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カナダ政府はどうやって1セント硬貨を廃止したのか?

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先日来「健康保険証廃止」発表が国民の反発を呼んでいると書いている。廃止の一方的発表がいかに大きな問題を引き起こすのかということがわかるのだが「じゃあどうすればよかったのか」ということはわからない。

色々調べているうちにカナダ政府が「1ペニー(1セント硬貨の通称)」の廃止事例が参考になると思った。日本で言えば1円玉を国民から取り上げたわけだが特に反発はなかった。

成功の秘訣は実は「問題を単純にすること」と「余計なメリットを並べ立てないこと」のようだ。日本政府はこのいずれにも失敗している。

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この話題について知ったのは日経クロステックの記事だった。カナダでは少額コインの廃止が電子マネーの普及に役立ったというようなことが書かれている。だが実際の状況を見ると電子マネーの普及は「単なる副次効果」だったようだ。当時のカナダ政府は特にこの点を強調していない。色々ごちゃごちゃとメリットを並べ立てずやるべきことだけをやったのである。

カナダの1セント硬貨(ペニー)の流通は2012年に廃止された。一枚あたりの製造コストが1.6セントもかかるためカナダ政府は年間で1100万カナダドル(当時のレートで9億円ちょっと)が節約できると説明した。政府の説明はたったこれだけだった。

カナダのCBCはペニーがなくなることについて市民に情報を提供している。重要なのは国民から何かを取り上げることはないと丁寧に説明したことのようだ。

  • 企業はペニーを金融機関に返還する。金属は溶かされてリサイクルに回される。だがカナダ政府は1セント高価の価値を無期限に保持する。つまり国民が持っているペニーの価値が失われることはない。
  • 小切手、クレジットカード、デビットカード、電子取引の場合はセント単位で決済することも可能だ。
  • 店で現金でものを買う時「合計金額」で調整が行われる。先行事例からペニーを廃止することで便乗値上げ(インフレ)は起こらないだろうとみなされた。切り捨てと切り上げがバランス良く混ざるからである。
    • 1、2で終わる場合は0に切り捨て
    • 3、4で終わる場合は5に切り上げ
    • 6、7で終わる場合は5に切り捨て
    • 8、9で終わる場合は0に切り上げ

政府は人々に合理的な理由を説明して硬貨の発行停止を納得させている。「何も取り上げられることはありませんよ」と最新の注意が払われている。ペニーはなくなるが電子決済などを使えばペニー単位の決済はできる。また手元にあるペニーの価値は温存される。

問題が複雑になると警戒心が生まれる。人はあれもこれも情報処理できない。だからいくらメリットが喧伝されても「何か誤魔化しているのでは」と感じる人が出てくるのだ。

日本では健康保険証の廃止がさまざまな憶測を呼んでいる。中にはマイナンバーとマイナンバーカードの区別がついていなかったりデジタル庁を悪の組織化のように語る人たちも出てきている。もちろん背景には「自分の関係ないことは理解したくない」という気持ちもあるのだろうが、改革を急ぐあまりに色々な説明をやりすぎた。メリットをいくつも並べ立てられても警戒心を持っている人には響かない。

ここから得られる教訓は単純なものだ。変化はできるだけシンプルでなければならないのだ。

日経クロステックが2017年に日本の状況を書いている。日本の1円玉の鋳造は減っているが廃止まではできていないと書かれている。この時に引き合いに出されているのがカナダ・ドルの使用体験だ。カナダでは1ペニーの鋳造がなくなってからキャッシュレス社会が進展したのだという。2017年には56.4%になっているという。現金払いには「切り上げ」の可能性があるので損をするケースを避けたかったのではないかと書かれているが、実際にはこれで損得が生まれることはない。切り上げもあれば切り捨てもあるからだ。

筆者が「切り上げ」に効果を見出すのはSUICAの導入により電子マネーで支払った方が得だという認識があるからだろうがこれはカナダでは当てはまらない。

一方で、このSUICAの事例は実は非常に重要な別の示唆を含んでいる。

実はJR東日本でもSUICA決済に対応している駅は1630駅のうち840駅だけなのだそうだ。これは2022年の実績である。改札機の設置コストが高いため利用者が少ない駅では導入が見送られたという実態がある。ローテクなQRコードの方が導入コストが安いが日本人はなぜか複雑なことをやりたがる。

実は同じ「間違い」は健康保険証でも起きている。実は読み取り機が高価すぎるのである。マスク着用のままで本人認識ができるという高性能ぶりだ。だが導入コストが高いため医療機関の中には「導入したくない」という人たちがいる。この費用を患者に被せようとして大騒ぎになり「紙の保険証を持っている人が導入した医療機関にかかるとペナルティとして読み取り機の費用を支払う」という不思議な制度が生まれた。日経新聞は「便利になり経費負担が軽くなるはずなのになぜ負担金がかかるのか」と書いている。

やり慣れていない改革をゴリ押しし複雑な制度をより複雑化するという傾向が日本政府にはある。

機器を導入して終わりというわけにはいかない。ネットワークによりサーバーと接続しないと機能しない仕組みになっている。家庭内LANを設置したことがある人ならわかると思うのだが「ルーターがうまく機能しない」などとということはよくあることだ。医療機関の場合はネットワーク障害=診療中止である。さらに政府はコロナシステムで「システムハラスメント」を医療に押し付けた前科がある。

身の丈に合わない改革を中途半端に押し進めた経緯が積み重なり医療機関は政府にかなりの不信感を持っているようだ。このため、医療機関の中には「もうついてゆけないから閉院するしかない」ということを言い出す人がいる。BSS山陰放送が島根県の反発を伝えている。地方なら仕方ないなという気がするのだが、埼玉新聞も同じことを書いている。日本医師会はここまで厳しいことは言っていないが「現在の普及率は3割しかない」と懸念を表明している。

実は「高齢者がついてこれないから」新しいテクノロジーが反発されるのではない。日本では「改革」が関係者だけで議論されるので複雑なものになりがちなのである。さらに唐突に発表されるため大きな反発を呼ぶことになる。議論の内容を公開すればよいのだがクローズな場所で検討をして突然発表をするやり方も反発をうんでいる。「日本では改革が進んでいない」という焦りがあるため一気に話を前進させたがる。

結局できることを一歩ずつ前進させるしかないという当たり前のことが忘れ去られているのかもしれない。

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