ざっくり解説 時々深掘り

日経ビジネスが「金融所得課税強化案が再浮上」との観測記事

カテゴリー:

日経ビジネスの武田安恵さんと言う記者が「財務省は金融所得課税強化」案を提示するのではないかという観測記事を出している。タイトルは「棚上げの「金融所得課税強化」案が再浮上 NISA拡充と抱き合わせで」だ。結論から言うと具体的な話が出てきているわけではない。NISA改革をすると金融所得課税が事実上に減税になるためその埋め合わせに何かやるのではないかと言う程度の観測記事だ。登録して次のページをクリックしてもらわなければならないのでこのようなタイトルが付いているのだろうと思う。

それにしてもこの金融課税の話は随分長い間くすぶっているなと思う。おそらくそれなりの背景があるのだろう。

前回この話が本格化したのは予算編成前の冬ごろだった。つまり「今年もまたこの季節がやってきた」ということになる。次年度予算審議では財源の話もやらなければならない。つまり金融所得課税は「季節外れの幽霊」のような冬の風物詩になりつつあるのかもしれない。

Follow on LinkedIn

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで

|サイトトップ| |国内政治| |国際| |経済|






ダイヤモンドオンラインは金融所得課税が強化されたらどうなる?と言う記事を書いてる。こちらも庶民にはあまり関係がなさそうだと言っているが重要な点に触れている。それが起業家に対する影響である。

会社を大きくして売りたい人にとっては金融所得課税の強化は好ましくないというのだ。確かに一生懸命会社を作って大きくし「さあ売りましょう」となった時に国が横から「分け前を持ってゆきますよ」というような税制は起業家のやる気を削ぐ。だったら最初から拠点を別の国においたほうがいい。起業家はまず英語を勉強すべきだろう。

考えてみると日本は農民が真面目にコメを作ってそれを収めるというのが統治の基礎になっていた。この考え方は明治維新を経て高度経済成長時代までは生きていた。だから、国は一律で産業を起こしそこから一律に税金を取りたがる。消費税への強いこだわりがみられるのはこうした産業が消えても安定的な税収を求めたいからである。つまり消費税を現代の年貢にしたいのだろう。現代風の表現をすれば「社会主義性向」が強いとも言えるがその源流はおそらくもっと古いところまで遡ることができそうだ。

国民も「みんなと同じように」真面目にコツコツ働いていて、コツコツ金を貯めたい。社会主義的な管理に慣れているのだといえる。代わりに国民は一律の保護を求める。なんとか老後を暮らして行ける年金制度に対するこだわりがあり、コロナで国民皆保険制度が崩壊しかけていることに腹をたてる人も多い。高額所得者だけが十分な医療を受けられるアメリカ合衆国のような事例は日本人にとって悪夢でしかない。

こうした期待が国にも国民にもある。そのため消費税のように一律で取れる税金で健康保険と年金財政を支えるという「全国民一律」が求められることになる。となると当然投資も「みんなが同じように一律に投資をしたら一律に儲けられる」ものでなければならない。だが、もちろんそんな投資はあり得ない。「得をする人もいれば損をする人もいるのか」と思った瞬間に庶民は投資に目を向けなくなってしまうだろう。

国はこうした国民性向に合わせるため「国が優遇する投資制度」を作ろうとしている。成果がわかりやすく誰もが儲けることができるNISAがその代表例だ。ただ、NISAを国民の期待に合わせようとすればするほど「誰も儲からない仕組み」ができてしまう。だからこそ「その減収分を高額所得者に補ってもらいましょう」というつじつま合わせの金融所得課税強化案が消えないのだ。

もちろん岸田政権は自分たちを支えているのが「一般的な国民である」ことを十分に理解している。このため金融所得課税を見直しても一般投資家には関係がないと説得し続けている。Bloombergに二つ記事が上がっていた。

庶民に関係がない金融所得課税だが「海外勢が引いてしまうと日本の株価が下がり自分の資産価値も下がってしまう」として一般投資家からの評判はあまり良くないようだ。マネー系雑誌も新聞も2021年年末にこの話題を盛んに取り上げていたが大抵は「条件闘争」になっている。税調が議論を始めると牽制記事が出てくると言う順番だ。

「細かな辻褄を合わせるために全体像が見えにくくなる」という姿はおそらく政治全体に言える。小泉政権が打ち出そうとしたのは「頑張った人が報われる」新自由主義的な政策だった。だが国民は「普通にやっている人が置いてゆかれる」制度だと認識しこれを受け入れなかった。今でも竹中平蔵という普通名詞や小泉竹中路線は新自由主義の別名のように使われる。

しかし「みんなが一律に稼いでいれば将来安泰」な国家にはもう戻れない。そこで安倍政権は「今うまくいっている人たちが優遇される」政策を取り入れる。だが「トリクルダウン」と言う魔法の言葉を使いこれをごまかしていた。つまり「いずれ恩恵が回ってきますから楽しみに待っていてください」と時間稼ぎをしていたのだ。さらに後期になると「もう恩恵は回ってきてますよ、まだ気がついていないんですか?」とメッセージが変質してゆく。

岸田政権はこの魔法の言葉を信じ込んでしまったようだ。「もう恩恵は溜まっているはずなのだから地方に還元しましょう」といっている。しかしながらこれまで先延ばしにしてきた矛盾も蓄積しておりどこかから代替財源を持ってくる必要がある。

おそらく国民は投資が貯蓄くらい安全で確実なものになれば貯蓄を投資に振り向けるようになるだろう。だがそのためには裏で「資本主義を社会主義に変換する」ための大掛かりな仕組みを作らなければならない。

日経ビジネスの記者の取材が正しいのならば、財務省はその原資を高所得者から集めようとしていることになる。だがこれくらいのクラスになるとおそらく持っている資産を海外に逃がすのは簡単だ。政府や政権に反対運動を起こすような面倒なことは行わず自分で新しい資産管理先を見つけてくることになるだろう。

おそらく岸田総理は自身の投資誘致が構造的な問題を抱えていることには気がついていないようだ。朝日新聞が「月内にニューヨーク証券取引所を訪れて講演するのではないか」と書いている。本気で信じているのか単なる「お芝居なのか」は不明だが、とにかく現在の路線を歩き続けるようである。The Show Must Go Onである。

ただ、岸田総理が仮に構造に気がついても国民性向を変えるのはかなり大変な作業になるのだろう。少なくとも江戸時代から続いている「みんなと同じようにコツコツと米を作っていれば安心」という統治スタイルやマインドセットを根本から覆すような強いメッセージを発信しなければ、おそらく「頑張った人だけが報われる」と言うような経済には持ってゆけないだろう。

さらにいえば「実はトリクルダウンなどなかった」と国民に打ち明けるのも難しいのかもしれない。こうなると金利が上昇するまでは国債で財政を支えつつ今まで通りのメッセージを発信し続けるしかない。

こうして、富裕層からの金融課税強化の話はくすぶり続けている。海外の投資家は金融課税教科の可能性を織り込んでいる。また、そもそも日本は金利が低く抑えられており成長を前提としていない。当分の間は日本が投資大国になることはなさそうである。それでもすでに演目は始まってしまっている。「日本を投資大国にして新しい資本主義を実現するのだ」と言うショーは続けられなければならない。

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です