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ペロシ下院議長のアルメニア問題介入が作る新しい米露対立の発火点

ロシアの南にアルメニアとアゼルバイジャンという2つの国がある。アルメニアにはキリスト教徒のアルメニア人が住んでおりアゼルバイジャンの主要民族はチュルク系のアゼルバイジャン人だ。この二つの国はナゴルノ=カラバフ地方をめぐり1991年以来小競り合いを続けている。一般的にはロシアとトルコの対立のように思われているのだが、ロシアの弱体化を背景にアメリカ合衆国とフランスが介入しつつある。ペロシ下院議長はアルメニアに乗り込みアゼルバイジャンを非難しパニシャン首相の「革命」への支援を表明した。「善意による介入」だが新たな米露対立の火種になりNATO加盟国であるトルコがアメリカと対立する構図にもなりかねない。

今は単なる点にしか過ぎないのだが、成り行き次第ではこれまで点に過ぎなかったものが面としての広がりを持ち始めるかもしれない。アルメニアは今後要注目の地域だ。

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元々の問題はナゴルノ=カラバフ紛争である。ナゴルノ=カラバフは元々アルメニア人が多い土地だが領土としてはアゼルバイジャンに帰属している。ソ連が崩壊した時に帰属争いが本格化し武力紛争に発展していた。だがこれまでは単なる「点」として捉えられてきた。

チュルク系のアゼルバイジャンは自分達に近いトルコに支援を求めている。アゼルバイジャンには石油が採れるため資金力も豊富だ。一方のアルメニアは比較的貧しい状態に置かれているがナゴルノ=カラバフを占拠していた。アルメニアには海外同胞が多い。特にアメリカに逃れたアルメニア人たちが豊富な資金力でナゴルノ=カラバフ紛争を外から支援してきた。

紛争は1991年から続いている。2020年9月から11月まで戦闘が続いていたが2020年にアゼルバイジャンが事実上勝利していた。この時にロシアが介入し軍隊を駐留させて事態を抑えてきた。この点がジョージアやウクライナと違っている。ジョージアやウクライナはNATO/EUに接近したためにロシアの逆鱗に触れた。だがアルメニアはロシアに支援を求めたため大きな問題にはならなかった。

最近、アルメニアとアゼルバイジャンの間で再び緊張が起きている。ウズベキスタンのサマルカンドで上海協力機構の会議が行われていた時には100名ほどの死者が出ていると言われていたのだが、それから時間が経って死者の数は200名を超えたようだ。

背景にあるのはおそらくはロシアの兵力不足である。特別軍事作戦が長引いており維持が難しくなっている。アゼルバイジャンはこれを好機と見ているようで3月には停戦合意への違反も起きていた。

根本的な解決の目処は立っていないがプーチン大統領は「手段はある」と主張する。だが具体的な手段は見えない。この隙にこの状況に入り込もうとしている国が少なくとも二つある。それがフランスとアメリカなのだ。

ここにペロシ議長が割って入ってきた。呼ばれていないのにどこにでも首を突っ込む困った人である。ウクライナと違ってアルメニアには見るべき資源がな区アメリカの国益とはあまり関係がない。

だが、実は民主党は古くからアルメニア問題には関心が深かった。たとえばバイデン大統領はアルメニア人の虐殺は「ジェノサイドだ」と宣言した。2021年4月のことだった。つまり、アルメニアへの介入は「善意からきたもの」である可能性が高いのである。

だがこのペロシ氏の善意はトルコとロシアの双方を苛立たせる可能性がある。これが地域情勢を著しく不安定化させかねない。ペロシ氏はすでに台湾問題の発火点になっている。つまり台湾問題を介して中国をも刺激しかねない。

アルメニアでは2018年に小さな革命が起きている。親露派のサルキシャン首相が退陣に追い込まれジャーナリスト出身のパニシャン氏が政権についたのだ。サルキシャン氏は大統領が2期10年に限定されているため任期のない首相に権限を移す憲法改正をおこなった上で自分が首相になった。これに憤ったパニシャン氏はチェコスロバキアの「ビロード革命」になぞらえて政権奪還をおこなったと産経新聞には書かれている。

先の上海開発機構で習近平国家主席が表明したように「カラー革命」はロシアや中国が最も忌み嫌っているものである。ペロシ氏はこのように難しい状況にあるアルメニアに乗り込み、停戦協定を侵害したアゼルバイジャンを非難した上で、アルメニアのベルベット(ビロード)革命への支持を表明した。つまり、トルコとロシアの双方を苛立たせる発言を行ったのだ。

ペロシ氏の善意はアルメニアではどう捉えられているのか。実は2022年1月にサルキシャン大統領(首相になったサルキシャン氏とは別のサルキシャン氏だ)が辞任を表明していた。首相が勝手に停戦を決めたとサルキシャン大統領は主張している。一方でパニシャン首相はナゴルノ=カラバフ問題で敗北したことを受けて首相を辞任していた。だが選挙を経て2021年8月に再び首相になっていた。

もともとサルキシャン首相は親露派だったのでパニシャン氏は親欧米派だった。ところがナゴルノ=カラバフ紛争で敗戦してから親露派に変わり再選された。ヨーロッパとロシアの間で揺れ動くのはこの地域ではよくあることだ。目的は権力維持である。ところがプーチン大統領が頼りにならないと見るや今度は欧米側に接近を始めている。

2020年の紛争終結時にはパニシャン首相がアゼルバイジャンに譲歩したという噂が広がったためアルメニアの首都エレバンではパニシャン首相の辞任を求めるデモが起きたそうだ。このためパニシャン首相は容易に和平交渉に応じられそうにない。ペロシ氏の訪問はパニシャン首相の権力維持には都合がいい。すでにフランスのマクロン大統領やアメリカのブリンケン国務長官と会談をおこなっており西側の援助に期待をし始めたようだ。

ロシアはナゴルノ=カラバフ問題に対して十分な支援をしてくれていない。国民からはナゴルノ=カラバフ問題で弱腰であると疑われている。だったら、アメリカに接近して状況を改善させたいと考えるだろう。プーチン大統領は「自分達には問題を解決する能力がある」と主張しているが、それは支援国からの援助要請があって初めて成り立つことなのである。

ロシアが弱体化しているのは明白である。ロシアが弱体化すると権力維持のために西側に接近する国が出てくる。アメリカとしてはそれに善意で答えているつもりなのだろうが、結果的には権力闘争で一方に加担し、事態を複雑化させる。

一つ一つの問題は単なる点に過ぎない。だがこのような状況が積み重なるとやがては「専制主義の国」と「民主主義の国」という対立構造が生まれる。元々は善意から出たものなのかもしれないが結果的には価値観の衝突という「面」が生み出されてしまうのである。

ナゴルノ=カラバフ問題をめぐる感情的しこりを遡るとアルメニア人とチュルク系民族の間にある過去の虐殺問題に行き着く。実はアルメニアには「アルメニア・ディアスポラ」という問題がある。

オスマン領だった時代にトルコ系の人たちに迫害された人たちが大勢海外に逃れておりアメリカにも多くのアルメニア系アメリカ人がいる。民主主義の擁護者を自認するアメリカ合衆国(特に民主党)はアルメニア人ロビーの影響を受けているようだ。前回の停戦合意の時にはアルメニアロビーが活動し「アゼルバイジャンの勝利で紛争が解決された」という報道が抑制されたようだと伝える記事もある。

トルコとチュルク系に歴史的な深い恨みを持つアルメニア人たちはこの問題で譲歩したくない。

もともとトルコとアルメニアの間に感情的なしこりがある。だから、パニシャン首相が権力維持をするためにはナゴルノ=カラバフ問題を梃入れしなければならない。だがこれはアゼルバイジャンを刺激しトルコを怒らせる。またアメリカとフランスがロシアの頭越しに介入しカラー革命を賞賛すればおそらくロシアをも怒らせるだろう。ロシアはアルメニアを保護していると思っているからである。さらにカラー革命の擁護は中国をも刺激する。

こうして点だったものが奇妙に結びつき次第に大きな広がりを見せている。起点はアメリカの善意だが当事国の権力闘争や当事国を保護している国のメンツと衝突する。

次のステップはペロシ議長がアルメニア問題について議会をどう動かすかである。専制主義との対決は共和党と民主党が唯一協力できる分野だ。アルメニア支援の動きが議会を通じて広がれば現在の米露対立がさらに拡大する恐れもある。さらにペロシ議長が「カラー革命の成果」を強調すれば中国も不快感を示すだろう。これまで点だったものがいよいよ面的な広がりを持ち始めるのである。

一方でアルメニアはロシアの保護国と見做されておりアメリカが守りたい権益もない。いくぶんマシなシナリオはペロシ下院議長のアルメニア訪問はロシア・中国・トルコを刺激するだけに終わりアメリカ国内でこの問題が盛り上がらないというものだ。

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