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皇族方は国葬の対象になるかならないか:国葬に対するよくある誤解

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吉田茂元総理や安倍元総理が国葬されるくらいだから天皇家の人たちも国葬されますよねという質問がQuoraにあった。答えだけを書くと皇族方は国葬にならない。だがこの問題は意外と本質的な問題を含んでいる。それは「そもそも国葬とは何か」という問題だ。費用は政府が出すが皇室の私的行事ということになっている。

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天皇の葬儀は大喪と呼ばれる。昭和天皇の大喪を覚えている人は大喪の儀と大喪の礼という言葉が使い分けられていたのを覚えているだろう。皇族方はこれに準じて斂葬(れんそう)の儀という儀式が行われるそうだ。

斂葬に関しては日経新聞に短い記事がある。

  • 斂葬の儀とは皇族の葬儀で一般の本葬にあたり、告別式に相当する「葬場の儀」と、納骨・埋葬の「墓所の儀」で構成される。
  • 皇族の私的行事として神道形式で営まれる。
  • 政府は国家的な弔意の対象となるとして国費を充てている。

ポイントは私的行事であるとういう点だ。日本国憲法は政教分離をうたっているため神道形式の儀式を国が行うことはできない。このため「私的な葬儀」ということになっているようである。だから皇族の葬儀は国葬ではないといえる。逆に国葬にこだわればこれまでの伝統を捨て去らなければならなくなる。

一方で天皇家には私有財産が認められていないためこの私的儀式を自分達の財産で行うことはできない。この制限は宮内庁が「皇室の経済」という項目で説明している。故に皇室の私的儀式は「皇室の品位を保つため」という理由で国費を使う。

三笠宮の斂葬の儀には皇族方と三権の長が参列した。国費が出ているのだが厳密には皇室の私的な葬儀に三権の長が呼ばれたという形になっている。

なんとなく「安倍元総理のような特別な人」には皇族のように待遇しなければならないと感じている人がいるかもしれない。だが、実際の皇族は国葬にはならない。国が関与すると宗教的な儀式ができなくなるからだ。

国葬とは何かということを考えはじめると容易に「国とは何だ」という問題に行き着いてしまう。だから国葬・国葬儀問題は難しい。歴代政権はこの議論を避けてきたのだが、岸田政権はなぜかこれを正面から拾ってしまった。案の定支持率が落ちている。「国体」に関する問題に国民がかなり敏感であることがわかる。

天皇の葬儀もこの憲法の縛りを受けているため大喪の儀(私的儀式)と大喪の礼(公的儀式)を分けている。国が関与するのは国家的な役割がある天皇(及び天皇に準じた扱いとなる上皇だけ)である。これも憲法制約と伝統保持のバランスをとって生まれた苦肉の策と言えるのかもしれない。

皇族にせよ天皇にせよ「国が支出する」ことと「国が葬儀を主催する」ことは厳密に区分されている。総理大臣だけがそうした縛りを飛び越えても良いという理屈を探すのはなかなか難しそうだ。ましてやそれを内閣だけで決めるというのはいかにも無理筋だろう。どうしても総理大臣が総理大臣経験者の処遇を決めるという「お手盛り感」が出てしまうからだ。

皇族のような偉い人には厳密な意味での国葬はなかった。ついでにイギリスの国葬について広がっている「誤解」についても取り上げておきたい。石破茂元幹事長が発言を撤回したという話だが、ご存知の方も多いかもしれない。

イギリスでは君主の国葬に議会の許可はいらない

石破茂元幹事長が「イギリスでは女王ですら議会承認を受けて国葬を行った」と主張したとしてニュースになった。なんとなく「ああそうなのか」という気がするのだが、実はこれは間違いではないかという指摘がある。In Factというメディアがわざわざファクトチェックをしている。

イギリスでは君主の葬儀と臣下の葬儀は厳密に区分されている。どちらもState Funeral(国葬)と表現されるのだが、君主の葬儀は議決なしに国が支出するという慣習があるようだ。一方で臣下の葬儀には一定のプロセスがある。つまり、立憲君主制のイギリスでは君主と臣下は厳密に区分されている。

石破茂事務所はこの点について「事実誤認があったのでこれからは訂正する」と回答したそうである。これをTBS NewsDigが伝えている。特に国民世論から非難されることはなかったが陳謝している。

このイギリスの事例を「同じ立憲君主制」の日本にはてはめるとかなり難しい話になる。

日本には歴史的経緯と現行憲法の縛りのため「日本の元首が誰なのか」という明文規定がない。敗戦後に現行憲法を作るときに占領統治の都合からこの辺りについて突き詰めて考えることはできなかった。アメリカとしては共和制国家を作りたいが戦後統治のことを考えると旧体制にも協力を求めたいという気持ちがあったからだ。

このため地方自治はアメリカ式の二元代表制になっているが国会は議院内閣制のままで残った。もともとは予算を独立させて自律的な地方自治体を作りたかったようだが議会からの押しかえしがあり「地方自治の本旨」という曖昧な一言が入り地方自治原則は事実上骨抜きにされた。

このため天皇は元首のような存在でありながら政治的な機能を持たないことになっている。とはいえ国権(司法、立法、行政)から行政だけを取り出して「国だ」とする規定もない。つまり総理大臣も元首ということにはなっていない。現在は総理大臣の専権事項ということになっている解散権も吉田茂元総理が拡大解釈して生まれたもので、おそらく当初の設計思想にはなかったものである。

主権在民の観点から国会は「国権の最高機関」と定義されているのだが、かといって国会議長には特別な権限はない。あくまでも「国会全体」が最高機関だということになっている。

日本国憲法をあらためて観察するとかなり微妙なバランスの上に成り立っていることがわかる。暴徒に襲われるという衝撃的な亡くなり方をした元総理大臣を静かに送り出したいのは山々なのだが、議論を丁寧に組み立てないままで「誰が偉くて誰が偉くないか」を決めようとすると事後収拾がかなり難しいものになってしまうのである。

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