ペーター・ザトコ氏の内部告発が大きなニュースになっている。中国の工作員がいた可能性があるというのだ。状況はかなり複雑なのだが影響力はあるが財務状況が必ずしも民間のプラットフォームという存在が民主主義の脅威になり得るということだけはよくわかる。
ザトコ氏はTwitter社から「仕事の成果の低さ」を理由に解雇されていた。ここからザトコ氏の復讐劇が始まる。Twitter社は旧式のソフトウェアに頼っていたとかセキュリティ上の問題を抱えていたというような告発をはじめた。この告発の中に「外国政府の情報機関のために働いている社員がいる」というような情報が含まれていたため騒ぎが拡大した。
ザトコ氏は「自分が成果を上げられなかったのは旧経営陣のせいである」と言いたかっただけなのかもしれない。だが告発は個人の思惑を大きく超えて動き出した。ついには中国の工作員が紛れ込んでいるとFBIに指摘されたという情報になり日本でも複数メディアがこれを伝えた。工作員が何をしていたのか、何をしようとしていたのか、今もTwitter社にいるのかなどの情報は伝えられていない。
「半分の社員はTwitterのアカウントにアクセスできた」ことから議会襲撃事件の暴徒に共感する社員が妨害工作できたかもしれないとザトコ氏は仄めかしている。つまり、ザトコ氏の関心は具体的な中国人工作員ではなく「可能性」とその可能性をもたらした経営陣に向かっている。
Bloombergの記事の中には共和党のカートコ議員の名前が出てくる。MAGA共和党の人かと思ったのだがトランプ氏の弾劾に賛成しているそうである。必ずしもトランプ氏がアカウントを剥奪された件での腹いせというわけではなさそうだ。
日本の統一教会の問題は「やる気になれば外国の息のかかった人たちが容易に政治家に近づくことができいったん侵入が成功してしまうと排除が難しい」という問題だった。つまり大量に支援者を送り込めばどんな外国も日本の与党に容易に影響を与えうるという事件だったのだが、日本人はあまりこれを深刻に受け止めなかった。これは「統一教会に騙された一部の可哀想な人たち」の問題ということで終息しつつある。日本人は自分達は島国に住んでいるという安心感があり「外国からの影響」をあまり懸念しないのだろうということがよくわかる。
ところが、アメリカ合衆国のように民意が政治を動かす国においては、一度に多くの人に影響を与えることができるSNSに外国が関与していたというのはかなり衝撃的な出来事だったようだ。もともとイギリスの王政と英国国教会の影響を恐れて新大陸に避難してきた人々が建てた国なので外国からの干渉を非常に嫌う。かといって表現の自由は守りたい。このためTwitterのような大きすぎるプラットフォームは常に表現の自由と外国からの干渉という問題を孕んでいる。
ところが問題はこれだけではなかった。ザトコ氏の証言によるとTwitter社の中には二つの異なる考え方があったようだ。
- 一部は米中対立を背景に中国政府がユーザーデータを収集できることに懸念を示していた。
- 別の人たちは中国からの広告収入に期待していた。中国は何と言っても成長市場でありそのチャンスを活かしたいと考えていたのだ。
FBIはTwitter社に対して「中国国家安全部(MSS)の工作員が従業員名簿に載っていた」と通知したとザトコ氏は主張している。この工作員容疑者が現在もTwitter社に勤めているかについてはわかっていない。
Twitter社が「中国の工作員」の存在に気がつきながらもそれを重要視していなかったのはなぜだろうか。背景には株主から収益向上を期待されつつそれを果たせないという事情がある。
創業者のジャック・ドーシー氏は風貌からも「自由を追求したい人」のようだ。株主から収益向上をうるさく注文されるのに嫌気がさしたのだろう。退任もTwitterで事後報告だったそうだ。
株主たちは収益の拡大をめざし、マイクロソフトの勤務経験があるパラグ・アグワルCTOを後継のCEOに指名していた。またCFOもセールスフォース・ドットコム社長兼最高執行責任者(COO)のブレット・テイラー氏に変わっていた。製品に愛着がある創業者は去りとにかく株主の期待に答えたい経営者が残った。
ザトコ氏の発言からは新しい経営者たちへの不満が透けて見える。収益拡大を優先しザトコ氏の責任分野であるセキュリティにはあまり関心を持たなかったようだ。
ザトコ氏は社員の協力も得られなかったようだ。社員によるセキュリティ上の事故(インシデント)の発生率が高かった。社員の端末にセキュリティ管理がおそろそかになっており、ソフトウェアの更新が無効になっている社員も多かったという。またユーザーデータへの過剰なアクセス権限を持たせることも多かった。
CNETはセキュリティ上の懸念について少し詳しく書いている。経済系の媒体にはない視点だ。Twitter社はユーザーの拡大や売上を重要視していた。一方でプライバシーやセキュリティの問題にはあまり関心がなかったようだ。おそらくザトコ氏はこれに憤り経営陣と対立していたのだろう。だが最終的に首を切られたのはザトコ氏の方だった。「あなたは間違っていて能力も低い」と指摘されたザトコ氏が外から不満を訴えるのは予め予想できたシナリオだったのかもしれないが、まさか議会で公聴会が開かれるとまでは思わなかったのかもしれない。
経営陣がハンドリングを間違えたのはザトコ氏の件だけではない。新しい収益源を見つけられないTwitter社はイーロン・マスク氏からの買収計画に期待している。
マスク氏は買収の意向を撤回しているがその買収計画を経営陣が承認した。つまり買い手がもういらないと言っているのに「売ります」と言っているのだ。Twitter社はマスク氏に対して「当初の申し出通りにTwitter社を買うように」という裁判を起こしている。
状況を精査したマスク氏からは「落第だ」と言われ外からはザトコ氏から「セキュリティ上の欠陥」を指摘されている。難しい立場にあるTwitter社は「ザトコ氏の主張が矛盾しており不正確さに満ちている」とだけ述べ真偽について細かい言及はなかったそうだ。
おそらくTwitter社側にも言い分はあるのだろうが今はあまりことを荒立てたくないという気持ちが伺える。
マスク氏がTwitter社を買うかもしれないという時には「一人が巨大プラットフォームを所有することの危険性」が盛んに語られた。Twitter社はどちらかといえば表現の自由を守る側の立場だと見られていたように思う。
ところがしばらく経って再び覗いてみると景色が全く変わってしまっている。現在の懸案事項は経営不安を抱えた巨大企業が各国の政治に大きな影響を与えていることの是非である。
日本でも、特定のアカウントの閉鎖や制限などに政治的な介入があるのではないかと囁かれたりするが、実際の脆弱性はもっと上のレベルに原因があるのかもしれない。
ただしバイデン政権がこの問題に深く取り組むかどうかはよくわからない。「通信品位法230条」(セクション230)の廃止を訴えている。つまり、セキュリティ意識を向上させるように呼びかけるのではなく、政府がSNSを管理できるように免責特権を剥奪せよと言っているのだ。