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エリザベス二世女王が96歳で死去。イギリスは一週間のうちに君主と首相が交代することに。

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エリザベス二世女王が静養先のバルモラル城で亡くなった。96歳だった。その直前にトラス首相を首相に任命しておりまさか亡くなると思っていなかった人も多かったに違いない。訃報を伝えるニュースでBBCのキャスターは「国王と王妃」がバルモラル城に一泊すると付け加えた。突然の訃報だったが権威の継承はスムーズに行われたようだ。女王がなくなった時、ロンドンには虹がかかったのだという。王配が女王を迎えにきたのだと感じた人もいたようだ。

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体調を崩したのは直前だった。イギリスは9月が新学期にあたるため孫にあたるウィリアム王子とひ孫の子供達3人と共に新しい学校を視察していた。その後「健康不安から医者の監督下に入った」という情報が流れる。王族たちが次々とスコットランドのバルモラル城に向かった。またアメリカ在住のハリー王子もイギリスに帰国することになった。

直前のニュースではキャスターが黒いジャケット・黒いネクタイで待機しており状況が深刻であるということがうかがわれる。結局このキャスターが数時間後に死去を報告することになったことから体調が急変したことがわかる。

エリザベス二世女王の足跡については今後多くの記事が出るだろう。1926年に生まれた時には女王になる運命ではなかった。おじにあたるジョージ八世が退位したのを受けて父親のジョージ6世が即位した時に推定相続人(王位継承順位1位)になった。その後の第二次世界大戦では女子国防軍に所属して公務の携わったのち、1952年に25歳で即位した。

バルモラル城はイギリス王室の避暑地になっているそうだ。イギリス王室が建築したわけではなく購入したのはヴィクトリア女王なのだという。このためこの城は王室の私有財産という扱いになっているという。エドワード八世(のちにウィンザー公爵)はイギリス王として退位はしたのだが私有財産は相続放棄しなかった。このためジョージ六世はこの城を兄から買い取らなければならなかったとWikipediaには書いてある。

バッキンガム宮殿ではなく私邸であるバルモラル城にボリス・ジョンソン首相とエリザベス・トラス次期首相が訪れたことがいかに例外的な出来事だったのかがわかるのだが、この時にはすでに健康状態は思わしくなかったのかもしれない。夏が終わり秋になっても静養先から動けなかったということになるからである。

イギリスのBBCが訃報を伝えた時、黒いジャケットとネクタイを着用したキャスターは「王と女王王配」について伝えていた。これは新しい王であるチャールズ三世のことであると思われるため、かつてカミラ夫人と呼ばれていた人が「Queen Consort」になったことがわかる。

突然の死去だったわけだが、カミラさんの扱いについてエリザベス二世女王は特段の配慮をしていたようだ。

エリザベス二世女王は生前にカミラさんの順位を4番目(エリザベス二世、アン第一王女、アレクサンドラ王女に続く)としており、チャールズが即位した後はQueen Consort(王妃)と呼ばれることを望むという意向を示していた。

プリンセス・ダイアナの人気が高いため、結婚当初は王妃とは呼ばれないだろうとされていたカミラさんだったが、女王の特別の配慮のおかげで晴れて王妃と呼ばれることになった。フィガロはメ「ディアは不満を持っているようだが女王の介入と心配りに対してノーということはできなかったようだ」と書いている。つまり一定の議論はすでに済んでいたのだ。

呼称問題がその人ののちの待遇に大きな影響を与えるということをエリザベス二世女王はよく知っていた。

エジンバラ公フィリップ殿下は最後まで王と呼ばれることはなかった。ギリシャ王族としての称号、海軍でのキャリアを放棄し、名前も変えた。敵国だったドイツの「バッテンベルク」からイギリス風の「マウントバッテン」に変えてイギリスに帰化していたのである。だが、だがフィリップ王配には憲政上の地位は与えられず息子たちの家の名前はウィンザーになった。フィリップ王配はこの待遇に不満を持っていたとされる。性格がシニカルになり数々の問題発言で物議を醸した。

ジョージ六世が「王族の家名はウィンザーだ」と決めてしまっていたためにウィンザー・マウントバッテンという名前はプリンス・オブ・ウェールズなどの称号を持っている王族に使われることはない。ただしハリー王子の子女は称号を持たないためマウントバッテンの名前が入ったアーチー・マウントバッテン=ウィンザーやリリベット・マウントバッテン=ウィンザーと呼ばれるそうだ。これはエリザベス二世女王の決定だ。

ウィンザー王室は常に家族のスキャンダルなどの問題があった。公的には父親の方が妻よりも立場が下でありそもそも「外国人だった」という複雑な事情がその基礎にある。こうした問題はフィリップ殿下に持ち込まれプリンセス・ダイアナとの離婚から結婚歴のあるカミラ夫人との再婚劇につながってゆく。エリザベス二世女王について公式のキャリアについては多くの賞賛の声があるが「家族の問題」にも特別の配慮をしなければならなかった。これはハリー王子の結婚と渡米やアンドリュー王子の称号返上まで続いていた。

フィリップ王配殿下が2021年4月になくなってからわずか1年ほどしか経っていなかったが、こうしてエリザベス女王は公私ともに苦労の多い96年の生涯を閉じた。崩御のときロンドンには虹がかかったのだそうだ。中には王配が女王を迎えにきたのだと感じる人もいたとハフィントンポストが紹介している。

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