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立憲民主党泉健太代表の「答弁できないならしぐさで答えて」発言はなぜ立憲主義を壊したといえるのか?

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立憲民主党の「答弁できないならしぐさで答えて」という発言に違和感を感じた人は多いはずだ。だが「何が壊れたのかよくわからない」という人も多いようである。

泉健太代表は自ら「議会制民主主義は破壊された」と宣言してしまったのだろうと思う。つまり「議会の本質」が既に破壊されているという事実を公にしてしまったのだ。ただし泉代表にはそれを回復するためのアイディアはない。だから批判されているのである。

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日本の議会制民主主義は既に崩壊しているのだが「うまく機能している状態」や「機能させようとしている状態」が失われているため日本の状況だけを見ていても何が起きているのかがよくわからない。

今回はイギリスの事例を見ることにした。「イギリスの政治はうまくいっているのに日本はどうだ」と言いたいわけではなく「もともと異なる国の集合体」であるため常に分裂の危機があるという状態にある国だ。こうした国では言論機関としての国会を維持するためにさまざまな工夫をせざるを得ない。

このような緊張のない国には議会はいらないだろう。話し合いで違いを折り合わせる必要どないからだ。参議院がいらないという程度の話ではない。議会が必要ない。

衆議院議長は立法府の代表者の一人だが「言葉による支配が全てに優越する」という国家統治理念を代表しているといってよい。つまり話し合いが議会の本質である。泉代表はその存在の価値を衆人環視の前で破壊しようとした。

これが泉代表が立憲主義を否定した理由となる。言い換えれば泉代表を選んだ立憲民主党はおそらく党名を変えるべきだろう。代表が立憲主義を尊重していないからだ。

議論は言語でなされるべきであり「しぐさ」や「印象」で語られるべきではない。「しぐさで答えて」発言は「なんとなく怪しいイメージがついた決定には従わなくていい」という扇動と同等だと考えて良いだろう。

ただし日本の例だけを見ても何が破壊されたのかはよくわかない。そこで王権と庶民が対立し、なおかつ国の中にイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドということなる集団を抱える連合王国について見てみよう。

イギリスの議長は所属政党から離れる慣例になっている。これは憲法で決まった規則ではない「慣習」だそうだ。ただし政権政党から議長を出す必要はない。議長は政党の代表者ではないからである。現在のサー・リンジー・ホイル議長(元副議長)は労働党出身で「中立性の確保のために」労働党を離党した。

イギリスの議長は国王に殺されたという歴史的な経緯があるため席まで議員たちに引きずられて席につき「中立を約束させらる」という芝居がかった手続きがとられる。つまり嫌でも庶民を代表して国王に対抗してもらうという演技をする。実際には自分で立候補して議員たちの選挙で決まるため「本当に嫌がっているわけ」ではない。つまり形式的にはイギリスの議会は王権に対して一体的に「対決する」という構造を持つ。議会は言論機関であるだけでなく劇場にもなっている。

前任者のバーコウ議長は2009年に議長に就任して保守党から離脱したが退任後の2021年になって労働党に復帰した。つまり鞍替えしたのだ。ボリス・ジョンソン首相のいる保守党に反発したため言われているが、保守党の中でも左寄りの政治家だったようだ。保守党でありながら労働党とも一定のやりとりがあることが議長就任の背景にあることがわかる。

このように小選挙区制のイギリスでは議員にはそれぞれの考え方がありその政策を実現するために政党を選んでいる。ただこのままでは単にバラバラな個人の集まりになってしまうためまとめ役の中立性がとても大切にされてもいるということになるだろう。

イギリスの事例から必ずしも政策通が議長になるのではないということもわかる。与野党に顔がきく人の方が選ばれやすい。

では日本の議長はどのように選ばれているのか。

細田氏は元々「選挙博士」と呼ばれるほど選挙に詳しかったとされている。つまり「選挙に勝てばそれは全て勝利である」という選挙至上主義の自自民党を象徴するような人物だ。選挙に勝ちさえすればあとはどうでもいいわけで「選挙によって言論機関を乗っ取っている」のが今の自民党と言える。

TBSの後藤政治部長が解説する。

野党の攻勢に苦しむ“選挙博士”細田衆院議長その発言の真意を分析する【後藤部長のリアルポリティクス】

後藤氏はこの時点で二つの問題について触れており、そもそも「与野党に顔がきく人格者」ではなかったことになる。

  • 女性蔑視発言が疑われており清廉潔白さに疑問がある。つまりこの議長のもとで女性の権利向上など望むべきもなさそうだ。
  • 司法の指摘に則って「みんなで決めた」10増10減に議長という立場で抵抗している。

だが岸田総裁は「そんなことは別にどうでもいい」と思ったのだろう。選挙に勝ちさえすれば国会は独占できる。有権者はどっちみち政治には興味を示さないのだからあとは自分達の自由にできるというわけだ。自民党にとって最も重要なことは何が何でも選挙に勝つことである。この価値観に沿うならば細田さんは「正しい」ことをしている。反社会性が指摘されるような団体であっても選挙に役に立つならばそれは「良い集団から支援を受けた」ことになる。

もともと「選挙」という結果重視の競い合いが上手だったからこそ自民党で出世してきた人なのだから「与野党の中立性」などはあまり意識されていないことがわかる。中立性が重要視されていれば「与野党に太いパイプがある(人脈重視)」か「幅広い政策への理解で定評がある(政策重視)」で選ばれているはずだ。

細田さんが説明させると「私はありとあらゆる手段で選挙に勝ちました、それでいいではないですか」ということになる。とても表に出せない人を立法府の代表者にしてしまったのである。

「選挙に勝てばなんでもできる」となると当然「選挙に勝たない限りに何もできない」集団が生まれる。かといって彼らも国会に代表を送り込んでいるため黙らせることはできない。こちらを代表しているのが実は立憲民主党などの野党ということになる。彼らは常に意思決定から排除されるため「議会の正当性に」に共感できなくなってしまったわけだ。このため現在の反政府的な政治活動はTwitterのハッシュタグなど「院外活動」が主になっている。

おそらく泉健太代表の一番の問題点はここに集約されているのだろう。立憲民主党が与党になれる見込みはなく国民もそれを期待していない。そもそも政策ベースで政権を選ぼうという意欲もない。だが存在が消えて無くなるわけではない。

政権に就く望みはないのだからあとは嫌がらせをして議会の権威を貶めるくらいしか野党の存在意義はない。そこに最適化してしまったのが現在の代表ということになる。議会を「自分達は政治権力には従わないし関与しない」という劇場にしてしまったのである。

立憲民主党には政権を担当してきた時代の記憶を持っている政治家たちも多い。このため「いつかは再び政権」という望みを断ち切れずにいる人たちがいる。政権や議会政治の権威を貶めるためならなんでもやるという山本太郎代表のような人たちのほうが「この手の仕事」をもっと上手くやり遂げるだろう。彼はもともと本職の俳優・タレントでもある。

だがおそらくこの時点で国会を開催する意義は完全に失われるだろう。単に国民不統合・不服従の劇場を税金で運営していることになってしまう。こうした議会でおこなれる演目は「議員の一部が抵抗する中、数で勝る政党に支配された議長がそれを抑圧する」という後味の悪い芝居である。

泉さんにそこまでの気持ちがあったのか「つい軽い気持ちでやってしまったんのか」は意見が分かれるところだが、そんな劇場を作ろうとしている。

イギリスでは議会制民主主義の崩壊は二つの決定的な意味合いを持つ。まず「市民が王権に敗れた」ということを意味する。さらにいえばスコットランド、ウェールズ、北アイルランドなどイギリスから離脱したがっている人たちを活気づけることになりかねない。このため議会制民主主義は議長の中立性を守り続けなければならない。秩序の要になっているからだ。

おそらく日本の有権者も政党も漠然と「議会が機能不全に陥っても日本は日本だろう」という安心感を持っているのだろう。だから議長の資質やその尊厳について真剣に考える人はそれほど多くない。だが実際には話し合いの不全と力による押さえ込みという別の戯曲がかけられている。税金を使ってやるべき演目なのかはもう一度考え直した方がいい。

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