態になった。

ポーランドの一件には「正解」はなかった。あるのは一歩間違えれば第三次世界大戦という緊迫した状態である。一瞬一瞬の決断がその後の日本の安全保障に大きな影響を与えかねず「持ち帰って誰かと相談する」ことなどできない。

中国に対しても「経済的に恩恵を受けたい」という人たちと「安全保障を優先して中国に強く当たるべきだ」という人たちの間にまとまりはない。つまりこちらも正解のない状態で自分で決断していかなければならない。岸田文雄という政治家は総理大臣に就任することで最も苦手とする状況に自らを追い込んでしまったといえるのかもしれない。

これまで「みんなで相談します」で通してきた人が全てを自分で決めなければならない状況に追い込まれたとすればその心労はかなりのものになるのだろう。

だがそれでも国際社会において一瞬の気の緩みが大きく引き伸ばされて利用されるというのは確かなようだ。国際外交の恐ろしさを感じる。また総理大臣としての外交と外務大臣としての外交が実は全く違うものであるということもよくわかる。

いずれにせよ日本は少なくともしばらくの間は岸田総理をトップにした状態で様々な意思決定を行うことになる。いろいろな意見をいう人はたくさんいるのだろうが、責任を持って決断してくれる人はこの国にはもう誰もいないのだ。

Google Recommendation Advertisement



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です